親友よ

親友と自分からは言わない。
実際にそういう状態のときは
心がしっかりつながっているから
発言する必要もないから言わない
そんなことより好きだなって思ったり
感謝した瞬間にすぐさま愛を伝えればいいじゃないか。ありがとうって。
真実の気持ちは建前の言葉より
立体的で現実に素直だ。
つたなくてボロボロでもいいじゃないか。美しいと思うよ。

さいきん感じたのだが、相手から
親友よ!と、高らかにいいはじめる
ひとたちはしばらくすると
いなくなる周りから
なぜなら親友よ、と
親友がいない自分が不安で不安で
仕方なく作り上げた幻想の場合が多いからだ。(もちろんそうじゃないときもあるだろうけど)

”親友じゃないですヨ

と言えればいいんだけどね。

ぼくももっと素直にハッキリと

あるがままに生きたい。

人間は勝手に期待し、勝手に幻滅し、勝手に嫌いになる。自分がかわいくてかわいくて仕方がないのは誰でも同じだが、ただ誰かのせいだけにしてしまうこと。それはきっと暴力だ。みんなどこか罪だし、きっと正義だ。

例えば”愛してるよ”といった際に
文字や言葉をただそのままに追いかけるとそのインスタントな快楽にやられる。

やはり言った瞬間は言葉の美しさに酔う。だけどその中身がないといつかその
しっぺ返しが起こる。気持ちに足場がなかったのだと。それでも傷つき傷つけあい諦めずずっと進めば自分だけの愛がきっと起こると思う。

たまにみる綺麗な愛は一見グロテスクだ。きっと真剣に生きていたら綺麗なままじゃいれない。だから大丈夫。

さいきん嬉しかったのは

全てを燃やし尽くしてでも燃焼させて感じたい愛情があるということだ。

2015.5.7

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