後遺症が残った過失10の交通事故に遭った話⑩ 後遺障害認定

こんばんは。
前回を見てくださった方、ありがとうございます。

この頃は4月なのに超暑いですね。
以前、気温は100年後に5度くらい上昇し、海面は0.5m高くなるとの記事を読みました。
縄文時代は海面がかなり高く、今だと高台にある三内丸山遺跡すら海辺だったらしいですが、それくらいまで極氷が解けるのは何百年後なんだろうなぁと思ったりします。

珍しく冒頭を真面目に書きました。前回で看護師さんから「インテリ女疑惑」が出たのでやってみました。
ちなみに、私は「インテリ」と聞くとなぜか髭男爵の「ルネッサーンス!」のシーンを思い出します。一体なぜなのか、自分でも自分の記憶回路が理解できません。

それでは、前回の続きで後遺障害認定についてになります。
今回も説明回みたいなものでそんなに面白い場面はないですが、後遺障害認定についてはかなり細かく書いています。


退院し、症状も固定してしまったために通院もなくなった私は、
弁護士さんと後遺障害に認定されそうなものをリストアップし、認定のための書類集めをすることにしました。

リストアップしたのは、認定されそうな順で並べると、
 ・周辺視野の複視
 ・左頬付近の感覚鈍麻
 ・左目下の手術痕(顔面の傷跡)
 ・手首、膝等の裂傷部分に残った痣
 ・両手首の痛み
 ・鎖骨骨折による鎖骨変形
の6つ。
ちょっと曖昧ですが、これで全部だったと思います。

申請にあたっては基本的に怪我からの回復過程で治療にあたった医師の診断書が必要です。
診断書と、事故から現在に至るまでの治療経過のカルテと検査結果、診療報酬明細書を集め、
認定審査時にその申請書類を元に後遺障害認定員に怪我や外傷の状態をチェックしてもらい、認定員が認めれば後遺障害に認定されます。
ただし、審査結果が不服の場合は再審査も申請できます。


先ほど調べていて知ったのですが、
被害者が自分で自賠責保険へ後遺障害認定を申請する場合と、
保険会社が後遺障害認定の申請手続きを代行する場合があるようです。

私の事故は自転車対自動車で、私は当時珍しかった自転車保険には入っていませんでしたし、加害者の保険会社からの代行提案もなかったので自力(弁護士さん)申請をしました。


リストのうち、整形外科の医師が認定に関わりそうな下2つは諦める方向になりました。

私の回復過程の最後に関わった近くの総合病院の整形外科医は「交通事故には関わりたくない、面倒」というスタンスだったので、協力的な診断書を書いてもらうのは無理そうだったからです。
診断書は高額で家計を圧迫しますし、
あの医師の不愉快そうな顔を見て交通事故の被害者患者全般に対する不満を聞いた上に、何の意味もなさない「治癒しました診断書」を貰うという徒労は精神的にも避けたいところでした。

あとは、弁護士さんも非常に残念がっていましたが、
事故当初に私が造影剤を飲んで検査を受けていれば、手首の痛みやそのほかの細かい障害部分が判明していたはずです。
そうすれば、事故当時の検査画像を弁護士事務所と提携している医療機関で診てもらい、間違いなく交通事故による影響があり障害が出ている、と診断を貰うこともできたようです。

つまり、認定を確実に取るために必要な医師の診断書は場合によって2種類に分かれるようでした。

【 必要な診断書 】
 ① 事故時の明確な怪我箇所が検査結果画像に残されていない場合
  → 事故直後に患者がその部位の痛みを訴えているor事故でその部位を損傷していることがカルテに残されており、事故時から現在にいたるまで治療を担当している医師が「事故時に発生した怪我で、間違いなく後遺症となっている」という風な記載をすること

 ② 事故時の明確な怪我箇所が検査結果画像に残されている場合
  → 医師(専門医なら誰でもよい)が事故時から現在に至るまでの検査結果画像と現在の症状を照らし合わせ、「事故時に発生した怪我で、間違いなく後遺症となっている」という風な記載をすること

上記①②は確実に認定を取るための例であって、もし該当していなくても認定が取れる場合もあるようです。

私の場合は整形外科的な怪我に関しては①となるわけですが、
最終的に治療を受けていた近くの総合病院の整形外科医が「怪我は治っている」と以前私に言い、恐らく申請時に出す診断書にもそう記載してしまうことで、
認定員に「怪我は治っているとこの医師が言っています」と言われて、認定が下りる可能性は”非常に低い”のです。

それでも方法がないわけではありません。
しかし、医師が「治った」と言った怪我を「やはり治っていない」に変えるのはかなりの手間と検査が必要らしく、お金のない私には諦めるしかありませんでした。

ちなみに、私はこの数年後に関東に就職したのですが、PC作業程度であまりにも手首が痛むので住居近くの整形外科に行ったら、
そこの医師に、
「車との衝突事故が発端で手首が痛いなら圧迫骨折か筋・神経をかなり痛めてるでしょう。そういう怪我は検査で見えにくいけどすごく痛いものだし、治療に何年もかかる。だから私はそういうのは当然に後遺症として診断してるけど、あなたは認定もらえなかったの?かわいそうだなぁ。この辺の整形外科だとみんな認定すると思うけど、地域的なものかねぇ。」
と言われてガックリ来ました。
「先生、私、その時の医師に「保険会社とのやり取りが面倒」みたいなことも言われたんですが、実際どうなんですか?」
と興味本位で尋ねたら、
「えー!そんなことないよ、診断書を書いたりカルテを渡すだけじゃない。普段の仕事の延長でしょうよ。」
と返事が返って来て、またガックリ来ました。

『病院に来る患者はお金を払って治療にきている客である』という感覚がある医師と無い医師の違いなのかなぁと思いました。
総合病院だと自分で経営しないのでそういう感覚は生まれにくいのかもですし、交通事故関係の治療は独立医の方が丁寧に対応してくれるのかもしれません。
でも検査器具は総合病院の方が揃っているわけで、難しいところですね。


さて、複視の診断書と検査データは電話で入院していた眼科にお願いし、後日受け取ることになりました。

最後は、顔面の感覚鈍麻・左眼の下の傷・裂傷痣の診断書です。
どこにお願いするか悩み、結局、
近くの総合病院で整形外科で打ちのめされた後にふらっと立ち寄った形成外科の医師に再度診てもらおう、
ということになりました。
あの優しくて親身になってくれた先生にもし「これは私には認定できない、診断書は書けません」と断られたとしても、『この医師がそう言うなら仕方ない、無理だな』と完全に諦めがつきそうだからです。

私はあの時泣いたお詫びと、眼科に行って手術しました、という報告も兼ねて、形成外科を訪れました。

医師は私のことをぼんやり覚えてくれていたようでした。
多分「結構泣いてた患者」で薄く記憶されていたのでしょう。
私から前回の診察の後日談を聞いて、
「眼科で手術できて少しは複視も改善したようですね、良かったです。」
と、柔らかな笑顔で喜んでくれました。

たった一回きりで何の治療もしなかった患者の回復を祝ってくれた医師に、また私は涙目になりました。
ちょっと優しくされただけで私のハートはわしづかみです。まったくチョロい奴です。
ニコニコしている先生に、
『なんていい先生なんだ!世の中みんなこんな医者ならいいのに!!』
と私の脳内はフィーバーしました。GReeeeNの「キセキ」が流れる感動のシーン状態です。
『いかん!このままでは恋に落ちてしまう!』
と焦った私は急いで先生の左手に光る指輪を凝視し、しっかりと冷静になった後に、診察にやってきた主な目的を話しました。

ゆっくり聞いてくれていた医師は、あっさりと診断書を書くことを快諾してくれました。

「それでは確認させてくださいね。
まずは眼の傷は、うん、ありますね。何センチかな?ちょっと定規を当てますね。
しかし、この手術の先生はお上手だなあ。かなり広い範囲を切り開いているけど、ここまで綺麗な痕はすごいですよ。相当気を付けて丁寧に縫合されたんでしょうね。いい先生ですね!」
ニッコリとテンション高めに傷は確認されました。

正直、眼下の傷は、麦わらの一味の麦わらボーイほどはっきりと残っているわけではありません。
位置も涙袋際で陰影が付きやすい場所です。ドキッ★とするくらい近づいたらわかるものの、(すみません、ちょっとふざけました)
下地にコンシーラーを重ねてファンデーションでもしたら1m先までならほぼわからないでしょう。
自分としては気になるけれども、他人は気にならないんじゃないの?って感じです。


そして、左頬の感覚鈍麻です。
右頬と左頬を同じ強さで針で刺されたら左は右より痛くない、という言葉にすると曖昧な感じです。あとは左目下から鼻下にかけてしびれ感があります。
これは目に見えるものではなく感覚的な話で、認定が難しそうだなぁと思っていました。
弁護士さんは、
「医師が診断書で書いてくれたら認定が通ることも多いですよ。自覚症状はあるわけですし、左頬付近は間違いなく事故での骨折箇所ですから関連性も認められるでしょう。申請にチャレンジしましょう。」
と後押ししてくれました。

私は認定に通る自信のなさから小声になり、医師にしびれ感等がある場所を説明しました。
「なるほど、ちょっと触ってもいいですか。どの付近からどの付近までかを確認したいので感覚が違う場所を追っていきましょう。」
と、疑いなく私の主張を認めてくれていました。
キセキです。また脳内にGReeeeNが流れてきました。
今まで何度も初っ端から「大げさに言ってる」とか「事故したからって(保険金目当てに)言い出したんじゃないですか」とか医療従事者にはめっきり疑われてきました。
自分と言う人間は ”仲良くない人には信じてもらえない魔法” にかかっているんじゃないかと思うくらいでした。・・・フリーレンが集めてそうな魔法ですね。
私はまた恋に落ちる危機感から医師の左薬指を凝視し、
「はい、大丈夫です。」
と顔への接触に備えました。

一通り確認したのち、医師は形成外科での事例を含めて状態を教えてくれました。
まず、私の場合は該当部位を司る神経が切れたことが原因と考えられるということでした。
その場合は切れた神経が何年もかけて徐々に回復してうまく繋がる場合もあり、ピリッとした痛みとともに感覚が戻ってくることもあるようです。
そして、もし今感覚鈍麻がある場所がひくつく感じやもぞもぞした妙な感覚があるのであれば、神経が生きていて回復しようと頑張っているかもしれない、ということでした。

確かにたまにひくつく感じがあります。私の神経は生きているに違いありません。
ファンシー系の私は顔面の下で頑張って復帰中らしい神経を想いとてもうれしい気持ちになりました。
健気なアメーバを体内に飼っている感じです。いや、そう言うとちょっと、かなり気持ち悪いかもしれませんが。とにかく頬の神経は健気な奴なのです。

事故時の裂傷による痣も、間違いなくケロイド状になって残っていたことから医師の確認がおりました。


医師は、当初の想像を超え、お願いしてみた障害全部について診断書を書いてくれました。
同じ病院内にいるであろう某整形外科医があんなに面倒がっていた診断書を、あっさりと、でもとても丁寧に仕上げてくれました。

私はこの医師にとても感謝しています。
私の回復を祝ってくれ、私の善性を信じてくれる、という行為が私の心を随分救ってくれました。

診察を終え、病院を出た時、
『よし、明日も頑張ろう!』
と思えました。

私は以前書いた通りに病院に対してPTSDの症状が出ることが多く、
ただの風邪の診察でもその後公共交通機関で帰宅している最中に急に涙が止まらなくなったり、ぜんそく症状が出てしばらく動けなくなったり、
症状が出ないにしてもしばらく何もできないくらい謎に落ち込みます。

この時は病院を出ても明るく前向きでいられた珍しい日でした。
そしてこの後も、この医師の診断書と弁護士事務所のみなさんが私の日々を支えてくれました。


弁護士さんに渡して整理してもらった資料を基に後遺障害申請をし、
自賠責保険の事務所で認定審査を受けました。
審査員は50代後半くらいの男性2名です。

申請したものについて、外傷が残っているものは、診断書に記載された範囲や長さと相違ないかを定規的なものでチェックされました。
私が認定で一番危惧していた左眼下の細く残った傷についても、医師がはっきりしっかり記載してくださっていたからか無事に認定されました。
複視についても、私の場合は例えば左上を見た時に明らかに右眼と左眼の位置がズレる斜視状態なのもあり、問題なく認定されました。
その他の神経症状や痣についても認定されました。

顔面の見えやすい位置にある痕ということで眼の下の手術痕が12級、周辺視野の複視が13級、ほかは14級です。
13級以上が2つとなったため等級が高い方を1つ繰り上げて、
私の後遺障害等級は11級となりました。

これで私メインの戦いは終わりです。


あとはこの障害等級をもとにした保険料の算出や、損害補償と事故の過失割合を決める弁護士さんと相手保険会社との交渉があり、うまくいけば示談になります。
もしその交渉がうまくいかなければ民事の訴訟になります。

私は相手保険会社の私への当たりの強さからして訴訟になるだろうと踏んでいました。
そして案の定訴訟に発展しました。


以上、今回は後遺障害認定についての回でした。
次は訴訟回になると思います。そしてこのシリーズも終盤です。

そういえば、
あの頬のもぞもぞ感は今も続いていて、つまりまだ私の健気なアメーバ(神経)は回復しきっていないのですが、
いつか繋がったときのピリッとした痛みと感覚の戻りを楽しみに生きています。

みなさんにも、そういうささやかな楽しみがたくさんできますように。
それでは、よい夜をお過ごしください。