能天気を恥じお詫びします
“ロダン”とすべきところを“ゴッホ”と書いてしまった。拙著「銀河鉄道の夢」(梨の木舎刊)の「少年」中(17ページ左から7行目)である。発刊から18カ月もたってそれに気づいた。羽田ゆみ子社主に相談し、梨の木舎のホームページへ載せるエッセーに、詫び文を加えたらどうかとアドバイスをいただいた。後悔と、汗顔の思いでそれに従う。
小説は、少年が中二の時、新卒でクラス担任になった小林亘(わたる)先生にふれ、まだ詰襟の学生服で教壇に立つ(白皙の長身によく似合った)先生の初宿直を訪ね、見せられたロダンのトルソの写真集に強い印象をうけた。
それは、燃えあがるゴッホの画面を前に「わだばゴッホになる!」と叫んだ棟方志功の感動に似ていた。「わだばロダンになる!」ほどの叫びを少年は胸の内に呑んだ――。そう――ゴッホではなく、ロダンだったのだ!
こんなケアレスミスを、なぜしてしまったのか?そして、なぜ今頃になって気付いたのか。信濃毎日新聞の新刊紹介欄に棟方志功の伝記が載り、先の叫びが「わァゴッホになる!」とあるのを読んだのが先頃のこと。私は「わだば(吾は)」と記憶していたが、方言だから「わ(吾)ァという言い方もあるのだな」ぐらいに思い――その時ふっと、小林先生(諏訪郡富士見町在住)からいただいていた手紙のうち、なぜか気にかかっていた一節がうかび、読み直してみた。
先生には上梓のたびに謹呈し、その都度丁寧な論評を送っていただいている。二年前の年末、贈書返礼の便に「…初宿直に押しかけた歓迎会のこと(「少年」)…あのように仕組んで書き小説として発展させた効果(小説として膨らめたおもしろさ)(著者としてはご苦労を伴う)を知りました」とあった一文。
誉め言葉の中に挟まれた短いそれは、「はて?」と微かな疑念を持たせながらも、字数の詰まった5枚の便せんに埋もれてしまった。―小説にフィクションはつきものだが、それが衆知の事実と異なるものなら良識が問われる。棟方志功に共鳴する少年であったが、ゴッホまで真似てはいけなかった。トルソといえばロダン―弁解の余地はない。
先生が繕ってくれた文面にそぐわない軽率ミスで、物書きの端くれなどと自惚れた自己嫌悪と自信喪失を、先生へ正直に伝えた。
「ああ、そのこと」 先生の頓着ない声が電話の向こうから返り、「それよりも、いま、認知の進んだ妻を娘がデイケアに連れ出したところでね。『行ってきまあす』に『はいよぉ』と答えたところだ」と笑った。
「序」中の、私と妻の永訣の会話を、先生は「妻を送り出す言葉にこれ以上のものはありません」と書いてくれた。緊張が少しゆるみ、吸入器の先がふっと鼻腔を突きあげた。有難かった。
先生は同じ手紙で、「鳴き続ける『蟋蟀』(こおろぎ)の字義」について、「悉」は「ことごとく全て」、「率」は「先に立ちひきいる」—「何という立派な字を貰っている虫でしょう」と指摘。「私も励まされながら」として、「画布を張る 音とんとんと ちちろ鳴く」の句を添えてくれた。その句に火を熾されたことも、当ホームページへ投稿する一因になった。
羽田ゆみ子社主にも、小林亘先生にも、読んでいただいた皆さん全てに改めてお詫びをし、繰り返しはしないことをお誓いしたい。93歳になられる小林先生を前に恐縮の至りだが、三年前に酸素濃縮器附帯を余儀なくされた85老の故もありと、お許しをいただければ幸いである。
(2024年6月)
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