amazarashiについて語りたい~ロストボーイズ~
今回取り上げるのはアルバム『七号線ロストボーイズ』に収録されている1曲。
気だるげな曲調から始まり、サビの疾走感に繋がる。
迷いの最中にある少年少女、かつてそうだった大人たちへ向けた歌。
もしくは、自分自身の中にある少年少女へ親しみを込めた歌。
いつもありがとうね。君の苦労や苦悩はいつしか報われたよ。
不意に出てきてはうらめしく見ている君を見て、私ははにかんでしまうくらいにはなりました。
この歌はもう少し渦中の歌かな。
今の私はどうにか、もう少し先にいて、つじつまを合わせることができたようです。
気怠さの象徴的なワードが並んでいる。
ここは今も変わらない。あまり意味を成さない同僚たちのスケジュールの読み上げを尻目に、今日も1日が始まる。
学生の頃よりはいくらか能動的な毎日になった。
切り裂いてしまいたいのは夜だったろうか
それとも別の何かか。いずれにしても何を使ってもそれは叶わなかった。
身の回りにはわからないことが多すぎる。みんなはわかっているような気がして、自分だけ取り残されたように感じた。
疾走して何もかも置き去りにして、夏の象徴のような彼女に会えたなら。
泣いていないし、走り出してもいない。ただ歯を食いしばってうずくまる自分を、太陽が暴いていく。
言葉や思考は正常か。何度も書き出しては消して、書き出しては消して。
当時の個人作成のホームページなんて誰も見ないだろうにアップロードすることのなかった言葉は一体どれだけあったろうか。
今にして思えば、瑞々しくドロドロの感情でもったいないことをしたなと思う。
そこから得られることもあったろうな。
訳もない涙なんていつ以来流していないだろうか。あれはなんだったんだろう。
ずっとこれは何なのか考え続けてきて、とうとう答えを見つけることはできなかったようにも思う。
一般的にはホルモンの乱れ。第二次性徴に伴う感情の揺らぎ。あるいは中二病。モラトリアム。
自分だけの名前がほしかった。特別なものでないと嘘だ、と思っていた。それだけその苦しみに価値がほしかった。
涙が出るのは決まって夜で、決まって青春の只中で。
それはきっと、価値があるものだったよ。
世界に嫌われる前に嫌ってやろうとするamazarashiが好きです。
いつだって自分が主導権を握っていると言い聞かせないと、滑落してしまいそうなくらいギリギリなんだよね。
過去、大人はこんなセンチな気持ちにならない生き物だと思っていたし、そうなったら大人なんだと思っていた。
でも実際、今30代も折り返しに来ているけど、相変わらずこんな文章を書いているし、こんな歌詞(ええ歌詞やろがい!)に心を打たれる。
夜に訳もなく泣いてしまうことはさすがにないけど、酒を飲みながらひとりでその気持ちを肴にするくらいには中二心は残っている。
そんなもんですか?世間の大人はそんなもんじゃないかも。でも自分はそんなもんです。
そんな私も世間では大人にみられていて、仕事をして、一端に後輩の指導や大人数の大人の前で話して褒められることもあります。奥さんも子どももいます。
過去の自分がみたらきっと衝撃を受けるだろうな。残念だが、いつまでも心は揺らぐぞ。でもその受け止め方は変わるぞ。
この文章を見た今まさに少年少女の君たちはどう感じるでしょうか。
おじさんとamazarashiを語ってくれたら、その瑞々しさに泣いてしまうかもしれません。
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