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小西綾の言葉「仲間でケンカしている場合か」は、時代を超えて迫ってくる。敵の思うツボ。

はじまりは100年ほど前の職場のセクハラ


やはり、思い出すのは、この人の言葉なのです。
私が小西綾に出会ったのは、20代の終わりの頃でした。1970年代半ば、当時「ウーマンリブ」という女達の「運動」が盛ん。これ、すべてググってください。女たちが人として生きようと闘った時代。女たちの怒りは最高潮の絶好調。

意気盛んな女たちが集まり「魔女コンサート」なるものを開催。こういう近代史は今の若い女性たちにはまったく伝わっていないなあ。そこに、当時72歳の小西綾さんはゲスト出演し語った。闘う小西さんのその講演は近山の心を大きく揺さぶったのでした。

なにに例えればいいでしょう。人生を変えた、目からウロコ、生きていてよかった。そんな感じ。
いま、あの当時の小西さんとほぼおない年になった近山は、40歳以上も年下の若い人達になにを語れるだろうかと思います。

小西さんの武勇伝はいろいろありますが、はじまりは今から100年ほど前のこと。セクハラなどといった言葉はあるはずもない頃。小西さんの職場に性的な被害に遭い仕事を奪われそうな同僚がいた。
小西さんは同僚男性社員達にも呼びかけ、その女性を守るために闘いました。ところがです。女性は職場に残ることができましたが、同僚の男性社員は上司のひと言で寝返った。そのため、小西さん一人、左遷という憂き目にあいます。

小西の教え。疑い、調べろ。

小西さんは思います。替えのきく仕事では、真の自立ができないと。以後も筋を通して生き続けた小西さんの言葉は、いまも近山の血となり肉となっています。以前も、小西さんの言葉をご紹介したことがあると思いますが、たとえばこの言葉。

「人の話を聞いたら疑うこと、必ず調べること、それをやらんとダメです」。

いまは、調べるとはググることになっていますけれど、小西さんのいったのは、直に聞くこと、新聞を読むこと。講演を聞き、本を読み、そして自分の頭で考える。小西さんの教えを受けた近山や仲間たちは、いまでも本をかなり読みます。

「あっ、わかったの会」という名の女たちの集まりもありました。自分の頭で考えたことをまたみんなで語りながら多様な意見を聞く。仲間とも考えて考えてやがて、「わかった!」となったときに、それが身になり行動につながる。指先でちょちょっとググって、「そういうこと……」と知った気になるのとはやはり違うと思う、わかった!の感覚。

一人で自分の想念に縛られていく孤独とも違う。もちろん、一人で考えることはとても大事なことで、すぐに群れる、人に合わせることを覚えてしまうのもおすすめできません。でも、ずっと一人きりでは迷路に入ってしまう。問いを深めて仲間と共有する時間と空間を小西さんら諸先輩達は、私たちに提供してくれました。

写真向かって右端が小西綾さん 那須まちづくり広場ギャラリー。

仲間でケンカしている場合か

当時も今も若い人は真面目に考えています。真面目さがこじれたり、行きすぎて社会のルールや常識といったことを超えてしまう。昔学生運動、今一人革命の「ひきこもり」か。
その昔、学生運動で社会革命を起こそうと真面目につきつめた先にあったのが、仲間同士のリンチであったり殺しあいでした。

そんな時代風潮もあってか、小西さんは言いました。

「仲間でケンカをしている場合か」。

敵は誰なのか? を忘れて、意見対立の挙げ句が、分裂。仲間割れをすることの愚を批判しました。それは、みんなを苦しめている大きな、本当の敵の思うツボではないかと。

「自分にとっての生きやすさ」とはなにか。生まれ、生き続ける自分、やがて死にゆく運命にある一人一人が、その限られた時間のなかでどのような状態であろうとも、一人の人間として認めあい、尊重しあう関係。それは、どのような大きな権力にも資本にも奪われない確かなこと。

旧友サックス奏者マサさんと那須まちづくり広場で。

「自分にとっての生きやすさ」で死ぬまで生きる

原始共同体を生きる部族の長に、ある著名な評論家が愚直な質問をしました。「あなたはなんのために生きているのですか?」と。すると、その長老は「死ぬために生きる」と言ったのです。頭脳明晰、緻密な論理展開をするその評論家とそうした世界とは無縁の長老の言葉は、小西さんの言葉とともに私の記憶に留まりました。

人は等しく「生きて死ぬ」。であるならば、「自分にとっての生きやすさ」で死ぬまで生きる。一人一人が多様ならば、意見の違い、方針の違い、様々な行き違いすれ違いを、どうしたら仲間内で分裂にいたらずおられるのか。そのことを考え続けていくと、やはり「ギブアンドギブ」に可能性を求めている自分がいるのです。

さて、それは、その可能性をどう日常に、仲間との活動のなかに実践していくことができるのか。たとえば、那須や豊島や多摩で仲間達がまちづくり、コミュニティ創成のプロジェクトをしているなかで、なにを大事にしているのか。次回はさらに基本に立ち返り、大切にしたいことを書きます。

あら、もともとは、都内多摩ニュータウンで創成中のプロジェクトのひとつ「コミュニティプレイスあたご」の具体的なご紹介をしようと始まった話がえらく遠回りになっています。どうか、気長に、気長に。いいね!で応援してくださいませ。


(20230522−24)


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