コストの考え方@ギガスクール構想について思うこと
最近、「お金」について考えることがよくある。
そんな中、息子が毎週持ち帰るようになったタブレット端末をみて思う。
「あぁ、これは障害のある子どもたちの中でどれだけの子どもが使えるのだろうか・・・・」
タブレットを導入するにあたり、できるだけ「安い」端末をとなるのは発注する台数が多いのだから理解できる。だが、ハードにコストをかけなかった結果、それによって学びの機会が奪われてしまう子どもがいたり、彼らの教育保障のためにかかる教員の人的コストを考えれば、1台あたり数万円高いけど「誰もが使える端末」を選ぶべきだったのではないかと。
見積書ででてくる数字だけでこういうことは判断してはいけない、その先にかかるトータルコストまで考えて選ぶべきだったのではと。
欧米や韓国などに比べたらかなり遅れている教育のデジタル化。だからといって、焦りすぎ、急ぎすぎていたずらに現場を混乱を招いてしまってはただでさえ忙しい教育がたちゆかなくなってしまうのではと気がかりでならない。
それにしても、タブレットを含めて金曜日に持ち帰った息子の荷物は9.2kg!ちょっとこれは体に悪いのでは?と母は心配なのであった。
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