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ミスコンとは

もうすっかり定着してきた「大学のミスミスターコンテスト」。その大学の中で男女もっとも輝いてる人、美しい人、輝いてる人をそれぞれ選ぼうという趣旨のものである。
ここ最近の傾向として各大学のミスミスターファイナリストが各個人のTwitterアカウントやInstagramのアカウントを新規で作成してフォロワーを増やしてweb投票やRT・いいねで応援してもらう。中にはshowroom等の配信アプリを用いて動画の配信や賞の関係するイベントの応援をしてもらう。といったスタイルがすっかり定着してきてるのは何年も大学ミスコンやを見てきた人ならもうおわかりいただけるだろう。そんなミスコン、今となっては大学ミスコンにととまらず大学という括りだけでなく「サークル所属してる人の中で」「新一年生だけ」など数多くのミスコンが開催されているのもまた事実である。

【思うこと】

さてそんなミスコン出場者の人たちはきっと中にはエントリーした時点からグランプリを目指している人だって少なくない。そんな人たちとTwitter等々で話を聞いているとこんな言葉をよく見る。
『頑張りますので応援よろしくお願いします!!』
一見なんてことない意志表明のような一文である。少なくとも普通の人なら何もおかしいところはないであろうと思う。しかし私はこう思う。
『何を頑張るの??』
冷静に考えてみてほしい。ミスコンに出場した人が頑張ることとはいったい何があるのだろうか?
配信を頑張る?どう頑張るのか?睡眠を削ったりして無理をすることなのだろうか?
Twitterの更新を頑張る?少なくとも24時間張り付いていないとできない人間離れしたことをしようとしているのだろう…
応援してもらえるように精一杯頑張る?じゃあ誰からも応援してもらえなかったら頑張らなくていいのか??

こうやって冷静に考えるとミスコンにおいて「頑張る」というのは何か勘違いをしてるのではないだろうかと感じてしまう。そう、ミスコンにおいて「出場者が頑張ること」なんていうのは一つもないのであると筆者は考える。じゃあどうすればいのか。簡単である

【出場者本人が楽しめばいい】

この一言に集約されるのだ。(定期試験などの勉強関係は多少意味合いが違うかもしれないが)基本的に何か物事に対して挑戦するときになにが大事なのか考えてみてほしい。頑張ること?無茶をすること?そうではない。誰もミスコンに出て無茶をしろなんて言ってない。
例えばあなたが大学の文化祭で何かパフォーマンスをることになったとしよう。その時に見に来てくださる人たちは何を楽しみにしているのか?「みんなが楽しんでいる姿が見たくて」「精一杯やってきたせいかを見たくて」その場に足を運んでくれるのではないだろうか?最高のものを見せようと頑張りすぎて連日徹夜で目の下に大きなクマを作った状態で見るパフォーマンスと一回一回に全力をかけ、当日失敗してても最高の笑顔でやりきった表情を見るのどちらがいいか?筆者である私なら断然後者を選ぶ。前者を選ぶ人がいるなら是非ともコメントしてほしいくらいだ。
ミスコンだって同じことである。Twitterや配信なんて言うのはあくまでも「二の次」。出場者一人ひとりの私生活が充実しててそのうえで活動の成果をファンの人たちに報告するような形で活用する。それが本来の正しいスタイルなのではないだろうか?
もちろんTwitterやインスタの更新をまめにしてる人はそれでもかまわない。しかし「リプとかできてなくてごめんなさい」なんていうことは果たして本当に必要なのか?
Twitterやインスタのリプ返は「義務」ではない。必ずしなくてはいけないものではないのだ。それを強要だったり、そういう趣旨をにおわすことを平気でツイートするような人はいわゆる「かまってちゃん」の部類では無いかと筆者は考える。上記に書いたように「二の次」なんだからできなくたって責められることは一切ない。出場者一人ひとりが思い思いにやればいいだけであるのではないだろうか。

【最後に】

筆者は出場者から「頑張ります!」というコメントが来たら必ずこう返事している。

≪頑張らなくていい!頑張る代わりに精一杯ミスター(ミス)として楽しみなさい!!期待を背負いすぎて燃え尽きちゃうくらいなら自分のペースで毎日しっかり楽しんでほしい!≫
この通りではないけどこういった趣旨の返事を返している。
きっとミスコン出場者の中には本番まであと四か月、ないしは二か月切ってる人もいるだろう。
そんな人たちにとってこの書き込みが少しでも心の支えになってくれたら筆者はとても光栄である。

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