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自分の世界観を磨くこと。

ストレングスコーチの亜希さん(https://coach-liberte.com/)と、kyanaさん(http://strengthfinderfan.seesaa.net/)と、「世界観」をテーマにお話をしました。トークの中で出てきた気付きについてお話しします。

世界観って何?

「世界観」って、何でしょうね。

かなり抽象的なテーマですが、この一言で「私にとって、世界観とは~」と語りだせる人もいるかもしれませんね。

僕は、このテーマを最初に渡されたとき、「うーん???」、ってなりました。
続いて投げかけられた問い、「じゃあ、世界観を感じるものは?人は?ことは?」に対して頭をよぎったのは、物語の世界。
たとえば、魔法のある世界での魔法の成り立つ理屈、SF世界の異星人の外見、ジブリアニメの表現から感じるもの、それらが、世界観かなあ、と。

かなりふわふわしてますね。
書いてみて、改めてそう思います。

実際のトークでは、もう少し具体的に、ということで、例を挙げて話を進めてくださいました。
それは、「ディズニーランドに世界観を感じるか」です。

ディズニーランドの世界観

皆さんは、ディズニーランドに世界観を感じますか?
はい、と言う人は、どんなところに世界観を感じるのでしょうか。

トークで出てきたのは、ディズニーアニメを現実世界に忠実に再現した建物の造詣、細部まで緻密に作りこんだアトラクション、園内の雰囲気を壊さないよう教育されたスタッフたち、などでした。
共感できるところ、うなずけるものはありますでしょうか。

他にもこんなところがあるよ! とおっしゃられる方は、きっとディズニーランドが好きなんですよね、すごく素敵です。

正直に言って、僕はそこまでディズニーランドが好きなわけではありません。ディズニーアニメへの思い入れがあまりない、ということかもしれませんが。
そんな僕も、ディズニーランドには世界観を感じます。
ディズニーランド経験の浅い僕は、トークに出てきた内容を体験に染み付かせてはいないので、深く共感するということはありません。
けれど、これらの言葉から感じる共通した意思に、ディズニーランドの世界観の根底を感じるのです。

それは、「来場した人をとことん楽しませたい」という、ランドの強い想いです。

世界観≒コンセプト

「え、それって世界観? むしろコンセプトじゃね?」と思われた方、僕もそう思います。

そして、世界観とは、コンセプトと通じるものがある、と思っています。

カタカナ語なので、三省堂さんの日本語定義を載せておきます。

「コンセプトって、どういう意味?」
→全体を貫く「基本的な概念」のことです。
(「ことばのコラム 10分のでわかるカタカナ語」より)

ちなみに、日本語で言い換えるなら、「基本概念・基本発想・基本思想・基本理念」だそうです。

試しにことばにしてみましょう。
ディズニーランドのコンセプト。
・ディズニーランドの基本概念
・ディズニーランドの基本発想
・ディズニーランドの基本思想
・ディズニーランドの基本理念

どうですか?ディズニーランドの「世界観」の根底に、「コンセプト」がありそうな気がしませんか?

僕は、ディズニーの熱烈なファンではありませんが、ディズニーランドの雰囲気は好きです。
その理由はまさにこれ、ディズニーランドがもつ世界観(≒コンセプト)の、「人をとことん楽しませたい」に共感するからです。

さて、「人」に戻ります。
あなたの世界観はどんなものでしょうか、の問いを、上の言い換えに当てはめるとこうなりますよね。

あなたの「基本概念・基本発想・基本思想・基本理念」って、どんなものでしょうか?

さらに言い換えます。

あなたは、どんなあり方で生きていますか、生きたいですか

深いですね。そしてなかなかに難しい問いです。
僕はそう思います。

自分のありたい姿、ありたい生き方、もしそこにたどり着ければ、日々を、一瞬一瞬を充実して過ごせるかもしれない、そう思えるもの。
僕も見つけ出したい、と心から願うものでもあります。

じゃあ見方を変えて、「いまあなたは、どんなあり方で生きていますか」はどうでしょう。
さかのぼって言い換えれば、「いまあなたは、どんな世界観を持っていますか」でしたね。

これは実は、だれもが普段から表現しているものだ、と僕は思います。

世界観≒感性

世界観トークの中で、亜希さんがおっしゃっていたことです。

世界観を持っている人は、感性が育っている人。人の話や出来事に触れたとき、そこから何を感じ、何を取り入れて、何を考えるのか、を意識している人」(ちょっとうろ覚え)

僕たちは、人の話を聞くとき、出来事に触れたとき、自分が取り入れたいと意識的・無意識的に思っているものに焦点を当てています。

「いい天気ですね」と言われた時、太陽を見るか、青空を見るか、そよ風を感じるか、かすかな花の香りを思い浮かべるか、人によって違いますよね。
そもそも、いい天気だと思わない、と言うこともあるかもしれませんし、その判断も何を基準にしているか、も人によって違います。

亜希さんがおっしゃっていたのは、その人の世界観は、こうした知覚に対する反応に現れており、この自分の反応に対して意識的であり、自覚が強い、ということなのではないかと思います。

とてもよくわかる感覚です。
そして、受信がそうであれば、発信もまた、そうであると思います。

つまり、「その人の振る舞いの中に、その人の世界観が現れている」、ということです。

それはたとえば、今回のトークの中で、僕が語ったこと、その内容、その話し方、身振り、すべてに、「僕の世界観」が表出されていた、ということでもあります。

僕が、自分自身を偽った表現をしていなければ。


世界観の「磨き」方

自分の世界観は、外側の情報の受け取り方に表れている。
また、同様に、自分の発する言葉や態度にも表れている。

そう定義したとき、僕は、僕自身の世界観の磨き方は、

人や世界と関わること

だと、改めて思うようになりました。

世界観を鏡だと考えたとき、それを磨くには、研磨道具が必要になります

そして、自分の世界観の研磨道具は、他の人の考え方だったり、他の人からは自分がどう見えているのかのフィードバックだったり、受け取った情報から自分は何を得て、何を考えたのか、という思考経緯の確認だったりするのではないか、と思うのです。

これまで生きてきた中で、僕の世界観は僕の中に培われています。
人や世界との関わりを通し、僕自身の世界観を自分で見えるくらいまで綺麗にするには、少しずつ丁寧に研磨を繰り返していくことになりそうです。

そして、それが「言葉」の介在を必要とすることを考えたとき、自分の発する言葉と、相手が渡してくれる言葉に、より自覚的になろう、と思いました。

正直であること、素直であること、丁寧であること、
そして、感謝すること。

自分の世界観を大切に磨き上げるために、常に心に留めておきたい態度です。

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