遊ぶ理由
はっきりって毎日遊んでいる生活だと思います。と言ってリタイヤとかセミリタイヤと言うつもりはありません。それでも僕は大阪駅の周辺で歩きまわっておいしいランチを食べて学んでいます。
問題を解決しようとしなくなったからです。
苦しみや憎しみをそのまま受け入れてただただ体験していると言う具合です。
いろいろな問題を解決してきたつもりですが、問題を解決することが目的でも正解ではないようです。
問題によって生じる痛みとか苦しみこそが意味のあることなのだということに気づきました。
だから問題の周囲にある加害者を特定して恨んでみたとしても何の解決にもならないし成長にもつながりません。
おそらく最後の最後に悟ることができればこう思うはずです。
何もする必要がなかったと。
ではなぜ苦しんだり辛くなったり悲しんだり恨んだりするのでしょうか。
何度も何度も同じ目に合わされそれでも復讐することもできず恨むことも許されない。
もしそのような境地まで達することができたのならば、もうゴールは目の前なのかもしれません。
なぜならただただ苦しんでいる状態を体験したからです。
その苦しみを体験していることこそが意味のあることなのです。
後はこの世界をどのように楽しむかと言うことに集中するようになります。
例えば結局のところ健康が1番大事だから体を大切にしてメンテナンスしてトレーニングして人生を楽しめるようにしようとか。
無理に贅沢をして楽しんだふりをしていることに気づけば、コストパフォーマンスの良い楽しみ方をして通訳をしながら今までの何倍も楽しむことができたりとか。
だから僕は毎日運動してお風呂やサウナに入り健康に留意しています。
おいしいお昼のランチを食べに行き、本を読み勉強しています。きれいな字を書くための練習を毎日しています。
それができるのも苦しみや憎しみ、恨みやつらみなどが毎日僕を襲ってくるからです。でもそれをネガティブにする前に自分を楽しませて逆に感謝してやろうと思いこのような行動しています。
ありがとうございました。
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