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交流をはじめてから感じていることがあります。

自分は人と違うとか、
人付き合いに違和感があるとか、
生きづらさを感じている人が多いということ。
わかるー!わかるー!ってゆー共感がとても多いです

そんな思い、感じ方をもっている人たちがたくさんいること
私だけじゃないんだという安堵感
交流を持つことで知り得たことです

きっとそう感じて生活している人ってもっともっといるんじゃないのかなって

私もその中のひとり
なんか違うな、というのかずっとありました
私はおかしいのか?と思うことも
レールに乗ってる人生は自分じゃない
箱に閉じこまってるのは自分じゃない
自分を、自分が自分でいられる場所を
あの頃は人生つまらなかった
人生やらされてる感

お店を始めてこの思いがスッキリした部分もありました。
と同時に「こうでなきゃいけない」という自分のルールにプレッシャーを感じていること、私が私じゃないんじゃない?と感じることも。

「真面目」ほどツラい
「ちゃんとしなさい」「お姉ちゃんなんだら」と育てられた私にはしっかりしないと、ちゃんとしないとということが染みついていると気づき、そうでなくてもいいこと、色々な人たちに出会い気づかされている最中です

意識してより経験をして体感する人間の私です
自分で気づくことで自分を変えられると私はおもっています
全ては自分で変えられる

今いる場所も自分で選択したもの
親が、友達が言ったからではなく、言われたことに選択したのは自分であること

嫌なら離れればい、やめればいい
嫌われたっていい、
ただ自分軸に合わないだけ
今ではないってだけで、何年後かに合う日もある

世界は大きくて、今はネット環境も充実している
ただ産まれた場所がこの場所だっただけ
この場所に友達いなくてもいいじゃんね。
小学生になったら友だちを作りなさいというけれど結構プレッシャーじゃない?

友達作らなきゃ、できない、友だちいないの?そこで派閥ができるじゃんね。
経験してきたよ、そーゆーの。
そんなのいらない、トラウマになる。

同級生=友だちと私は認識していた

友だちが、じーじ、ばーば、パパ、ママ、お姉ちゃん、お兄ちゃん、隣のおばちゃん、近所のお姉さんでもいい。
ある子が言ってた
「僕は学校に友だちはいないけど世界中に友だちがいるんだ」と
ネットゲームで世界中に友だちがいるとのこと。
私もそうゆう考え方欲しかったな〜ってしみじみ感じ中学生の男の子から学びました。

交流する意味は人によって違うだろうけど
私は私で交流する意味がわかってきている気がします。

日々の学びに感謝して
愛し愛され過ごしたい
環境を変えると不思議とあなたにとっての居心地のいい場所が訪れます


ライバル、嫉妬、勝ち負け、そーゆーのは私はいらない、
みんなが笑って楽しめること、それが幸せなんです🕊

そんな世界になるとことを願って交流を深めます
愛と平和と笑顔の世界へ

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