「好き」という気持ちとインターネット

「好き」という気持ちは、たぶん、ほんの少しばかりの恥ずかしさを持ち合わせるべきなのだと思う。

インターネットの出現により、「好き」でたくさんの人とつながれるようになって、世界は少し傲慢になっているのではないかと思うことがある。

一応自分はライターなので、さまざまな人にインタビューする機会があるのだが、インタビュイーが一般人(なにかの開発者とかね)の場合、かならず「好きなもの」を聞く。さんざんビジネスの話をして、最後に、突然聞くようにしている。そうすると、だいたいの人はちょっと恥ずかしそうにする。その人がどういう人なのかを読者に伝えようとしての質問なので、見透かそうとしているその意図に気づけば、ちょっと照れるのは当たり前だと思う。

好きなものって、その人の人生そのもの。好きなものがわかると、その人のことが少しわかる気がする。そして好きなものがバレると、少し脱がされたような気がして、恥ずかしくなる。

そして好きなものは十人十色だから、同じものを好きな者同士って、とても貴重でとても大切な存在だ。

インターネットが登場して、好きや関心でつながるコミュニティがたくさん生まれた。そこにアクセスすれば、たくさんの同じものを好きな者同士がいる。まるで世界の全部が、自分の好きを肯定してくれるような気がする。

だけど、自分の好きなものはもっと恥ずかしいもので、自分の好きなものはみんなが好きなわけじゃない。だから、自分の好きは、あんまり出しすぎてはいけないと思う。

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