愛とは

「愛」―そのものの価値を認め、強く心惹かれる気持ち
その言葉を辞書通りの意味で咀嚼し捉えると、私は多くのものを愛しているということになる。
家族、友達はもちろんのこと、今までに心揺さぶられた多くの本や映画やアニメ作品、音楽、お気に入りのメイク道具や可愛い洋服、夏祭りの夜の匂いや遅刻すると思いながらも朝ベットの中でまどろむ5分間。考えればきりがないほどにこの世界は素敵なもので溢れている。
私はまだたった17年ぽっちしか生きていない身だがそんな短い人生の中で「愛とはなにか」は大きなテーマであると言えよう。今回はその命題に対する私の今のところの見解を綴ろうと思う。

ではまず恋と愛の違いについて私の意見を述べよう。私は少々惚れっぽい性質なので今までに得た恋愛経験は少なくはない。もちろん異性なら誰でもよかった訳では無いし、ちゃんとその人自身を見て理由があって好きになった。相手はどうだったか知らないが私はその人のことを大切に思っていた。
だが私は1度だってその人達のことを愛したことはなかった。
これから先もどれだけ相手が自分にとって大切な人でも私はその人を愛することはないのだろうと最近よく思うのだ。(アイドルは除く)
愛とは相手に見返りを求めないものである、というのが私の意見だ。無償の愛。何も与えてくれなくていい、そこにいるだけで、存在しているだけでいい。そういう気持ちのことを愛と呼ぶのではないだろうかと17歳の私は考えている。
私はどうしたって自分が大切にした分だけ相手に大切にされたいし、友達にも恋人にも見返りを求めてしまう。一方的にこちらが与え続けることでしか成り立たない関係ほど虚しいものはないし、そんな風に自分をぞんざいに扱うような人間に魅力は感じない。だからこそ、相手のことが好きであればある程
私の思いは愛とは遠くなっていく気がするのだ。
もちろんあくまでこれは私個人の意見である。
つまり伝えたいことは私の中で愛とは信仰や崇拝に近い感情なのだ。

母親が生まれたばかりの我が子を慈しむ気持ち、信仰者が神を崇める気持ち、私が推しのアイドルの笑顔を見て「この地球に存在してくれるだけで尊い」と思う気持ち。
ここには一切の打算も、駆け引きもない。
その思いは限りなく純粋だ。
言い方が悪いかもしれないが、相手に何も求めていない、つまり相手に何も期待していないということだ。
期待をしていないから、変に自分の中で理想を作り上げることも、自分の理想を損なうような行動をした相手に失望することも無い。
過度な期待をしすぎないこと。愛とか恋とか関係なくこれは円満な人間関係を築く最大のコツだ。
華やかだが儚い打ち上げ花火を恋とするなら、明るさは地味だが細々とそれでも長く燃え続ける線香花火が愛なのではないか。
どちらが美しいと思うかは人それぞれだし、優劣をつける必要は無い。
ただ、永遠が存在しないこの世界で最もそれに近いもの。
それが愛なのだと私は思っている。