ヒトカラ歴40年

私が高校3年生17歳の時に両親はカラオケスナックをオープンさせたのです。その当時のカラオケは8トラックと言って今あるような通信カラオケでもレーザーディスクでもありませんでした。
マイクは有線で歌詞本を譜面台の上に出さなければいけません。
お客様はそのほとんどが歌をあまりうまく歌うことができないので、つまり音痴だったので横で私がなんとなくメロディーを真似て歌ってあげなければならなかったのです。知らない音楽でもカラオケの中にリードと言ってメロディーが大きくなるのでそれに合わせて横で一緒に歌ってあげると言った始末でした。日曜祝祭日はお店は休みだったので、これが私の1人カラオケの始まりです。
大学に入ってからもカラオケのバイトをしていました。結局5年間かかって卒業して東京でファミコンのメーカーに就職しました。その後また大阪に戻り自営業でそれなりの成功しました。
この頃から1人で遊びまわるのが私のお気に入りの行動になりカラオケやビリヤード、キャバクラや風俗、スナックなど遊び放題でした。 40歳を超え1人でカラオケ行く機会が増えもっと上手くなりたいなぁと言う思いが大きくなってきたのです。そしてカラオケの教室やいろんな歌の先生のところに習いに行ったり歌を聴きに行ったりしました。シャンソン8カンツォーネだけでなく演歌や詩吟、民謡いろんな歌の歌い方を習ったのです。カラオケを楽しむことが基本ですから何か1つジャンルを絞ると言うことなく気に入ったらその歌を覚えたいがためにその先生のところに習いに行くといった具合でした。このときのことが後になって格段に歌が上達する礎になったことは間違いありません。1週間に5回位は1人でカラオケに行き5時間ぐらい歌っていました。いろんなカラオケのステージの上で歌う事ができるようになり、人前で上がって歌えなくなると言うことがなくなりました。結婚式で歌って欲しいとかカラオケ大会の司会をお願いされたりとかいろんな依頼を受けました。カラオケ喫茶と言うのはステージがありスナックで歌うカラオケとは違い緊張するものです。キャバレーで歌うカラオケは大きなステージで歌います。とても緊張していい気持ちです。1人でカラオケを練習していたからこそ緊張せずに歌えるのだなぁと言うことがその時わかりました。そんなこんなである時有線放送の会社の部長さんが合わせたい人がいると言うことでカラオケの発明者井上大輔さんに会いました。そしてびっくりしたのはその井上大輔さんの生まれ育ちが阪急十三の駅前の商店街であったと言うことです。
という事はカラオケの生地は阪急の十三駅の前の商店街にあると言うことになります。それからいっそうカラオケに対する情熱が深まりカラオケに関することだけでなくこれからのカラオケ産業と言うことに対して興味を持つようになりました。個人が経営するカラオケの店と言うのは衰退傾向にありますが、個人が楽しむカラオケはまさにこれから流行が始まるのではないかと思えるのです。歌が上手くなる方法の1つとして発声法があります。YouTubeを見ればたくさんのボイストレーナーが発声法を無料で教えてくれます。自分の歌った映像などもYouTubeにアップすればいろんな人が見てくれます。著作権の問題などもありますが、おそらくこれからどんどん緩和されていく方向に行くのではないかと考えています。実際YouTubeにアップしても収益化にはならないけれども違法ではないと言う所になりました。1人でカラオケをすることによって健康に対しても大変良い効果が現れることがわかっております。上達するためには歌詞を覚えたりメロディーを覚えたりするのですが、その時良いホルモンが出て若返ったり認知症の予防になったりするらしいです。みんなで遊ぶのも楽しいのですが、男性の場合50歳を超えると1人で遊ぶ機会が増えてくるはずです。そんな時1人でカラオケを選択肢の1つに入れてみてはいかがでしょうか。

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