見出し画像

続 疲れた。

こんなタイトルで書くなよかもだけど。苦笑
でもここは私のnoteだから。(noteさん、場所を貸してくれてありがとうございます。)

さっきの記事でおちょくられることについて書いたのだけど、自慢じゃないけど本当ーに私はよくおちょくられる!
おちょくられやすい!苦笑。
遡れば小中学生の頃まで行きつくけど、ずっと私の頭を叩いてくる男の子がいて。
私はその子のことがもうめっちゃ嫌いだったんだけど、なんでそんなことするのかって聞いたら、「オマエの怒ってる姿がオモロいねん」と。

その後もなんか茶化されるっていうか反応見て楽しまれるみたいなんがよくあるんですよね。
なんやろうね、これ。
何でもかんでも真に受けて無駄に一生懸命怒ったり悲しんだりしてるのが可笑しく映るのかな。
大人になってまで馬鹿みたいに、ダサッ…みたいな?
まぁそこは反論のしようもない。
実際大人らしい大人ってもっとスマートだもんな。
なんとなくの空気を察して、直接的な表現は避けて…
私はそんなの無いから。
いつも真ん中からぶっ込んで普通にまっすぐ傷ついて。毎回毎回。
たぶん普通は、傷つかないようにもっとうまくかわすんやろうな。
気づいてても気付かぬふりをしてみたりだとか。

…できない。苦笑。
それをやる意味もわからない。
なんか自分に嘘をついてるみたいで気持ち悪い。
でもこんなんだからおちょくられる。
そんな気がする。

もう本当に、いっつも、つまるところおちょくられる。苦笑。
こんな自分を私は時々やめたくなる。



なんかそんな悪いことしてるのかな、私。
普通に働いて、自分なりにいろんなことに頭を悩ませながら生きてるだけなのに。
誰かを貶めたりもしてないよ。
意地悪だってしない。

四季折々の花を眺めて歩くのが楽しみで、時を忘れて南極や知らない地のことを考えてみちゃったりなんかはしてるけど。
あと何がある?
くだらないYouTubeや動画を見て笑ってること?
音楽への感想を無駄に熱く語ってること?
いつも気づけば寝てたとか、そんなんかな。
私の一体何がそんなに面白いんやろうな。

心が折れそうなとき、昔書いた文章を取り出して読んでみる。
今もなんとなく探してみてて。
そしたら29歳の頃の私がこんなことを言っていた。

以下、過去に書いたものからの引用。↓

"
人間の思考なんて簡単に操作されて洗脳されてしまう。
「これはこういうもので、だからすごいんだ」って、誰が言いだしたのかもわからない得体の知れない知識が一体どれだけあるか。
ずっと、小さいころから刷り込まれてきた、”自明な”ものたち。
もし、そういう嘘っぽい知識の一切を頭の中から取り除いてみたら、残るものは何やろう。
こういうの考えるの、馬鹿みたいって思わないよ。
息をするのと同じように湧き出てくる疑問を無視して、それでいいとは思わない。
そんなのはイヤだ。

人の手のぬくもりとか、どうしようもなく心動かされる音楽とか、
本音のぶつかりあいとか、そこから生まれる信頼とか。
周りを見渡したらちゃんと見つかる。
だから悲観はしない。

むしろこんな話をできること、結構幸せやとも思っている。
温かい豆乳鍋でおいしいお餅を食べながらとかやと、なおさら。

"


昔の自分が悲観するなと言うから頑張ってみよう。大丈夫、大丈夫。(と、自分を鼓舞)

また別の日の記録も。
これは今してる仕事の資格をとるための学校に通ってた時にあった子どもたちとの演習の話。

以下、引用。

"
子どもたちと遊ぶ演習が終わった。
久しぶりに遊んだ子どもたちは少し発達が遅れてるといわれる子たち。
でも、遊びの中でその子たちなりの面白さや楽しさをたくさん見つけてくれて、
それがすごく嬉しくて、楽しかった。

問題行動ありとか、扱いにくいとか、そう思われてる子どもたちがいる。
でもそういう子ほどかわいいと思うのはなぜやろう。
こちらの声掛けに応じてくれず、期待していたような反応が返ってこないことも多い。
でも、全身で自分の思いを表現しているのがわかる。
私たちはつい、目に見えるもの、耳に聞こえるものばかり信じてしまうけど、
声にならない思いや、目に見えない気持ちはいっぱいあるのだ。
そういう大事なことに、いつも気づかせてくれる気がする。

ある子が勝手にドアを開けて出ていこうとしたとき、そっと後ろから体を抱いて、ねぇみんなあっちで待ってるよって声を掛けたら
ドアノブから手を離し、すんなり輪に戻ってきてくれたりする。
そこでもしもイヤイヤってしたなら、それはその子に問題があるのではなくて
おそらくは”輪”の方に問題がある。
受け入れられてる安心感があれば、きっと戻ってくる。
あなたのことをみんな見てるよ、あなたは歓迎されてる存在よって。
そういう温かい空気のあるなしで変わることは多い気がする。

本当に、どんな子もみんな可愛い。
今日の遊びの演習は授業なのに、マジックミラー越しにギャラリーがたくさんいるのを忘れて、気づけば自分が楽しんでしまっていた。
失敗しても、自分勝手に振る舞っても、幸せな笑顔を見ると全部チャラになってしまう。
それはダメよって叱っても、話を聞いてもらえなくても、嬉しそうに笑っているのを見たら、まぁいいやって思う。
子どもの笑顔は無敵だ。

今日、体は疲れてるはずなのに、不思議と、あぁー疲れた!って感じがしない。
なんとなく心地よい気怠さ。
とりあえず、ホッとひといき。

"


このときも私は私でそれなりに頑張ってたやん。
失望しないで、私よ。
いけるー。負けるなー!折れるなー!(自分で自分を鼓舞。二回目)


でも願わくばもう少し平穏な気持ちで暮らしたい。
本当にもうこれ以上は…心が形を無くしてしまいそうになるから。
神様に祈るような気持ち。

さっき引用した記事の最後にピアノマンのYouTubeリンクが貼られてたから聴いてみようかな。
心が落ち着く曲っていう昔の自分からのメッセージあり。


今久しぶりに聴いたらやっぱり大好きな曲だった。
ビリージョエルにありがとう。
これから毎日聴く!

…て、またこんなところがダメなんかもな。苦笑
でもいいや。
こんなふうにしかできないし。


折れない心。自分で自分を鼓舞。(三回目)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?