デザインって…な話
今日、iPad Airが届いた。
現物は見たことあるし触ったこともあるが、こう自分のものになってから触れてみると画面が大きく感じる。
閑話休題
デザインの大学に通っているが、デザイン、ほんとうに、わからない。
Wikipediaを見てみる。
飾り立てることだけではないと書いてある。
飾り立てるだけではないのだ。
(飾り立てることもデザインと言うけれど)
大学は、やってきたデッサンと面接で入った(甘ちゃんな)ので、デザインがどういう意味を持つのか調べてはいるし、頭には入っている。
言い訳。
しかし時々すっかり忘れてしまう時があるし、本来の言葉の意味を無意識に無視してしまう時がある。
この提案は誰に幸福をもたらすのか……
そもそも幸福をもたらすのか……
この形はどのような人に向けてどのような意味を持つのか……
この配置や色は何に基づいているのか……
それを忘れて自分勝手なものを作ろうとしてる時、「そっちじゃないよ」と言ってくれる先生や大人がいるからまだ助かっている。
自分勝手にものを作っていいのはアートであって、デザインではない……
それは、その2つはほぼ同じところにいて、住み分けだけが少し違うと考えているというだけで、決してデザインとアートを切り離しているわけではない。
その考え通り、私は独りよがりに自分勝手に作ったものを「デザインした」なんて、言ってはいけないのである。自分に対する戒め。
やってみたいから、オシャレだから、かわいくしたいから、この素材使ってみたいから……
そういった私情は今まで持ち込んできたし、これからも持ち込むだろう。
それ自体はよいが、
それによって誰が幸福になるのか、
どんな人が、(そのデザインを見て)どんなことを思ったらデザインの達成と言えるのか、
それが言えること、
更にはユーザーに実際にそう思わせなくてはいけないのだ。
オシャレにしたいから、と作ったものが、オシャレかもしれないが誰にも理解できないものになったら本末転倒。
そんな風にはなりたくない…
それを戒めとして覚えておいて、自分の力で軌道修正できるようにしないといけない。
そして軌道修正の必要がなくなるまでいくといいんだけどな。
それは努力と時間の継続の問題かな。
自分に対する戒めのノート
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