ずんたん時間 蒼波純・私家版写真集がヤバかった。

蒼波純さんのお母さん(以下、蒼波・母)から蒼波純・私家版写真集をいただきました。

いただいた写真集は

月刊ずんたん1~2

5月特大号、5月増刊号、ってことは4月や3月の分もあるのか?
どっかに出かけてる写真が多くて、公園でのロケなども収録。
個人的には『まどかマギカ』のキュウベぇのぬいぐるいみと写ってる写真がいい。仮に今後、アニメの評論本を出す時があるとしたら、是非とも使いたい一枚。

ずんたんもぐもぐ写真集1~3

 蒼波さんが延々、ご飯を食べてる写真だけが延々と続くもの。ひたすら食べてて、時々すごくだらしない顔(良い意味で)が混ざってるのがお得な気持ちになれる。
 あと、女の人が食事してる場面、もっというと口の中に食べ物を入れる場面って中々見れない印象があるので、すごく貴重なものを見せられた気分。食事中に撮影することが多いんだろうけど、娘がご飯食べてる姿が一番多いってのは、うまく言えないけど母親の視点ならではだなぁと思う。
 写真って被写体とカメラマンの関係が出るものだと思うけど、それが食事の場面には一番出てると思う。実際は全然違うんだけど荒木経惟の写真を見てるみたい。

ずんたん時間1~7集
 

一番写真集っぽい。去年撮影されたものが中心で、芸能活動のオフショット(拙著『キャラクタードラマの誕生』の撮影場面もあります)が多数収録されてる。あと今は見れないBLOGやタンブラーの画像も、携帯ゲーム端末を持ってる姿が絵になるのは、今の時代の組み合わせだなぁと思う。文庫本を読む少女ってアイコンは昔多かったけど、今はゲームだな。

 小学生卒業の謝恩会?の画像も多数収録されており、タイトルのとおり、蒼波さんが変化してく感じがわかる。 

おやすみジャンけん大全 1集

ツイッター名物、蒼波純の「おやすみジャンケン」の写真集、先に自分の出す手を決めてから、ページをパラパラめくってランダムに開くと擬似ジャンケンが楽しめる。

の合計4シリーズ。

サイズは文庫本サイズで一冊一冊は短いんですが、この分量をまとめていただいたので、荷物を明けた時は発狂しそうになりました。ほとんど読むドラッグです。

ここからは長い余談というか考察(読み飛ばし可)。

本来、蒼波・母さんが、私家版で作った世に流通してないものについて批評めいたものを書くことの意味ってなんだよと思うのですが、こうでもしないと、ちょっと自分の中で湧き上がったモヤモヤとしたものが成仏しないので、いちライターとして、この写真集を見た時の気持ちを言語化して
みたいと思います。

 蒼波純(当時は青波純)さんに関しては、実はミスiDのオーディションの時は見逃してたというか、こういう人もいるんだなってくらいの距離感だったのですが、タンブラーを筆頭とするウェブに挙げられていた膨大な画像と毎日、写真爆撃がおこなわれるツイッターに衝撃を受けた後は一気に引き込まれました。今はもう見れないんですけど、タンブラーの写真を下っていて過去の映像までたどっていくと、一人の女性の人生(といっても幼少期から~小学生までだと思うんですが)をこれでもかと見せられた感じがして、何だかすごいものを見たなぁと思いました。

 もう一つ思ったのは被写体としての青波純も面白いのですが、彼女を撮影する写真がすごく自然で、あざとさがなかったことです。

 もちろん、ゴスロリの服とか着てたりする写真もあるんですけど、それは彼女にとっては日常の一部でしかなく、普通ならよく取られようとアングルや表情に気を使うはずなんですけど、そういう意図が感じられない、素の表情をとらえた写真が膨大な量あるわけです。

 それらが一つの連なりになって、こっちに迫ってくるのですから、何だか消化できないヤバイものが残るわけです。2013年に見たコンテンツの中では一番やばかったです。

 あのタンブラーを見た時のヤバイ感じが、この13冊(まだ増えるらしいですけど)の写真集には、閉じ込められてるわけです。
 
 この写真集というか、お母さんの膨大な量の写真爆撃は、ほとんどお二人の共同制作によるメディアアートみたいなものとして捉えてるんですけど、それだけに、ビジネスでやってるわけじゃないので、いつ終わってもおかしくない危ういバランスの上で成立してるわけです。
 実際、ネットでの発表はツイッターのみで活動は縮小してるわけで。それはまぁ、女優としての芸能活動を中心に添えるとなると仕方がない選択とも言えるわけですけど。ただ、逆に言うとこれだけの作品が残って、ネットにも残存してるんだったら充分かとも思うですけど。

 と、同時に質と量が反転してるというか、膨大な量によって作品のクオリティが成立してるって意味ではすごくネット的だなぁとも思う。近いのは神聖かまってちゃんの動画配信とかアイドルのユーストみたいなものだけど、それを写真というメディアで行ったことが画期的というか。ちなみ撮影はiPadで撮りまくってるらしいです。だから、あの画角なんだろうな。

 ネット以前だと、プロが厳選した写真の一部が雑誌なり写真集にまとまることで、作り手の想定したイメージを受け手に伝えるってものだった。つまりある種の“編集”がおこなわれるものだったんだけど、今は無編集のものをそのまま世に出すことが可能で、ほとんど呼吸をするように写真や動画を撮ることでライフログのようにすることができるわけです。

 もちろん、本人たちとしては、これでも編集、厳選してるのだろうけど、写真を見ていると光の加減が甘いものとかおかしなアングルのものもあるんだけど、それがすべてプラスに働いてる。

 たぶん、印象としては『けいおん!』みたいな日常系アニメとか萌え4コマの延々と続くものを見せられてるのに近い。

 一瞬をフィルムに刻み付ける映画よりは、ダラダラと日常を撮っていって被写体といっしょに成長してく『渡る世間は鬼ばかり』みたいなテレビドラマに近い。もちろん、これをより徹底すると親が子どもの運動会を撮影するホームビデオ的なドキュメンタリー映像になるんだけど、そこは被写体の特殊性というか、蒼波・母は、あくまで娘さんをアイドルとして撮ってるわけです。

 やや、余談になるのですが、少女を被写体として撮るってアプローチには映画でいうと大林宣彦型と相米慎二型がある。大林型は人形(オブジェ)として撮るから人工的になり。相米は動物として撮るから生々しくなる。写真でいうと篠山紀信が前者、荒木経惟が後者。

 多分、蒼波さんの面白さは、オブジェとしての少女と、動物としての少女の二つが内在してるからだと思うんだけど、残念ながらアラーキー的な動物性を作品化できてる人って蒼波・母の写真しかないわけですよね。
 僕の本の表紙も、基本オブジェ志向(ただ予想外に生々しさも出ているのが面白いんだけど)で、他のいくつかの写真集を見ても、わりと表情がないタイプの造形の良さがそのまま放り出されてるものが多い。

 それが個人的は悔しいんですよね。表現としては絶対、蒼波・母のアプローチの方がネット的ですごく先端をいってるんだけど、それを作品に反映できるクリエイターが今はいないというか。このあたり、今後ウェブ初の映像表現がどのように商品化されて映画やテレビドラマに影響を与えていくのか分岐点になっていくのではないかと思います。

 そういう意味では凄まじい写真集でした。続き楽しみにしてます。 

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