「推し」ということ

TwitterのTLを眺めていて、ふと気付いた。わたしには「推し」がいないかも……。まあ、「推し」が不在ということがヘンだと言うことではないけど。

自分の中で突出した存在がいない。作家、歌人、俳人、俳優、女優、声優、アイドル、芸人、芸能人、著名人、などと特定の個人に絞らず、本、歌集、句集、ドラマ、映画、絵画、曲、などと作品単体としても無い。

知り合いから、特定のジャンルのおすすめを聞かれれば、分かる範囲で見繕ってあれこれ答えることができると思う。お茶してても飲み会でも、知っていることであれば、楽しく話して飲み食いできると思う。

でも、半端ない熱量を伴って語れる「推し」はいない。熱く熱く語って、めちゃくちゃ早口になって、周りの反応も気にすることもなく喋り倒す、そんな「推し」はいない。

今までの人生で影響を受けた特定の個人や作品はある。でも、そこから深く広く掘り下げ、関すること全てを吸収して、自分の血肉へとして、ある種の生き甲斐となしていく、そんなことは無かった。なんでだろう。

まだ「推し」に出会えていないだけなのだろうか。
まだ「推し」に出会えるのだろうか。

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