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立ったまま急行で目的地に向かっている

自宅の最寄駅には各停運行しか止まらないので、乗り換えが面倒なときは時間がかかってもいいから始発駅から各停に乗る。遅い時間の各停は比較的空いてるので座れることも多いし、そういう選択をする時は大体くたびれている。

千と千尋の神隠しで千尋が銭婆の家に向かう時に乗っているあの電車とあの乗客たちは、ある日たまたま夜更けに各停の電車に乗り合わせた宮崎駿が見た俺たちが元ネタで、それは車内のまばらな人影に目を配ればすぐにわかることだった。皆一様に倦怠・諦観・少しの悲愴が漂う同じ顔をして(当然窓に映る自らも)、ひたすら都心から郊外へ、特急や急行のように加速を続けることのないトロい負け犬に運ばれる負け犬ばかりで、どいつもこいつもそんな仄暗い安心で満たされている。このまま目的地にもつかず、出発地のことも忘れて、永遠にこの電車に囚われても構わないのにとよく思う。あまりに凪いでいてあまりに終わっている。


疲労、睡眠不足、飲酒、なんでも良いけど身体や生活や欲望というものは色んな都合でできていて、非常にままならない。ベストコンディションでいることなんて歳を重ねるたびに珍しくなっていく。あらゆる時間と場所で擦り減り傷付いている我々は、あらゆる時間と場所で少しでも安息と回復を求めている。各停電車はそうやって漫然とギリギリでいつも生きいる人々にうってつけの休憩所となるのだった。


あまりにもうってつけが過ぎてしまう。
なんでもそうだけど過剰になることは好ましい結果を導いてくれない、そうやって基本的なことをすぐに忘れる。身体が先か頭が先か、とにかくままならない時には大抵目的地を寝過ごしてしまう。
電車で寝るのがそもそも好きで、暇な学生時代は山手線を何度も周回しながらよく昼寝していた。忙しくなってすっかりそういう無駄な時間が無くなってしまったけど、これからの人生の中でまたやりたいことのうちのひとつだ。そんな性分に加えて各停の腐ったような甘い臭気に誘われて、予定よりずっと寝てしまう。最近ベッドでの睡眠の質が下がっているような気がしていて加齢の恐ろしさを感じているけど、各停寝落ち時睡眠の質の高さは未だ衰えてないように思う。質の高い、夢すら見ない深い昏睡から二度と這い上がれないかもしれないと思うあまり、電車の揺れか、車掌のアナウンスか、何かをきっかけにして到着したと思った瞬間に覚醒のための勢いを求めて、背中と肩で背もたれを弾きながら文字通り飛び起きている。寝過ごし続けた過去のトラウマが身体にこの悲しい反射反応を覚えさせた。反射なので当然起きる駅を違えてしまい、始発駅から最寄り駅に着くまでのいくつかの途中駅に停車するたび1人でにバウンド。睡眠が深過ぎて当然時間も溶けているので、もしかしてすごい長い時間眠ってしまったかもしれないと思い込んだ、鬼気迫ったバウンド。意味のない、孤独なバウンド。それでも寝過ごす、安全に溺れて目的地を遠く離れてしまう。


泥風呂のような安寧となんでもない日常のコントラストは背もたれとの衝突をスイッチにした脳発火によってより劇的なものになり、寝ぼけも合わさって混乱したまま、よかった、今日は寝過ごさずに降りれた、足元がおぼつかない、人気のない見慣れた駅のはずが、30歳の身体が、なんか奥歯の噛み合わせが、あれ、今日こんなに蒸したっけ、駅の壁の色こんなだったっけ、暗くなるのが早くなったなぁ、なんか、あれ、どっからだろ、なんのおと?


今は急行電車に乗っている。
荷物がたいへん多くて車両の角に荷物を寄せなければならず、席は空いてるが仕方なく着席せずに立っている。
立ったまま急行で目的地に向かっている。

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