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『ふたごチャレンジ! ③ 進め! うちらのホワイト革命』 個人的に身につまされたことなど

※この感想はネタバレを含みます。未読の方はご注意ください。

七都にい先生著『ふたごチャレンジ! ③ 進め! うちらのホワイト革命』を読了しました。

目が離せないドキドキの展開、主人公からクラスメイトまでみんな個性を持って輝くキャラたち、空気の盛り上げ方の見事さなどなど……ふたチャレ③が読み物としてとても素敵であることについても、いずれ記載させていただくかもしれません。
ですが今回は、私が発達障害という少数派の当事者として、それからうつ病の当事者として、共感してしまうところが沢山あったことを、取り急ぎ書かせていただきます。
自分語りや自分を勝手に重ねたような思いも多くて申し訳ないのですが、「こんな立場の大人の読者にも『ふたチャレ』は届いて響いているんです!」という表明として、感じたことを素直に書きました。

読み手の私の状況について
発達障害(ASD、ADHD)の当事者です。
二次障害でうつ病を発症し、仕事をしながら治療を続けましたが良くなりませんでした。
大企業の一般雇用(障害者雇用ではないフルタイム勤務)で働いている間、「意思疎通ができない」「仕事がこなせていない」「障害や病気があるからといって特別扱いはできない」と言われてきました。
いよいよ体調が保たなくなったので、10月末で仕事を辞めました。それからというもの、身体の具合はともかく、気持ちの面ではとても元気で、このように休養の合間に読書も楽しめています。

以下、ふたチャレ③を読みながら感じたことの記載です。

現実の社会の居づらさについて
少数派の居づらさについて、とても説得力を感じたのが、p35の「まわりと足並みをそろえられない生徒」という校長先生の言葉です。今の社会の本音はやっぱりこれだよなあ、としみじみ頷いてしまいました。
現実では、少数派が生きやすくありたいと思うだけで、末端の現場で齟齬や負担が発生してしまうことが、確かに多いと思います。それはきっと本当なら現場の努力や我慢に頼ることではなくて、社会のシステム部分から改善しなくてはいけない問題ですから、難しいのも当然ではありますが……。
インクルーシブ社会とか色々、世界のあちこちで声が上がり始めているのを感じなくはないですが、私も結局職場では「意思疎通のできない困った子」にしかなれませんでしたし、社会にとって自分が生きてても良い理由はやはり見つかりません。(なので今は、「どうせ社会の役に立つなんて無理だから、だったらまずは自分のために生きよう」と開き直っております。)

「否定されること」について共感したこと
p92の、「毎日毎日、保奈美の考えを否定して、少しずつ自信を奪って、ボロボロにしていった」という部分も、辻堂先生がどんなふうに傷付いていったのか鮮明に想像できて、一旦本を置いて息を整える時間が必要なほどでした。
私も働くことが上手くいかない中で、「フツウにできないあなたは間違っている」「あなたの感じ方や価値観が間違っている」「あなたの存在自体が間違っている」というメッセージを(全てを文字通りに言われた訳ではありませんが)、社会から沢山受け取ってしまっていたからです。
誰にも迷惑をかけてなんかいない辻堂先生やふたごちゃんと違って、私は「あなたがフツウに仕事をこなせないことが現場の負担になっている」と明言されたので、社会の中にいると自分でも「自分の存在が間違っているんだ」と感じてしまいます。
そんなふうに自分を否定するメッセージを感じ続けるだけでも苦しいことなのに、辻堂先生は意図的な悪意に晒されて、大切な生徒のみんなを人質にとられるような状況で、どんなに苦しかっただろうと思います。
最後に校長先生以外の緑田小のみんなが、辻堂先生の「先生としての在り方」に賛同してくれて、読者の私もとても嬉しかったです。辻堂先生が安心して帰ってきてくれる日を、一読者の私もゆっくりと心待ちにしています。

心身のしんどさに共感したことと、物語の救い
脳や心が弱っている時の症状として、p89の「いかなきゃと思っただけで吐き気が止まらないほどしんどい」とか、p210の「消えちゃいたいってずーっと考えている毎日」という記述も、共感で赤べこのように頷いてしまいました。
私もリモートワークに中にしょっちゅう吐いては気持ち悪いまま作業をしたり、涙が半日止まらないまま無理矢理作業をしたりしていました。就職活動の時にもう一生分は泣いたと思っていたのに、まだこんなにつらい思いが待っていたのかと、その度に驚いては、あと何回心を殺されれば私は許されるんだろう、と考えました。
ただ、それだけでは終わらないのが物語の良いところですよね。
辻堂先生には、「仕事するのが当たり前」「みんなに合わせるのが当たり前」という価値観しかない人だけではなく、「頑張らなくていい、休んでほしい」と言ってくれる人、西峰さんが近くにいたということです。
いいなあ、羨ましいなあと思いましたし、辻堂先生にせめて味方がいてくれて本当に良かったです。
あかねちゃんたちも、自分たちの想いを伝えるだけではなくて、辻堂先生の今の状況を立場が違うなりに一生懸命理解しようとして、辻堂先生自身のことを一番尊重してくれていましたよね。
いいなあ、良いことだなあ、という思いで一杯です。
私の職場の人はみんな親切でしたが、そこまで考えが及ぶ人、自分の当たり前の価値観から抜け出して私の味方になってくれる人はいませんでした。
物語の中だけでも、そういった、相手を尊重することで大切にしようとしてくれる人たちがいるというのは救いだと感じました。
また、もし理解されにくいことで困っている誰かがいたら、私も、その人にとってはどうなのかを尊重できる人でありたいと、改めて願いました。

「尊重されないこと」について共感したこと
p115の「うちらの意見なんて、どうでもいいんだって思い知らされた」という部分にも、強く共感しました。
前述のように、私の周囲には私の感じ方を尊重してくれる人がいなかったこともあって、社会にとっては私の気持ちなんて気にかける価値もないんだな、とずっと感じていました。あくまでも私を「社会に馴染ませてあげよう、みんなと同じ土俵に立てるようにしてあげよう」と手を貸してくれる人ばかりでした。しかしそもそも、私は無理して我慢してまでみんなと同じように振る舞いたい訳ではありませんでした(そう取り繕う能力すらなかったのですが)。
けれど、自分と同じやるせなさを知ってくれている誰かに、こうして物語の中で出会えるだけでも、痛みを分かち合ってもらえるような思いがしますね。

見習いたい点…「自分で考えて選ぶ」ということ
私はこの年齢になってようやく、自分の人生を、自分で考えて選ぶということが、少しずつ分かってきた気がしています。
私はたまたま勉強が得意だったのでたまたま好きな学校に行き、社会で働きたくなんかなかったのですが、大体の人がそうしているからという固定観念で大きな会社に渋々入っただけでした。
それもあって、この社会で上手くやっていくチャレンジに途中から挑もうとして、見事に失敗したのだと思います。それは私にはできないことだと諦めました。自分を殺さないために、諦めたことを間違った選択だとは考えていません。
今は、「社会との接点をできる限り減らして、『社会人として』なんかではなく、自分として生きたい」というチャレンジを始めたところです。
きちんと自分で自分の進みたい道を考えることを、今まであまりしてこなかったと、仕事を辞める決意をした頃に初めて気付きました。人と違う道にチャレンジすることはとても勇気が要ることだと、私もようやく分かり始めました。それでも、やってみたいと思います。
あかねちゃん、かえでくん、そして学業をしながら作家との両立にチャレンジされているにい先生も、大切なことを既にちゃんと実践していて本当にすごいなと感服します。
だから、これからもし勇気がなくなりそうな時は『ふたチャレ』のことを想って、物語の向こうに味方がいてくれるんだ、と思わせてもらいたいです。

おわりに
今回ふたチャレ③を読んで、私は自分のつらかったことを色々と思い起こしましたが、この読書体験自体がつらかったということは決してありません。
むしろ、共感するキャラクターや共感する思いが報われたことで、過去の自分をも少し救ってもらえたような、嬉しい気持ちを感じています。
それで、ふたチャレ④⑤のふたごちゃんのお守りしおりを、絶対に買いに行くと決めています。私は今、自分として生きるチャレンジの一環として、自分なりの小説をひとつ書き上げてみたい、という大切な夢を持っています。お守りしおりでにい先生とふたごちゃんのパワーを分けていただければ、小説執筆において、こんなに力付けられることはありません。

最後に、Twitterに投稿したイラストをこちらにも掲載させていただきます。ふたチャレ③を読了済の方なら共感していただけるかと思いますが、吉良くんカッコよすぎでしたよね……!

ファンアート 左から春葉ちゃん、沢渡さん、真壁くん、吉良くんです

改めて、七都にい先生、ふたチャレに関わっておられる皆々様、ふたチャレ③を届けてくださってありがとうございます。

物語の中だけでも、どうかセカイが、どんな個性の人にも息がしやすくありますように。


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