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南予を旅したらとても好きになったという記録4 〜伊予長浜、そして帰京〜

【前回までのあらすじ】「旅行も最終日、突然行きたくなった瑞龍寺。伊予長浜に向かったあと、無事に帰ることは出来るのか…!? とりあえず今日も朝食以外まだ食べてない。」

■伊予大洲→伊予長浜の瑞龍寺
14:09 伊予大洲 - 14:36 伊予長浜

 大洲で私と風を切った自転車を返して、予讃線(海)で伊予長浜へ。

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 昼間の水辺はきらきらしている。昨日とはまた違う顔。
 昼間。
 そんな天気の良い昼間だった。これは死にそうになるフラグのひとつです。

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 風情のある伊予長浜の駅について、まず困る。
 こ、コインロッカーはないな・・・・・・?
 この日は最後の日なので、荷物が重い。
 目指す「瑞龍寺」は駅から15分と書いてあったり20分と書いてあるので、私だと30分くらいかかるものだろうか。

 乗りたい電車は次の16:04に伊予長浜発。その次の電車ではもう飛行機に間に合わない。
「30分歩いて、30分お寺を見る(+休む)、30分で帰る」計画だ。
 ま、まあまあ完璧な計画じゃーん、荷物ちょっと……いやちょっとじゃなく重いけど。
 地図もあったし多分大丈夫ですよ多分ね。

 町を歩きながら、「海のある町」というのはこういうものなのだ、と思う。
 観光としての海ではなく「海の関係で働く人も多い町」というのを私はよく知らない。育った千葉県浦安市は地理的にはそうだけれど、漁業ではないので。

 商店街を抜けて「長浜大橋」という赤い橋へ。立派な橋だ。

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 それにしても駅からここまで思ったよりあったな、とかぼんやり考えながら赤い橋を渡る。

 右を見ると海、左を見ると川。川が流れ込んでいるからつながっているのに、風景が全然違う。
 左の水面は山をうつしているのに右は違うから、水の色も違って見える。

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↑これが左側(川側)で

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↑これが右側(海側)。写真だと水の色の違いがわかりにくいけど、雰囲気の違いは伝わるだろうか。

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橋の途中に戦争のときの銃弾のあともある。生々しい。
よいこともつらいことも歴史を残していく感じ。

 長浜に来てよかったなあと思う。
 実は瑞龍寺のことをよく知っているわけではないのだから、最悪着かなくてもいいし。

 そして長い橋の反対側へ。
 地図に従ったつもりで進むと、
「海だーーーーーーー!!!!!!!!」

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 順調に瑞龍寺に行った場合、海には出ない。けれど、海が嬉しかった。下灘では見た。けれどそれは風景であって、ずっとそばにあったのに近くで海を見たのはこの旅行ではじめてだった。

 とりあえず歩道橋の上に上がって海を見る。
 歩道橋に上ったのはもうひとつ理由があって、取り急ぎ高いところから場所を確認しようとしたのだ。
 明らかに迷っているし、海側に来すぎである。
 戻る。
 ううーーーーん?
 もう40分以上たっている。ほとんど人とはすれ違わない。
 歩く。交番もわからない。

 もう、ほんっっとに申し訳ないのだけど。
 公民館が開いてるみたいなので中で道を聞いた。そういう施設じゃないですよね、すみません……!
 だけど、公民館で働いている人は絶対地元のひとだと思ったので。
 結局、親切に受付の方が対応してくれた。

「迷ってしまって、瑞龍寺に行きたいのですが……」
「この道をまっすぐ道なりに登るとあるんですが」
「(……の、登る!?)山の上なんですか?」
「少し登りますね、それより、言いにくいんですけど、今日は観音様はご開帳されてないと思うんです」
「あ、それは大丈夫です(←年に何度かしか見せてもらえないと調べていた)」
「いえいえ、あ、そうだ、見せてもらえるかお寺の人に電話してみましょうか」
「!? ……い、いえいえ大丈夫です。ふらっと来ただけですので、外からお寺を見せていただければ満足で」
「だって遠くから来られたんでしょう? 車ですか?」
「駅から歩いてきました」
「駅から歩いて……!? 待ってくださいお寺に電話しますから、だめだったらごめんなさいね」

 えええー!!!
 いいんです急に来たひとりですし、帰る時間もあれですし、観音様目当てじゃないですし、そんな無理はしてもらえない!(vsもう電話はしてる)
 ……と思った私の気持ちは天に届いた。
 偶然お寺の人が不在でした。よかった。
 丁寧にお礼を言い、教えてもらった道を行って山門を見つけた。

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 登る。

 徒歩何分て、もしかして平面上の距離じゃないだろうか……と思ったけど、違う。
 私はここまできて、登る途中でまた微妙に迷っていたのだ。
 多分途中にいた白猫は「あ、こっちじゃないですけど」という気持ちだったろう。ちょっと困惑した表情をしていたように見えたので。
 それもわからなくて「ねこ-!」とか思っていたらそのまま息切れして上の墓地に出た。

 そっと降りて境内へ。

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 誰もいない、静かな境内だった。
 涅槃像がある。涅槃像に普通の掛け布団が掛けられている。
 珍しいように思ったが、さっきの方みたいな人がかけてあげたのかと思うと、なんとなくわかる。
「寒そうだから」「せっかく来たんだし」
 そんな感情が行動原理なのだろう。

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 どこかリラックスしたように見える狐の社。牛の像。観音様は本当はここにあるんだなあというところ。
 少し高いところにあるので海が見える。さっき近かった海。今は少し遠い。

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 ああ、ここまでこれてよかったなあ。
 境内の中を「ぐるっと見せていただく」だけだったので電車まではまだ30分ある。
 帰ることにする頃、ふと気づいたのだが暑い。

 あー……暑い。疲れている。喉が渇いた。
 重いから飲み物は飲んでしまった。わかるところにコンビニはない。
 えーと、えーと……軽い熱中症かな、ひどくなる前に、自販機で水!!
 水を買い、飲み、首の後ろを冷やして、ついでにそのへんに人もいないし軽く頭にかけて駅に戻る。

 ところで、この町の方は(私はびっくりしたのだけど)すれ違うときに知らない人でも「こんにちは」という。
 老若男女問わない。小学生もおじいさんもおばさんも、だ。
 多分、よそ者であり老人よりは若い私から声をかければ失礼はないのだけど、私にその慣習がないこと、稀にその慣習外の方がいることから、結局言われたら返すスタイルになった。

 途中でそんな感じで知らないおじさんに「橋を見てきたの?」と言われたが、「瑞龍寺さんに行ってきたんです」と言ったら「偉いね!」と唐突に褒められた。
 私は旅行先で寺社に行くことも多いんだけど、旅行者って「お客さん」か「迷惑」かの二択みたいなところがあると思っていたので「偉いね!」はものすごくびっくりした。
 よくわからないけどすごく嬉しかったのを覚えている。笑

 で、健康なうちに電車に間に合った。本当に偉かった。

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■伊予長浜→松山→松山空港

16:04 伊予長浜 - 17:10 JR松山

 予讃線(海)。伊予長浜のお隣は昨日の下灘駅。
 慣れたと思いますか?
 景色は時間で毎回違うし何度見ても最っっつ高!!

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 でも、これでお別れなのだなあ……と思うと寂しい。
 また来たいと思っても、かなうかはわからない。自分の体調、仕事、家庭の事情、金銭的な問題。
 旅行先では、基本的に「二度とこれないかもしれない」寂しさと一緒に歩いている。

 ああーー終わっちゃうなあ、楽しい旅だったなあ。
 でも、東京に帰りたくないわけではないのだ。
 やっぱり「素敵だからここに住みたい」みたいな単純な話ではない。
 どっちがいいとか優れているとかいう話しではない。
 単に私は東京を愛しているし、このまま東京で生きて死ぬんだろうなあ、と思う。他の町も好きなだけで。

 しんみりしそうになりながらついた松山駅で空港行きのバスを待つ間、この文章の最初の方を書いていた。
 そのあとは飛行機に乗って帰った。

 旅にいって、旅先の土地を好きになって、本当に幸せな旅行だった。
 気分のリフレッシュ、新しい土地という新鮮さ、あとひとりで旅を楽しめるという自信。あの光や空気は行ってみないとなかなか説明できない。
 行ってよかった。また行きたい。

 あの地方で生まれ育っていたら、当たり前だが間違いなくいまの私ではなかっただろう。けれどそれは選べるものではない。
 そしてあの素敵な土地でも人が生きるのはきっと誰でも大変で、楽園ではないのだ。そういうことも一緒に感じるのがパッケージでないツアーだと思う。
 でも、そんなちょっと行っただけでも、念願の下灘駅に行けた自分はその前とちょっとだけ違う。
 他の土地も旅したいなあと思った。

 帰ってきた東京は人が多くて、スーツケースでない荷物を持って帰るのもめちゃくちゃ大変だった。
 同時に「帰ってきちゃったなあ。笑」と思った。
 けれど、私はやはりここで暮らしていく。

 以上です、最後まで読んでくれた方がいたらありがとうございました。
 南予めちゃくちゃいいところだから、機会があったら是非旅行に!

※余談ですがツイッターでもリアルタイムに呟いていました。こちらには載せきれない写真もあるツイッターのモーメントはこちら。‪ https://twitter.com/i/moments/1201539609970147328‬


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