嵐がお休みして、あけまして。


この数日間の気持ちを全部書き出して記録しておこうと思えるほどには仮浮上した。十分早くに浮上したよ自分。仮だけど。もう私の人生ダメかもと思ったもん年越しの時。


嵐が好きな人間のただの備忘録と感想記録です。オンリーさんの気持ちには寄り添えないかもしれないところはごめん。あと嵐が好きでも、担当多めなところもごめん。
超超超超超長文だしオチのあるオモシロ話ではありません。お読みいただけるのであれば、お茶休憩しながらの覚悟でよろしくです。最初から垂れ流すつもりで、コンパクトにまとめる気はさらさらなかった。ごめん。




正直に言うと。
This is 嵐ライブの間は、Twitterで結構賑やかにしてたけど。っていうか、本当はライブに集中したい気持ちはアリアリだったんだけど、もうね。そこだけにのめり込むことができなかったのよ。他人や友人に感情を見せたくなかったので一人で臨みたかったけど、矛盾するかな一人ぼっちじゃないことも実感していないとしんどかった。
開演前にフレンド参戦機能で5人でお喋りもしたけど、開演するからまたね、って全員で終わりにした。皆、一人で見る宣言してたし。


ライブそのものは嬉しい幸せ楽しいよりも、切ない寂しい悲しい気持ちの方が強かった。これを言うと、嵐は悲しむかもしれないけど、でもわかってくれるような気もしている。


C&Rもしたし、歌ったし踊ったし笑ったし。うちわもペンライトも手にした。嵐を感じているのは幸せな筈だ。選曲された歌の歌詞をかみしめてると、嬉しいんだけど切ない方の感情が増していって。2年以上前までの、いつもの楽しい幸せなだけのライブ空間ではなかった。11月のアラフェスの時に感じた高揚感とも違った。


31日までも、その日が来るのが怖かった。怖いけど、前に進む嵐を、その姿をちゃんとファンに見てもらいたいと願う嵐も受け入れながら。Voyageは悲しい思いをしそうだから見ていない少なくとも今年は見たくない、という友人もいたけど(彼女はそれができる人だと思っていたのでとても驚いた)、私は前のめりで全て見て受け止めてきた。もう何かに突き動かされてそうしないではいられなかったんだと思う。心臓に痛いこともあった。涙はなく見てきた。なかなか泣けないのよ、ごめん。でも全て見ておいて良かったと今でも思ってる。あ、追加もあるのか…。


翔くんがライブを「ドヤ!」という仕上がりだとニヤリとしながらも、複雑な気持ちの中を行ったり来たりわからなくなったり、多分激しいであろう感情を表では冷静に整理して言葉で伝えてくれようとしていたり。
潤くんがいろんなものに蓋をして強靭な想いで嵐のプロデュースに気持ちを砕いで突き進まなければならなかった、突き進みたかったように。
言葉は少ないけどひたすら楽しくありたいと前向きな言葉を言い続けてくれていた智くんのように。多分溢れる感情は押し殺して冷静であることに悲しいほど徹したにののように。頑張っていることを悲しいことを飾らずに表に出して優しく寄り添ってくれていた相葉くんのように。

一ファンでしかない自分も、ありがたいことに日々更新される、日々でっかい愛をくれ続ける嵐を絶対にこぼさないように受け止めたことで、本当に毎日いろんな感情と向き合ってきたなぁ、と今振り返ってみてる。
私自身はこの2年間で嵐に愛を貰っただけじゃなくて、これでもかと甘やかされてきたので。
わがままにもなったし。いろんな負を抑えるすべを覚えて穏やかないいファンにもなった。


ドヤ!っていうライブは見たい。休止前の最後の日の嵐のでっかい愛とでっかい覚悟の最後の姿は見なければならない。
でも見る日が来たことがイヤだった。嵐の活動休止は心の底からイヤだった。自分の中で了解なんかしているわけがない。見ないようにする考えないようにする諦めの気持ちで日々過ごすことに慣れたけど(慣れるしかなかったけど)、本当はきっかけさえあれば大声でヤダヤダって転がってバタバタして泣きたかった2年間だった。もっとずっと死ぬまでこのまま見ていたかった。




2021年になって。
NHKの2020オリンピックのTOPページから嵐が消え。
HND.PのTwitterから最初と最後の投稿だけ残して、YouTubeも最後の1本を残して全部消えたり。嵐5人のCMも番組もなくなり。
年が明けると同時に目に見えて消えていくものがある。
でも嵐そのものの発信プラットフォームは全て残ってて、FC公式に個別のページができても嵐のページも残っている。当然なことが、全て新しい。


レギュラー番組が終わっても実感がないなんて年末呑気に言ってたけど、31日のライブが終わったら恐ろしいことに実感しかなく。本当に実感しかなかった。自分の想像を超えた喪失感とデカいダメージに支配されているのが現実な1月1日だった。
これは、31日のライブ前までには自分でも想像もしていなかった。


嵐本人たちが、2021年になってみないとわからない、って言ってたのは私でさえその通りだった。
1月1日にどういう気持ちになるか楽しみだ、と言った智くん。良し悪しでなく、そうであるべきだとも思ったし、そうでなかったら残念だとも思った。全てを1月1日に託したとそれだけをずっと伝え続けてくれたのは彼の優しさと悪い意味ではなく頑固さからなのかな、と想像する。
でも私個人は「楽しみ」とはなれなかったし、実際ならなかった。


2021年のアタマからこんな喪失感に支配されるなんて思わなかった。本当にここまでとは思わなかったよ。ファンになってから初めての感情過ぎる。
「またね嵐!ずっと待ってるからね。嵐はいつもで私のそばにあるし音楽も存在もなくならないし。大丈夫!」
って、カラ元気でも新しい年の抱負を元旦に語れると思っていた。


過去にも好きなアーティストが活動休止して、その間何も音沙汰なく生きてるのか死んでるのか健康なのかビジュアルがどうなっていうのか音楽活動をしているのかどうかもさっぱりわからない数年間、なんてことはザラにあった。
そもそも一切報告もなく3~4年ぐらい普通になんの活動もしてないけど休止宣言なんかなかったしな、と思ったらぬるっとアルバム出してきて「あ、生きてた。音楽もやってた」とか。
そんなこと全然ある。いっぱいある。そんなの音楽業界で珍しくない。なんなら結構多い。
宣言もせず活動休止してたってこともある。予告もなく解散・脱退してから事後報告受けることだってある。それは泣く。そりゃないよと思う。

だから。お休みするよと言いつつ2年もの間準備をして、感情的にも現実的にも整理をしながらも、逆に活動としては新しいのものをこれでもかと生み出し与え続けてきたのは、凄まじい覚悟とチカラとエネルギーだと思う。そんなことできる?そんな精神力ある?そんな体力ある?嵐とスタッフ凄すぎる(凄いしか語彙がないの陳腐だ悲しい)。



ライブまで(もちろんこれからもだけど)我々は、どうかコロナに感染しないでほしいと祈るしかできなくて。早く!もう今すぐ、明日が31日になってライブが実現してほしい!とか矛盾過ぎる感情が湧き出るほどの恐怖だったし。無事にライブができて、最後までケガもなくやり通せて本当に良かった。本当に本当に本当にそれは良かった。


このコロナ禍になって初めて嵐や他アーティストの配信ライブというものを見た。そもそも嵐に限らずライブは生が醍醐味で。この春に初めてジャニーズ総勢で配信ライブを見た時、横アリの会場座席にライトを設置し、花道とスクリーンのセットを組んでいただけで「おおお」と感激したものだ。それはあくまで全てのイベントがなくなり会えなくなり寂しがっているファンのためにアーティストの顔と元気な歌声を送ることが目的だったと思う。だから、アーティストがそこに映し出されるだけで幸せだった。収録で全然OKだった。

でもそこから、もう配信がスタンダードになってくるとそれでは収まらないだろうし。

あと。ファンにとって実際に会えない配信が熱量を感じ辛くて寂しいものと同じく。絶対にアーティストにとってはオーディエンスがいないことの寂しさと虚しさがあって。ファンは画面で見ることができるけど、本人たちは何も見えないし何も聴こえない一方通行だもんね。何のうねりも感じなければ、返ってこないものを想像してまた表現して繰り出すしかないのは本当に辛いんじゃないかなぁって想像できる…。

今回、あらかじめファンから声や歌や映像を送ってもらう試みをしたのは。ファンの参加したいっていう気持ちと、本人たちのファンを感じたいっていう気持ちの両方の為だよねきっと。素人にはそれを双方向と言うのかはわからないけど。だから、自分も自分が映りたいだとかはなくて、どちらかと言うと嵐のために嵐が寂しくないように嵐がファンを感じて嬉しいと思ってもらえるように声と映像を送りたい気持ちしかなくて、送らないという選択はなかったもんなぁ。で、その声や映像が画面から流れると、また自分に返ってきてファンは参加しているという気持ちに少しでもなれるもんね。

コロナ関係なく、最後のライブに何年も前から配信を想定していたのは、もう愛しかなくて返す言葉が見つからないよ。


今回のセット。通常客席になるところまでも演出とステージのために使って。今の時代ならではの視覚効果デジタルも大盤振る舞いで。This is 嵐は、通常のアリーナ席にどでかいタワーをつくって、メインステージ外にいくつもステージをつくったのがびっくりした。真ん中の花道と円周以外にも、メインステージから降りた、端にも箱型?のがあったし、メインのステージの階段昇っていった頂点にもあってそこで逆向きに立って歌ってところもあったし。もうどこにどんなステージと仕掛けがあるのか大混乱だったから全体設計図見せてください!!!


演出担当さんたちは「こんな感じ」というアイディアを考えて投げて、創るのは外の専門家とチームの仕事で、逆にそのチームから「じゃ、こんなんどうですかー」ってアイディアと技術が戻されてピンポンして。当然嵐本人たちも、それでいいかどうか判断していって。優秀なスタッフや会社(専門家)との繋がりはやっぱりこれまでの人脈と実績と信頼とお金がモノを言う…

演出担当潤くん、と言われるけど。演出は彼も含む沢山のステージスタッフあってのこと。ここであえて言うと、演出は潤くん一人の頭脳とアイディアの仕事ではないだろうから、潤くん一人で作り上げて凄い!的な丸め方は盲目に過ぎる。極端な例だけど、一軒家を家主が自分の注文で作り上げた時に「家主一人でつくったなんて家主の技術力と才能凄い!」ってならない。イメージを形にして創るのも資源や技術やアイディアを持ってるのも、建築や施工業者や設計内装やデザイナーさんとかとかの専門技術家さんで。家主や潤くんのお仕事は、何を表現したいかという意思があって、全体のイメージも多角的な見方もできて、かつ引き出しがあることと。指揮とGOを出す責任だと思ってる。それはやっぱり経験と努力と興味だよね。興味大事…

衣装!アラフェスの大宮SKの作り直し新作衣装が他のどんな衣装よりも高いだなんて、わかるわけがないじゃん!凄いな!今回智君デザインの衣装もまた見られたし。ライブの衣装全て、あんなの来てる人現実世界のどこにもいないじゃん、夢の世界じゃん、王子様じゃん。オープニングの衣装好き…襟とか袖の一部に細かい模様入ってた…もっとちゃんと見たい…


とにかく最初から壮大過ぎて!!!!!?????で。(後に、演出を担当された英国のチームの情報も把握した。中央セットの最初に嵐が登場したタワーととても似ている、実存するタワーの名前とその意味と解釈も、あくまで一想像でしかないけど把握した。正解かどうかは本人たちに答えを貰えていないので想像に過ぎない)。

一曲一曲、曲が流れた瞬間に、その歌の歌詞に希望と寄り添ってくれるメッセージを込めた選曲であることがはっきりとわかっていく嬉しさと切なさ。

ラストの「俺たちの名前はなーんだ」「あらしーー」をやらなかったこと。声を募集したのにやらなかったのは、何か想いがあったんだろうなぁ…

最後智くんがスッキリした表情を見せていたのは実はちょっと想像していた。にのの挨拶で本音がこぼれたのは予想外で心臓がぎゅっとなったし、それでもふわっと笑いのオブラートに包んじゃうんだなこの人(切ない)。相葉くんの涙は覚悟していた、好きなだけ泣いていいよと思った。
でも、涙もろくはあるけど潤くんの本音と感情が溢れて決壊したことと、絶対に最後まで笑顔で泣きたくても堪えるだろうと思っていた去り際の翔くんの涙とそれでもぎゅっと口を結ぶ決して笑顔じゃない歪んだ表情は衝撃が大きすぎた。ここから自分は泣き過ぎて機能不全になってしまったよ…。普段泣かない泣けない自分がこんなに泣いちゃうなんてもうお手上げだ。

いやいや。嵐が泣くかどうか涙が出るかどうかに価値があるわけじゃ全くないけど。どうしてもそこを見ちゃってそこが気になるのは恋心と乙女心と親心(え)。

最後、いつものようにステージ下に下がっていくのではなく、光の中にふわっと消えてしまった。え…嵐光の中に消えた?なに?なんで?そんなの初めてじゃん。どういう意味?タワーに集まるエネルギーみたいなのはなに?嵐とスタッフと私たちファン皆の想いと愛?ドームの天井を突き抜けて、最初の宇宙船みたいなのも爆発して東京の空?世界中に宇宙に愛を散骨したの?

いかん思い出しただけで涙出そうだ…

オープニングにもその流れの意味がある筈だよ…。宇宙から地球目指して宇宙船みたいなのがやってきて(なんかの宇宙戦争モノの映画のようだと一瞬思った脳みそ短絡者はワタシです)東京ドームの天井に降り立って。世界中から街からその宇宙船?に何かのエネルギーみたいな想いが集まってきて、あのタワーにエネルギーが注入されて溢れて嵐が出てくる、みたいなのじゃなかったっけ…(リピ配信見て違ったらごめん)


今でも、最後の「あらしー」がなかったこと、光の中に消えたことは、解釈に悩んでいる。皆の感想や解釈を見ても、やっぱり悩んでる。
まだ答えは要りません。ちょっとぐらい想像させてくれ。


紅白は。なんかね。美しすぎたよ嵐。
潤くんが言った「嵐が去った後に虹が~」はとても力強い美しい表現だったし、希望に満ちた未来を望んでいることはわかった。私だって明けない夜はないと信じたい。
「嵐が去った後に」の嵐は嵐そのものでもあり、辛い一年やコロナ禍にも引っ掛かっていたような気がするので、その2つがなんで同じなんだろう、ってちょっと思ってしまってロマンがなさすぎる自分でごめん。いろんな方や著名な方が前向きに素晴らしい感想のコメントをしてくれているのは知っているしそれはウレシイ。
でも、紅白のその言葉から、ライブの最後に虹がかかったところに繋げたであろう演出はロマンチストだなぁ、と思うよね。



そんなこんなで、年が明け。
正月、コロナのせいで実家からも帰ってくんなと言われ。
帰ったらご近所から白い目で見られるようなところじゃ決してなくて、車で30分ぐらいのすぐそこの、一日の感染者数も同じ数字の地域なんだけどな(数字そのものは問題大アリだが)。


父親が滅茶苦茶コロナを怖がっていて、元気で無症状かもしれない保菌者の可能性のある若者である子どもたちには近づいてほしくないらしく、高齢の自分が死んじゃうじゃん!帰ってくんな!という、非常に冷たくもリアルで全うな理由。間違ってはいない。いないが…。
ちなみに既往症は何もない、私より長生きしそうな父親だ。

母親は、お正月ぐらいいいじゃんって寂しがってぷんすかしてて、自分たちは十分生きたんだからもういいよ!ってゲラゲラ笑ってて。そのあたりの変な覚悟と精神的構造は私は遺伝として母親からもらっていると思われる。
医療関係者や保健所の方々に迷惑をかける可能性があるし、そんなつもりは決して!断じて!ないので、実家に帰ることは諦めたけど。


そんな正月なので、生まれて初めてお取り寄せの和洋折衷のおせちなんか頼んでみて。
元旦はおせちとビールとかワインとか焼酎とか、なんなら家にある限りのアルコール類に漬かってみた。お腹は余りすいてなかったけど、折角だから並べてみようとは思えた。ごはんを食べられるならまだ大丈夫だな、と自分以外誰も聞いてなくても声に出して言ってみた。
朝になれば太陽はのぼるし、お腹はすくし、トイレもいくし、嵐に会えなくてもお風呂だって普通に入ってキレイにしたい(そりゃそうだ)。

おせちの味はこの際どうでもいい情報だろうけど、生まれて初めてのお取り寄せおせちは思った以上に美味しかったので今後に向けて味をしめてしまったのは余談。


感情的には喪失感しかなくて何もしたり考えたりする気がおきなくて。夕方からあったTOKIO兄さんの番組に自担が出るのだけは摂取しようと思ったけど。嵐の曲も聴けないし、聴きたい気分になれないし、過去の番組録画や動画、ライブ映像を見たい気持ちにも全くならなかった。紅白さえ見返さなかった。重症じゃん…。こういう時、普通は過去映像に逃げるのがデフォじゃないのか…!?


嵐大好きだし愛してるし、本当は常に摂取して、嵐に会って浴びて幸せを実感していたい筈なんだけどな。
でも今映像を見たら、幸せではなくて切ない感情しか起きなくてまた泣いちゃいそうなのがわかっていたから見られなかったんだよ…。


1月1日の日中、身体も気持ちも冷え切っていたのはそんな感情と、あと実際室温が18度ぐらいしかないっていう。なんで室温なかなか上がらないんだ。くそ。


This is 嵐のアイコンは消したくないし。リピート配信が終わるまではアイコンにしがみついていたい。
デスクとか壁とか棚を占拠している嵐関連のグッズと写真の数々は、絶対に片付けたくないしそれがないとメンタル死んじゃうってわかってる。
哀しくなるから見たくない嵐と見ていないと生きていけない嵐と、いろんな線引きがあって。自分でもこの分別はよくわからない。わからないんだもん。


なので。1月1日はずっと楽しくないお酒飲んでほとんどソファと床から動かなかったし、ぐだぐだだったし、うとうとしたし、なにもかも空虚だったし。何をして何時間も過ごしていたのかほぼ説明不可能。TVはついていた気がするけど、何も覚えていないので、ついてただけなんだろう。
Twitterもインスタもほとんど見られなかった。ちょっと覗くと、同じように沈んでいるファンの方を見て大丈夫かな(お前もな)、と思ったり。
でもいろんな公式さんや同じ業界の方のあったかい言葉を見つけたり、VS嵐のPさんの言葉に救われたりもした。


櫻井翔的表現するとシナプス繋がらないようにアルコールで鈍らせて逃避キメていた。TOKIO兄さんの番組で自担を見るまで。



嵐5人の映像は見られなくても、自担のお正月特番はすがりついてでも見たいと思えてよかった。
その収録が去年のうちのものだとしたってそんなの関係ありゃしないのだ。
割烹着着て持ち慣れない包丁持って、肉の塊を右側から切ればいいのに左側から切って危なっかしいこと極まりなく、お坊ちゃま風テイストなスーツ姿も、なで肩最強和装姿も、兄さんたちの中で眉毛八の字になってるところも、もぐもぐして美味しくて眉間に皺寄せるいつもの顔も、なにもかも可愛くて一気に心が浮上した。もうすぐ39歳男性に対して「可愛い」でしかなかった。


Twitterで意識的にちょっと強迫観念的なほどに騒いで、騒いだ内容はフォロワーさんのお目汚しとなったかもしれないけど。自分は、TLで共有を目いっぱい浴びてもっと浮上しようと頑張った。幸い、それまで静かだったTLが勢いよく流れ出してくれたし、なんなら皆自分と同じく「可愛いムリ」しか言ってないwww


効果絶大じゃんショウサクライ。とSNS。
その後も何度も繰り返し録画を見直していたら、飲酒のせいもあってそのままソファで寝てしまったので相葉さんのレコメンは聴けなかった。



1月2日。目が覚めたら天気もすこぶる良くて、とんでもなく青空が広がっていて自分の気持ちを支えてくれた。TVで大学駅伝も始まった。
雨とか曇りとか雪とかで、駅伝もしてなかったら浮上できなかったかもしれない。TVはつけたけど音は消してたので結局駅伝は見てないのはごめん。
雪国の人たちはどうしているんだろう、とちょっと思った。

私は嵐5人とも好きで、一押しは当然いるけど。誰の露出であっても「嵐」を感じられるものは全て摂取して幸せになりたいし、一押し担当の露出じゃなくてもそれができる人間で助けられた。
1月1日に、翔くんでなく他のメンバーの番組であっても多分浮上できただろうな。そう考えると、嵐の存在と心のケア的存在価値が凄すぎる。お年玉あげないといけない(言葉のアヤ)。

1月2日、レコメンも朝からラジコで聴いた。毎週聴いてるし、全ワタシが相葉くんの声を聴きたがった。
既に話題の「嵐の相葉雅紀です」も浴びて、室温18度なのにあったかくなってまた鼻の奥がツーンとしてしまった。
温泉に入った後にパンツ履かない案も採用しよう一旦は。でも私も温泉入る数だけパンツは持っていく。泊まる時にパンツはいつも沢山持っているのだ。長期泊なら洗って履く。いらん情報だ。


「嵐の相葉雅紀です」って毎回言ってるし、収録も去年じゃん、とか無粋なこと言う人とは友達になりたくありません。
いつものように言っただけかもしれないし、意識的にチカラ込めたのかもしれないけど、そんなことはこの際どっちでもいいのだ。思いたいように感じたいように、自分に都合よく受け止めればいいのだ。それで幸せになるならいいじゃないか。誰にも迷惑かけてない。

大野智担当さんはどうしているんだろう。松本潤担当さんはどうしているんだろう。切なくなっちゃうし想像しかできないし。自担をリアルタイムで全く摂取できないことも想像すら今はできない。
私は相葉さんのレコメンとダンディ相葉でちょっと元気を貰ったけど、皆が同じだとは限らないよね。

潤くんには心からゆっくり休んでほしいと思ってる。「来年寝ます」宣言通り寝てほしい。でも「お芝居してるの見たいな」とも思ってる。ドラマとか映画とか見たいでしょ!
潤担さんと「きっとライブの時のファンのメッセージとかお酒片手に泣きながら読んでる正月だよ」「あとライブ映像見てるね。泣きながら」と話したけど。そうじゃないかもしれないし、嵐メンバーで飲んでるお正月かもしれないし、実家で家族と、友達と飲んで過ごしているかもしれない。それはそれで。

自担や相葉さんは、多分堕ちないようにぎゅうぎゅうとお仕事詰め込んで忙殺されにいくんだろう。二宮ん家は、特番?レギュラー?


こんなこと想像しながら、一人づつの番組見ながらちょっとづつ浮上していくんだ。
そんなに遠くない時期に、嵐の過去映像も録画したものもライブ映像も、心がちくっとして涙が出ちゃうかもだけど見られるようになる。


This is 嵐ライブのリピート配信(絶対に「見逃し配信」という表現をしない公式さんの信念の強さよ。嫌いじゃない。)で更に浮上できるのか、また堕ちるのかはわからないけど。
堕ちたら、またちょっとづつ浮上するんだ。浮上したいもん。
堕ちっぱなしでいる気なんか、さらさらないのだ。
辛いからってグッズをしまい込んで、全てを宝箱に押し込んで鍵かけて、嵐を嵐のメンバーを過去の作品もを何も見ないで思い出と悲しみにだけ浸っていたくなんかないのだ。堕ちっぱなし誰得なんだ。

「嵐」というホームはとりあえず今はある。嵐の4人が個々どういう気持ちでどう表現していくのかは、これから見えてくるし見ていきたい。たまに智くんの近況写真なんか、あるいはメンバーと一緒の写真なんかストーリーであげてくれたら泣いて喜ぶ。


明確に現状は嵐ロスだ。悪いか。復活するまでロスのままに決まってる。再始動するかも今はわからないけど、私はなりふり構わず祈らせてもらう。


誰かにケチつけたり、誰かのせいにしたり、ネガティブに叩いたり貶めたり、愚痴という隠れ蓑で中傷する人も一部いるだろう。
金儲けのためのそういう記事もわんさか出てくるだろう。
一生悪魔のままゾンビのままでいたいなら、そういう中にどっぷり浸かるのも選択肢だろうしどうぞご自由に、とは思うけど。
私は健康でいたいし未来に希望を持つ人間でいたいし、嵐が好きだし、毎日祈っていたいので。そういうのは避けて通りたいよね。


一か月二か月、半年一年経ったら、ここに書いた気持ちも色々変わるかもしれない。
This is 嵐ライブのリピート配信を見たら、何か変わるかもしれない。毎日気分が上がったり下がったりするだろうな。
とりあえず今の気持ちを記録しておこう。将来読み返して笑って泣けるといいな。
今はまだ切ない気持ちの方が99.9%だけど(そんなにあるのか。深山先生呼んできてー)。


21年も(自分はそのうち18年ぐらいだけど)嵐を見せてくれて愛をいっぱいくれて夢をいっぱいくれてありがとう。特にこの2年の濃密な愛情には感謝と愛おしさと尊敬の念しかない。嵐だけじゃなく、スタッフさんと支えてくれた関係する方たちにも同じように大きい感謝の気持ちしかない。


これから先、嵐5人にとって嵐が幸せな存在であってほしい。
お前のその気持ちが重荷だよ、って言うクソ意地悪い言葉は要りません。私の気持ちは私のもので、文句を言う他人のものじゃない。うるせぇほっとけ、です。


今は休止という現実をゆるゆると、否が応でも受け止めていくしかないと思ってる。そんなにすぱっといかないのでゆるゆると。
がんがんポジティブを押し付けられるのも、押し付けるのもしんどいからゆるゆると。


まずは。嵐からのメッセージをちょっと落ち着いて噛みしめようと思ってるので、リピート配信は集中して見る。
あと、This is 嵐ライブのセットリストでプレイリストを近々につくりたい。
哀しいメッセージじゃない、希望の意味の歌詞ばかりの選曲だということはもう理解しているので改めてじっくり聴きたい。個人的にはStep and Goが一番ヤバかった鳥肌たった。あと。潤くんが翔くんのラップを大事にしてくれていることも再認識した。なにしろ翔くんは「俺らの思いが皆に分かりやすく、温度の通りに伝わる言葉を持っている(©TVガイド・潤)」だそうだから。


あ。カウコンもやっと見ました。
嵐のライブの部分もちゃんと見られた。切ないけど。
あと、村上くんの「ご唱和ください」とか。ふみきゅんの愛情あるモノマネとか。
嵐の歌を、唯一全力で嵐の振付そのままに踊ってくれたキンプリとかマジで可愛かった…お姉さん癒された。

あとねぇ。神絵師さんたちの、嵐の素敵なイラストや絵が私を本当に癒してくれます。
しつこいけど自慢しちゃうけど、絵心は櫻井翔よりないのよ。こんなにダラダラ垂れ流し長文を読むより書くより、本当に一瞬で癒しだしあったかい気持ちにさせてくれる。本当にありがとうございます。
元気なさ過ぎて、ピアノ3日間も触ってないのはダメ過ぎるので反省。


以上。今現在の気持ち記録でした。ここまでたどり着いた方、お疲れ様。
健康でいようね。

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