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コスパの考え方(2) 価格に含まれているコスト

目の前でさらさらと描かれたイラストを見て、そんなに簡単に描けるなら費用は安くてよいだろう、とか。
その手作りアクセの原材料費は1000円もいかないんだから販売価格をもっと下げるべき、とか。
プロの歌手に対し、ちょっと一曲歌ってみて(歌うなんてちょっと疲れるくらいで何かが減る訳じゃないでしょ?)とか。

これらはいずれも原材料費しか見ていない考え方である。
それらの技術を習得するための長い時間、努力を成し遂げるための意思については考えられていない。

しかし原材料費だけでその商品の価値を見るなんて馬鹿げている。物体としての原材料費だけ見るなら本は紙だし、Blu-rayはプラスチックである。

価格には、原材料費以外のコストも含まれている。
どのようなコストがかかっているかを考えると、納得のいく買い物となりやすい。
例えばヤクルトレディや保険の営業の人は会社や各家庭を回って物を売っているけれど、商品の価格には、その営業の人の給料も含まれている。
多くの商品は、ブランドイメージを確立・保持するため、芸能人を使ったCMを行っているが、そのCMの費用も価格に含まれている。
初回だけ安価な通信販売の製品、抽選で当たる豪華賞品、今なら無料で○○が付いてきますという謳い文句。いずれも価格に含まれていて、全体として赤字にならないように計算されている。

価格に含まれていると知った上で、例えば詳しい説明が聞けるから営業の人の給料が含まれていても問題ないと思えば買えばいいし、それが嫌ならネット上でのみ展開しているお店から買えばいい。
重要なのは、知った上で判断しているかという点である。
お通しです、と注文していない料理を出され料金を請求され、そういう制度だと知っていれば納得できるけれど、知らなければ嫌な気分になる、のと同じ。

だから、設定された価格に何が含まれているのか、考えなくてはいけない。
原材料費、広告費、一般管理費、と会計的に考えれば細かく出るけれど、納得するためだけならそんなに細かく考える必要はない。

その商品を提供するために、作り手側はどんな作業をしなくてはならないか、と想像するのが感覚的につかみやすい。
例えば時々テレビで放送している、ある製品が作られる過程。大きな倉庫に大きな機械が常時動いており、次から次へと製品が作られている様子。
あるいは試行錯誤し、新商品が生み出される制作秘話。
できあがった商品が発表され、ピカピカのカタログに掲載された商品の特長。こんな機能があるからとても便利です、と。
工場の土地代も機械代も機械のメンテナンス代や電気料も、試行錯誤の過程で作られ廃棄された材料費や金型、現地調査するための交通費、カタログの写真代・印刷代。そして何より人件費。お給料。
映っているもの全てがコストであり、全てが商品の価格に含まれている。

では無料で提供されるサービスは?
無料であれば何も支払っていないか、というとそうでもない。ビジネスでやっている以上、何かを得られなければ実施されない。
アンケートに答えてノベルティグッズをもらった、クイズに答えて景品をもらったなどの場合は情報を支払っている。相手は、アンケートの内容そのものもだし、この人はこの分野に興味ありという嗜好・連絡先などのデータを得ている。

Googleなどのネットサービスについては、時々聞く「あなたは客ではなく商品である」という考え方がしっくりくる。
Googleはスポンサーに対し、一定の属性の人にCMを見せる権利を売っている。この国のこの年代の人500万人にあなたの商品をアピールできますよ、と。
この場合、利用者はお客に売るための商品(を生み出す元)なので、無料でサービスを使用してても赤字にはならない。その代わり、どのようなことに興味があるのか、という「CMを見せる相手」としての属性情報を提供させられている。

全くの対価なしにサービスを提供し続けていたらすぐにビジネスは成り立たなくなってしまう。無料の場合も、お金ではない何かを支払っている、と考えた方がいい。

価格に含まれるコストは何かを考えることで、納得の買い物がしやすくなる。
商品を見たら、想像力を染み渡らせて、コストを見る癖をぜひ。

名角こま

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