破られない記録

19戦15勝2着4回連対率100%で引退
連対率100%で引退した中央競馬のお馬さんの中では一番ではないでしょうか?
そのお馬さんは「シンザン」です。
オジさんが崇拝しているお馬さんです。

聞いたことある人は少ないと思います。
クラシック3冠馬が登場するときに、名前の一覧に出てくる程度で、知っている人はほぼいないと思っています。
血統表にシンザンと出てくるお馬さんはごく一部。


シンザンは当時で800万程度のお馬さんだったかな?
20年前くらいの計算で現在の3600万円程度だったと思います。今でも大差はないと思いますが。
なので、特に期待されていた馬ではありませんでした。
当時の一番手はウメノチカラ、さらにはオンワードセカンドというお馬さんが期待されていました。
勝ち方は派手ではないし、調教でめちゃくちゃいい走りをするわけでもなかったようです。
皐月賞の前哨戦のスプリングステークスでは6番人気という低評価、でも勝っちゃう。
皐月賞、ダービーと一番人気で勝利
圧勝ではないけど確実に勝つのがシンザン。
菊花賞を目指して、ほとんどのお馬さんが涼しい北海道で過ごすのに、武田文吾調教師は冬毛が生えるとエネルギーを消費してしまうという考えから、栗東に残しました。
その年、栗東は記録的猛暑でシンザンは夏バテします。夏バテしたせいで、菊花賞の前哨戦の2戦は2着。菊花賞はそのせいで2番人気、厩舎スタッフの懸命な努力によって、体調が戻り、無事に三冠馬へ。

その後は、60キロ背負っても63キロ背負っても、宝塚記念、目黒記念も勝ち、天皇賞秋に勝ち、一戦挟んで有馬も勝ちました。
昔は一度天皇賞に勝つと出走できなくなるルールがあり春は出てません。
宝塚記念は勝っていましたが、八大競走ではないので六冠とは言われませんでした。
有馬記念は馬場が大荒れだったので、外の外の外の外を通り、外ラチ沿いを走り「シンザンが消えた」と実況で言われました。古馬になってのライバル、ミハルカスと戦い、勝ちました。
海外遠征の話もあったみたいですが、海外で失敗すれば今までの功績が水の泡になると武田文吾調教師は考え、惜しまれながらも引退することになりました。

今で言う、2歳の11月デビューで2年後の12月までに19戦するなんて、今じゃ考えられませんね。
約26ヶ月で19戦なので、ほぼ休みなくレースに出続けてますね。
条件戦走ってるお馬さんみたいに一生懸命走って、トップに居続けた。
凄いお馬さんです。

「皐月賞
日本ダービー
菊花賞
天皇賞
有馬記念
日本の競馬史上にはじめて
五冠の言葉を残した
シンザンよ
シンザンよ
お前が日本のターフに残した
蹄跡は余りに大きく
おそらく消えることは
ないであろう
競馬のつづく限り日高に
サラブレッドの生産がある限り
お前の額の星のように
光り輝くことであろう

武田文吾」

浦河にシンザンの銅像があります
銅像にこの碑文が刻まれています


オジさんは毎年、桜を浦河へ見に行きます
その時に必ず遠目からではありますが
シンザン像を見ます
春は牧場に入ると迷惑になるので
中には入りません
道路を車で走りながら見ます
そして
「シンザン、また来たよ」
って心のなかで挨拶してます


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