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中国語記事ザッピング:二泉映月

こんにちは。セバスチ・ヤンです。
記念すべき第1回は二泉映月を取り上げてみたいと思います。
この投稿では、主にネット上の中国語記事で見つけた曲に纏わるあれこれを拾いご紹介してきたいと思います。日本語でも検索できる記事についてはあまりここでは深堀しません。先にお断りしておきますが、あくまでザッピングを基本にしていますので、それぞれの記事の信憑性の検証は行っていません(専門家でもありませんので)。また、全部のネット記事を拾うのは無理があるので、あくまで私のレーダーに引っ掛かったものをご紹介しているに過ぎません。悪しからずご了承ください。ほかにこんな面白い記事があったよ、という場合にはぜひ教えてくださいね。


(最初に)小澤征爾氏と二泉映月の関係

まず世界的に著名な指揮者、小澤征爾氏と二泉映月という曲の出会い、さらにそれが当時17歳だった中国人音大生の人生を変えてしまうという数奇な物語については日本語でも数多く紹介されているのでここでは取り上げません。え、そんな話知らないよ?という方、興味がある方は是非ネットで小澤征爾、二泉映月、で検索してみてくださいね。

(プロローグ)一般的に言われている二泉映月という曲の背景

二泉映月について下記のような解説をよく見かけます。私も最初にこの曲を習った時に、先生からこれと似たような説明を受けたことがありました。

作者阿炳は国共内戦や日中戦争の混乱の時代を生きた。音楽の才能がありながらも、時代に恵まれず不遇な扱いを受け職に就けず、病気で失明した後は街頭芸人として日銭を稼ぎ糊口をしのぐ苦しい生活を続けた。世の混乱と民衆の失意、そしてよりよい暮らしへの願望と希望を込めて、この二泉映月を書き上げた・・・

映画「二泉映月」

あるネット記事によると、上記の一般的な解説の根拠は中国建国30周年を記念した政治宣伝映画「二泉映月」のスト―リーに依るようです。その映画はネットにあげられていて下のリンクから見ることができます。

https://youtu.be/qJED0GJcjb0?si=pKMPHw_gZxTej3D5

映画「二泉映月」の大まかな筋書きはこんな感じです。
阿炳は無錫で有名な道教寺院の道士華雪梅の元に生まれたが、幼少の頃に母を亡くし、父とは道教の師匠と弟子の関係であったため、一般的な親の愛を知らずに育ってきた。音楽に長けている「師匠」から様々な楽器を習っていたが、道教の伝統的な音楽よりは、街頭芸人が奏でるような俗的な音楽に惹かれていった。
次第に街頭芸人の元に楽器の練習に通いつめ、道教の修業がおろそかになって行ったのが他の弟子達の反感を買い、師匠の死をきっかけに道教寺院から追い出されてしまう。
街頭芸人として師と仰ぐ鐘先生とその娘で歌がうまい琴妹と街頭で演奏し日銭を稼ぐ日々を送るが、鐘先生も阿炳達も無錫地区を取り締まる中華民国の警官に目を付けられ悉く街頭演奏を邪魔される。
阿炳はその警官を統率している警察署長にまで逆らい、怒りを買った阿炳は署長の企てで部下の警官達から暴行を受け瀕死の状態となり失明してしまう。一方、署長から男女の関係を迫られた琴妹は署長から逃げるために湖に身を投げ自殺してしまう。阿炳はそのことを知らず月日が流れて行った。街頭で演奏しながら日銭をかせぐ生活は一向に改善しなかった。
中華人民共和国が成立すると状況が一変。街頭芸人だった阿炳の音楽の才能が高く評価され、北京でレコード出版、演奏会、そして大学教授への話が持ち上がる。同時に阿炳の事をずっと探していたという夫婦が阿炳の前に現れ、阿炳を琴妹の墓に連れて行く。そこですべてを知った阿炳は泣きながら琴妹の墓前で二泉映月を奏でる・・・

中華民国時代に不遇な扱いを受けた才能ある民間音楽家が、中華人民共和国が成立してようやく報われる、というストーリーです。

映画は全部嘘っぱち?金持ちの色男の身から出た錆?

ところがこれは事実とは全く異なるフィクションだ、と異議を唱えている文章や映像も発見しました。
私は研究者ではないので、これらの文章やビデオがどこまで信憑性があるのか分かりませんが、こちらのストーリーの方が人間臭くて、映画の筋書きよりもさらにドラマティックに感じます。続いて、このストーリーをご紹介します。元ネタは以下のリンクから。

https://zhuanlan.zhihu.com/p/112138087
https://youtu.be/Jn1INKkZVOs?si=vW5nKDDM3N8miajS
https://youtu.be/LO7wK3RRt7w?si=PXB6NHFYN_1HfA3y

阿炳の母、呉阿芬は最初に嫁いだ夫が結婚してほどなく病死してしまい、未亡人となった。その葬儀を取り仕切ってくれた道士、華清和と恋中になり、私生児として阿炳を生んだ。華道士は無錫で名門の道教寺院、雷尊殿の住持であったため、阿炳を自らの子と認める訳には行かず、阿炳は母親の手でひっそり育てられた。
世間から不徳を責められた母親は阿炳が4歳の時に自殺、阿炳は他人の手に渡り育てられることになる。阿炳が8歳の頃、阿炳の父華清和が自分が実父であることを隠したまま阿炳を道教の修業僧として雷尊殿に呼び寄せ、道教で使う民族楽器や音楽を教える。
師匠と弟子の関係だが師匠は殊更に阿炳を可愛がり、阿炳も次第にその楽器の才能が知れ渡るようになる。
阿炳26歳。師匠が臨終の際に、阿炳に自分が実父であることを告げると自分の母を死に追いやった父をずっと憎んで過ごしてきたが、その恨むべき父が師匠だったことに感情の整理が追い付かず、娼館通いやアヘンに手を染めるようになる。
父の死後、雷尊殿を継いだ阿炳は名声と富を一気に手に入れ、遊女遊びも更に加速、そこで感染した梅毒により失明してしまう。盲目の状態では道教寺院では全く役に立たず、行き過ぎたそれまでのふるまいが他の道士たちの反感を買い、道教寺院を追い出されてしまう。こうして街頭芸人として音楽を奏で糊口をしのぐ生活が始まった。大した儲けにならなかったものの、その金をアヘンに費やしたため暮らしは一向に楽にならなかった。とアヘンで阿炳の体はボロボロになるが、薬を買う金もなかった。
街頭で弾く音楽は全部自作曲で即興で作るものなので、一度弾いただけで忘れてしまったものも多数ある。記譜しないため、何回も弾いているうちにメロディーとして固まったものが殆どで本人曰くは270曲くらい作ったという。

何気なく弾いたメロディーが名曲に

中華人民共和国が成立したある日、南京の音楽学校に通っていた学生、李松寿が、休み時間に昔よく地元で街頭芸人が演奏していたフレーズを思い出し、ふと二胡で弾いてみた。それを偶然聞いた彼の指導教官が驚いてそれは何という曲だ、すごい名曲だと問い詰めてきたが、李学生は地元でよく聞いたフレーズだが何という曲かは知らないと答えた。指導教官は、中央音楽学院の楊教授に報告し、楊教授と彼の研究生が、李学生から紹介されたその街頭芸人=阿炳を訪れ、持参した舶来品の録音機で演奏を録音することとなった。その時に二胡の曲を3曲、琵琶の曲を3曲演奏したところで、持参した録音テープがなくなってしまった。
その中の1曲に二泉映月があったが、曲の名前などはなかった。
記録に残すのに曲の名前がないのは不便だという話になり、教授は阿炳に曲名をつけるように話した。阿炳は自分はいつも無錫の恵山という山の中にある名水が湧き出る泉、天下第二泉のほとりでよく演奏していたので「二泉」はどうかと提案。二泉だけでは曲名らしくないので教授のすすめで「二泉映月」という名前となったという。有名な広東音楽の曲になぞらえたとのこと。録音テープがなくなってそれ以上録音できないので、日を改めてまた続きを録音させてほしいということになったが、その日が来ることは無かった。録音から3か月後。新中国の下ではアヘンの取り締まりが厳しく、アヘンが吸えなくなったことや弱っていく身体を憂いた阿炳は自宅で首を吊り、この世を去る。阿炳がお気に入りだと言っていた録音されなかった7曲目は「梅花三弄」という曲。幻の曲となってしまった。(現在ネットで上がっているのは同名の別の曲)
その時に録音され、後世に伝えられた6曲は「二泉映月」の他二胡曲、「聴松」「寒春風雪」、琵琶曲「大浪淘沙」「龍船」「昭君出塞」。

阿炳にまつわるエトセトラ

先に紹介したインタビュービデオの中から落ち穂拾いです。

阿炳は元祖ラッパー?

阿炳が失明して街頭で日銭を稼ぐようになった時に最初にしたのは楽器演奏ではなかったようです。阿炳は街頭で人々の井戸端話の中から時事ネタを拾い、拍板と呼ばれる拍子をとる木の板を鳴らしながら、即興の節をつけてその日のニュースを語り、これが大人気となったとのこと。

ボロボロの楽器

阿炳は普段は折れた弦を何か所もつないだ楽器と呼ぶにはあまりにも粗末なものを弾いていたそうです。録音するのだからと、依頼者が慌ててまともな楽器を調達、阿炳に渡しました。ところが渡されたそれは自分のとはまるで違う弾き慣れない楽器だったので、録音前に練習させてほしいということになり数日練習してから録音に臨んだのだとか。

最初の立奏者?

阿炳はよく歩きながら二胡を弾いて無錫の街中を練り歩いていた、だから無錫の街中に彼の二胡の音が響いていたと言う証言がありました。二胡は座って弾くのが伝統、現代の二胡演奏家が立奏を開発した、と言うのが定説ですが、実は最初に立奏したのは阿炳だった!?

(エピローグ)事実は映画よりも奇なり?

失明の原因は戦争や時の為政者の横暴とも全く関係なく、二泉映月という曲も強い思想を持って作曲したというよりは、日々の街頭演奏の中で作られた一曲に過ぎなかった・・・という記事のご紹介でした。
阿炳の人生は、みなし子に近い状況からスタートし、音楽の神童とあがめられ、名門のお寺の住持として富と名声を入れた後での自堕落な生活が祟っての失明、破門、その日暮らし・・・。
浮き沈みが激しく、何よりも人間臭くて映画よりはるかにドラマチックではないでしょうか。

長文お付き合いありがとうございました。今回はここまで。
セバスチ・ヤンでした。

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