未来に残したい漁業漁村の歴史文化財百選の島『保戸島』

1.概要

保戸島は、四浦半島の突端、豊後水道に浮かぶ周囲約4キロメートル、面積約0.86平方キロメートルの小さな島です。最高峰は遠見山(とおみやま)で標高179メートルです。島の一部が日豊海岸国定公園に指定されており、島の漁村・漁民の歴史、文化、景観は『未来に残したい漁業漁村の歴史文化財百選』にも選定されています。
かつて、マグロ遠洋漁業の日本一の島として知られ、最盛期の昭和40年代前半には、人口約3千人、マグロ漁船は140隻を数えました。現在では、人口約600人、マグロ漁船は12隻となりましたが、急斜面にひしめく3階建てのコンクリート造の建物や、夏祭りではためく大漁旗などから、往時の雰囲気を感じることができます。

2.歴史

歴史上、保戸島が最初に現れるのは、12代景行天皇の東征で、現在も景行天皇の腰掛岩が残っています。保戸島の名前の由来も、景行天皇が美しい海藻に感動し、「最勝海藻の門(ほつめのと)」と名付けた名前の最初と最後をとって「保戸島」になったといわれています。
幕藩時代、臼杵藩に属していましたが、臼杵の稲葉氏と佐伯の毛利氏が警固屋と保戸島を交換し、明治までは佐伯藩に属しました。
日本民俗学の祖・柳田國男も1920年に2日間滞在し、『海南小記(1925年)』にて描いています。また、1945年7月には、アメリカ軍による空襲があり、保戸島国民学校の児童124人、教師2人、幼児1人が死亡しました。保戸島小学校に慰霊碑があり、毎年慰霊祭が行われています。

3.見どころ

遠見山(とおみやま)

保戸島の最高峰で標高179メートル。山頂からは、天気の良い日は四国まで広く見渡すことができます。山頂付近には八重桜(牡丹桜)が植樹され、島民の花見スポットとなっています。

〇加茂神社(かもじんじゃ)

保戸島に勧請され、天文4年(1535)に創立されました。高台にあり島を広く見渡せます。また、4月下旬に咲く八重桜(牡丹桜)が有名です。

〇日本一狭い県道

島内にある県道612号長目中ノ島線は、1973年に県道に認定された幅約1.2mの道です。車が通ることはできず、「日本一狭い県道」といわれていますが、その経緯は不明です。

〇テボ

竹で編んだ背負い籠(かご)のことです。階段がひしめく保戸島で暮らすうえで、なくてはならないものです。

4.交通

保戸島への交通は船(マリンスター、ニューやま2号 1日6便)で、津久見港の待合所から定期船で所要時間は約25分です。四浦半島からは間元海峡を挟んでおり、渡ることができません。
島内の移動は、徒歩または自転車が一般的で、一部で軽トラックも使われています。平地の荷物運搬はもっぱらリアカー、階段を上るときにはテボに積み替えて徒歩で登ります。

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