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自分。

SNS断ち 3日目

…正確には今朝一瞬だけ見た。
何かすごく呼ばれたような気がして…。
そしてそこで目に入ったそれをパッと開いて見て、で、本当にその一つだけを確認してからすぐさま直帰した。(直帰って何よやけど笑)

それは優しい更新で、私はそこからたしかに優しさを感じ取ったのだけど。

なんか私、おそらくは今少し心が弱くなってしまっていて、何かを信じるのが恐いのかもしれないな。
信じて大丈夫なのかなぁなんて思ってしまったりしている。

最近スピリチュアルな話をたくさん書いてて、ちょっと精神世界note化しつつあるけど、今日もそんな話を。(苦手な人はここまでで…)

私は普段あまり自分の内面を掘り下げて検証したりとかはしないタイプで、なんなら鏡もあんまり見ない。
でも時々、今みたいな不調や混乱が起こった時には少し自分を捉え直すというか、この状態を俯瞰してみて色々気づくことがあったりする。

この前、私は自分と他者の心の境界が曖昧になりがちで、それがゆえに自分に対して向けられた嫉妬や妬みの感情がめちゃくちゃ怖いと書いた。
それがなんでそんなに怖いのかを少し考えてみて気づいたのが、たぶんその感情が本来の私の中にほとんど無いからなのだと思う。
これは別に自分を美化したいわけでもなんでもなく、本当にその部分が私は昔から希薄な気がする。

子どもの頃に遡ってみてもそうなのだけど、誰かの何かをことさらに欲しいとか羨ましいみたいなのをあまり思ったことがない。
問題視されるほどにマイペースな子どもで、自分の時間軸で自分の世界を生きていたし、それがおかしいとも思ってなかった。
もっとみんなと遊ばないとダメだよとかもっと積極的にとか言われても、なんでそれをしないといけないのかなぁという感じで、ずっとボンヤリしていた。
朝のドッジボールが嫌でサボり続けて毎日のように遅刻し、ホームルームで反省させられても平気だった。
それで虐められたりしてたら自分はダメなんだと良くも悪くもそこから相対評価軸が発生したかもなんだけど、案外そのまま放置されてきてしまい、周りもこの子はそういう人間なんだとみなしてくれていて今に至る。

もちろん中高生のときにはもっと強烈な周囲からの同調圧力みたいなものを受け取ったし、軽く仲間外れにされた場面なんかもあって。
でもなんかそれでも自分の納得できないことややりたくないことはやりたくなくて。
それをするくらいなら嫌われた方がマシと、いつもそちらを選ぶタイプだった。
ただ、社会人になってからはそんなところを猛烈に叩かれて、組織のなかの序列やそこで流れる空気を読んで従うことを強要され、一応頑張ってはみたんだけど…やっぱり私には無理で。苦笑
そこから離脱しての今だから。
(でも今は昔に比べたらだいぶその辺はうまくやれるようにはなった。…はず。)

なんかわりと普通とは違うことも人生で起こりがちだし、でもそんなこともあるんやなぁみたいな。
私の人生ってこうなんやな的な。
何か優れてるとも思わないし、不幸だとも思っていない。
自分にあるものはあるし、無いものは無い。
それは幸とか不幸とかじゃなく、縁の有無なだけな気がする。
誰かにあって自分にそれが無いのは単にそのものと自分の縁が薄いだけだと感じる。
それだけのこと。
だからなんか…妬むみたいなのは感覚的にないし、思ったとて仕方がないみたいな気持ちもある。

そう、で、話が戻るのだけど、その、嫉妬や妬みの感覚を受け取った時に何が起こるかって、自分の心の中でまるで自分自身が相手を妬んでるみたいな気持ちに苛まれることがあって…。
自分の中には無かったはずの感覚が自分の意識のように感じられるみたいな。
え、私こんなこと思ってたのかな?みたいな。
いや、そんなはずないのに、なんかわからなくなってしまう瞬間があったりして…。
それが本当に怖い。

…全然上手く言えてない気がするし、たぶんほとんどわかってもらえる気もしないのだけど。

たぶんそういうときこそちゃんと線引きすることを意識して、相手の感覚と自分の感覚を切り離す、受け取らないようにすることが必要なんやろうなと。
自分と他者の感覚を混ぜない、切り離す。
これは私の感覚じゃないと明確に意識する。

少しまた自分について学んだ。

…という、およそ誰にも理解されえないような話。(たぶん本当に意味不明だと思うけど、自分の中ではまとまったので書いた。読み流し推奨)


寝ます。(実は今日も寝てたんだけども。笑)



明日もきっと良い一日。


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