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置かれた場所で咲きなさい

座右の銘と聞かれると未だに悩んでしまうのだが、今振り返ると「置かれた場所で咲きなさい」かなと思う。

両親、特に父はかなり伸び伸びと私を育ててくれ、中学生頃から私は選択に口を出された記憶がほとんどない。その代わり、「自分で決めたことは最後まで責任をもってやりなさい」と常に言われ続けてきた。今までも簡単に投げ出したことは一度もない。それでも、一番の挫折はNARA-Xに入ってから経験した。

NARA-Xで活動する中で一番悩んだのが「肩書、立場」だった。企業から活動支援金を頂く「実業団選手」であり結果が求められる一方で、フルタイム労働であり一人暮らし、自炊生活。自分で選んだ道なのだから、と常に言い聞かせながらも、この環境で実業団選手と同等の結果が常に求められるのか、と精神的に追い込まれた時期が長かった。

入部当初 サブユニが存在しました

初年度の都道府県対抗女子駅伝、アンカーを任せていただいたが区間46位(47チーム中)、チームも45位。創部時に「奈良の実業団!」と大々的に発表したこともあり、期待いただいていたのだろうか、人生で初めてといっていいほど批判を食らった。結果に対して当たり前なのであるが、とても堪えた。その後は何とか挽回しようと、練習量を増やし質も求めたが疲弊しきり余計に走れなくなる。追い詰められ、結果が出なくなるともう表舞台で走ることが怖くてたまらなくなった。次は何を言われるんだろう、と日々そのことしか考えられず、走ることそのものが苦痛で仕方なくなった。
3年目に入る直前には本気で辞めようと、監督とも話していた。

2018年都道府県対抗女子駅伝

前を向かせてくれたのはマラソンの存在。どうにか大会で安定して走れるようになってくると、気持ちも上向いてきた。ただ自分の中にまだ「実業団選手であること」は重荷として残っていた。最低だが、たまに間違って「市民ランナー」と言われたりするとむしろほっとしたりした。

2020年愛媛マラソン。2時間47分で4位入賞。


ひとつターニングポイントとなったのが、平田コーチと話をしたときのことだ。お酒が入ると平田コーチはより本音でバシバシ物事を仰るようになるのだが(笑)、「プロ意識の欠片もない」と一刀両断された。言われた瞬間は「平田コーチは追われるものが無いからそういうことが言えるんだ」などと反発したくなったが、一人じっくり考えるとすごく大切なことを言われたなと思うことができた。

結果を出すことだけがプロ意識か?というところから始まり、「実業団選手」という文字だけに囚われていないか?自分たちは「クラブ型実業団」であり、他とは違う。そのことを逆にもっと前向きに捉えられないか?と考えがどんどん広がっていく。

同じ時期に、自分が今も「知っているスポーツ選手で最もプロ意識の高い選手」として尊敬する方に出会うことができた。奈良クラブの浅川隼人選手である(現 松本山雅所属)。
浅川選手からは、プロスポーツとしての結果を追い求めることは第一として、精力的な地域貢献活動、ファンとの交流など「競技に関わる全ての事柄」への真摯な姿勢が感じられた。
そしてそのすべてを自身が楽しんで行っている印象であることも心に残った。

浅川隼人選手 今でも尊敬する選手!

今まで「実業団選手」という肩書、数字、結果ばかりを意識してきたが、私が目指すべきはこうした姿だしこうしたかったんじゃないか。そう考えると一気に胸のつっかえが取れ、競技にも集中できるようになった。
競技の結果を求めることは大前提として、仕事をはじめとして、関わる全ての事柄にもっと真摯に向き合う。そして奈良の「クラブ型実業団選手」としてより地域を盛り上げられるように。個人で特筆した活動ができなかったことは悔やまれるが、イベント毎にはより一層積極的に取り組むようになった。

昨年11月末、奈良クラブさん試合会場で
奈良マラソンの告知イベント🎪

元々インドアで腰が重いタイプだ。初めは「家で休んでいたいな」と思うことでも、いざ出向いてみるとめちゃくちゃ楽しくて逆に自分が元気を貰ってしまう。すべてを楽しめている自分がいた。不思議なことに結果も少しずつだが付いてきて、「実業団選手です」と抵抗なく口に出せるようにもなった。
この数年はお陰でとても楽しく、真剣に競技に向き合えたと思う。怪我も何度かして苦しいこともあったのだが、それでも充実していた。

自分が心身ともに成長できたのは、奈良で出会った方々無しには有り得なかった。ここまでに書ききれていないが、入部当初の青二才野郎の頃から見捨てずにいてくださった方々、何もないチームに希望を持って来てくれた後輩たち、不器用なチームにも興味を持って応援してくれるみなさま。

せめてもう少し、立派な成績を残して引退したかった思いはある。一番の悔いは今年の都道府県対抗女子駅伝。心身が整わず、区間44位。本当に悔しかった。チーム・地域に貢献できるような活動もしたかった。すべきだった。
ただ、7年全力で駆け抜けてきて、精神的に擦り切れた部分もある。少し休んで、違う形にはなるかもしれないが、恩を返していきたいと思っている。

もう無理かな・・と思っていた約5年前の自分に言いたい、「あなたは置かれた場所で咲けたと言い切れるよ」と。そしてそれは周りの方のお陰だからと。

7年間、ほんとうに幸せな競技生活を、ありがとうございました。

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