「安心してください」

こんにちは、からしたね子です。

「安心して下さい、はいてますよ。」
という芸の面白さは、
どこにあるのでしょうか。
考えてみれば、最初からこの芸人がパンツをはいていることはわかっているのだから、
この
「安心してください」
という言葉は不要なわけです。
その時それを見ている人は
決して安心感が欲しいのではなく、
逆にはいているという安心感の下に、どうやって不安感を感じさせてくれるかに
期待をしています。
つまり「はいてないように見える不安感」が欲しいのです。

こういうことは世の中に結構あります。
赤ちゃんをあやす時の「いないいないばあ」にもその心理が働いていて、一瞬母親がいなくなったという不安感の後だからこそ
「ばあ」と言った時の嬉しさがあるわけだし、
バンジージャンプなどの絶叫系アトラクションは、絶対死なないという前提の下に、
死にそうな不安感を感じることが出来るからこそ、終わった後、無意識的に
「生きてて良かった」という安心感が得られて
またやりたくなるんじゃないでしょうか。
(もちろん、そんなに深く考えてないという人もいるでしょうが・・・)

私たちはこんな風に擬似的に不安と安心の間を行ったり来たりしてキャッキャと喜んでいるのですが、これが実際の人生となるとそうはいきません。
ジェットコースターのように浮き沈みの激しい人生は、一部の人を除いては万人が好む人生ではないでしょう。
私も若いときは「退屈は死だぁ!」なんて思っていましたが、
今では平凡が一番だと心から思っています。
安心を求めて、「食べてはいけない○○」とか
「買ってはいけない○○」という類の本をつい買ってしまうくらいです、。

一見安心感を与えてくれているようなものも油断大敵です。
会社からもらえる有給休暇や育休も、真に受けて休んで次に出社してきた暁には
「イクメンおつ。」と白い目で見られ、居場所がなくなってるなんてこともあると思います。

私たちは、安心して人生を送りたいのに常にあれこれ考えなければいけない状況に立たされています。

2000年前のイエスの時代、ローマの圧政下で当時のユダヤ人たちは
とても不自由で貧しい暮らしを強いられていました。
そんな時イエスは、
「何を食べようか、何を飲もうかと思い悩むな。思い悩んだからといって
寿命をわずかでも延ばすことができようか。ただ神の国を求めなさい。
そうすれば、これらのものは加えて与えられる。」(ルカ12:22-34)
とおっしゃいました。

このみことばを聞くと、自分などよりもっと不安な毎日を生きている人たちに思いを馳せることができます。
そして自分の身近でほんの小さなことでも何かできたとしたら、
神の国の建設のために貢献したことになります。

お笑い芸人に「安心してください」と言われなくても、私たちの神である創造主自らがいつも面倒を見てくださることを知れば自然と安心感が湧いてきます。
聖書には「恐れるな」という言葉が数え切れないほど出てきます。
それは私たちが常に何かを恐れているからです。
自分の周りをキョロキョロ見回して不安になるのでなく、
上を向いて父なる神に生かされていることを感謝したいと思います。

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