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サニーデイ・サービスと関西4年目の独身男性26歳の休日を徒然なるままに

2024年1月20日(土)

一日中ぐずついた天気が続いた。昼食は外で食べようかと窓を眺めれば雨粒が見える。こんな日は、部屋でレコードを整理しようと試みるも、結局ベッドの上でだらだらYOUTUBEを見て終わる。そんなハズだった。夕方にTwitterを見ていると「これから名古屋でサニーデイ・サービスのライブに行く」と見ず知らずのアカウントのツイートが流れてきた。懐かしいバンド名だな。そういえば、曾我部恵一って今何歳なんだろうと思いgoogleで検索すると、明日に梅田のクラブクワトロでライブが開催される事を知った。日付が変わる8分前。滑り込むように、ぴあでチケットを購入した。

2024年1月21日(日)

天気は晴れ。9時20分に起床。歯磨き粉が無くなりそうだったので数日前に薬局で新品を買ったのだが、ギリギリ残量のあるチューブを限界まで絞り出して歯を磨く。何だか少し得をした気分になる。

適当に着替えていると、今日の安住紳一郎の日曜天国にメールを送ろうとしていたことに気が付き、部屋を出る前に清書をして送信ボタンを押す。10時ちょうどに原付のヘルメットを抱えて部屋を出る。愛車のスーパーカブにまたがり向かうは近所のブックオフ。なぜか昨晩から古本屋にあるレコードを見たくて仕方が無かった。小沢健二のLIFEが15,000円で売られていて、心がだいぶ揺れ動いたが我慢した。格安で売られていたBeatlesのピクチャーレコードを2枚買って、行ったことの無いラーメン屋へ向かう。ラーメンの味はいまひとつ。それからハードオフをハシゴして13時半に明石駅へ到着。新快速へ乗り込む。

尼崎で乗り換え、大阪天満宮に降り立ったのは初めてだった。アーケードのかかる商店街の途中にレコード屋が2軒ある。最近モータウンのレコードの収集にハマっているので、そのレコードを1枚ずつ購入。ライブの開演時間まで少し時間があったので、大阪天満宮で初詣を兼ねてお参りに。5円玉が無く1円玉だけを賽銭箱へ投入。いいレコードの出会いがあること。仕事を続けること。この2つを願って足早に梅田のクラブクワトロへ向かった。

16時40分。開演20分前の会場は既に熱気に包まれていた。曾我部恵一が52歳でサニーデイ・サービスも結成から30年が経っているのだが、意外にも若い世代のお客さんが多かった。17時定刻に開演。曾我部恵一がロンドンで車窓を眺めながら当時の彼女の事を思って作詞したこと、「春の風」は一発目の録音でドえらいものができたこと、いい曲ができたと自信がみなぎってレコード会社の社長室で演奏したこと、予備校をサボって岡山のレコード屋へ行っていたこと、そんな軽快なトークを織り交ぜながらライブは進んだ。そして、会場のボルテージが高まったところで演奏された「コンビニのコーヒー」と「春の風」。皆が拳を高く突き上げ、高らかに歌う。この時がずっと続いて欲しい。そう思える瞬間だった。

ダブルアンコールからの「セツナ」は我々を熱狂させた。皆が曾我部恵一の音に酔いしれ、この瞬間が終わらないでくれと強く願い、このバンドに一生付いていくと確信しただろう。開演から終演まで3時間20分。52歳のおじさんが魂を込めて演奏する姿に、皆が心を打たれた。まさに「すごいぞ、サニーデイ・サービス」。

終演後、興奮のあまり高校時代の友人に、サニーデイ・サービスのライブがドえらかったとLINEをした。そんな事は生まれて初めてだった。21時ちょうど大阪駅発の新快速に乗って明石駅へ。そこからも興奮は冷めず、スーパーカブで夜道を走りながら「春の風」を熱唱。何度も何度も。声がかれるまで歌い続けた。

ボーカルの曾我部恵一は、このライブで何度も何度も「ありがとう」と大声で言っていた。バンドを30年続けてこれたのは、お客さんのおかげだと。だからこそ、我々も大声で叫びたい。「ありがとう。そして、サニーデイ・サービスは最高だ」と。

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