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絶望が感謝に変わったとき

みなさんは、人間関係で、もうここから消えてしまいたいと思うような思いをしたことがありますか?相手に、生きているか、死んでいるかさえ、知られたくない。元気にしていると思われるのも、落ち込んでいると思われるのも嫌。そんな気持ち、もしも今、味わっている人がいたら、いつか、変わる日がくるよと伝えたくて、今日は書いてみようと思い立ちました。

シンプルに言ってしまうと、私は3年ほど前に、家族のようだと思っていた親友に拒絶されました。ずっとずっと、ブログでも、ポッドキャストでも、あちこちで、どうしても拒絶されたと言う自分を受け入れられずに「絶縁した」という言い方をしていたのですが、拒絶されたのです。やっと言えます。

今ならわかります。私はいい友達じゃなかった。ネガティブで、「親友だから」というStatusにあぐらをかいて、「ホンネ」と称してズバズバ人を傷つけるような言動をしていました。一緒にいて楽しい存在じゃなかった。会うのが憂鬱だっただろうと思います。そして私の軽率な勘違いの行動で堪忍袋の尾に亀裂が入っていったんだと思います。

そして迎えた拒絶の日。愛と所属の欲求が高いめんどくさい性格の私が生きる糧にしていた人に拒絶され、それまでの自分が崩れ去りました。誰にも、夫にさえ話せず、ずっと1人で泣いていました。夫にこの事を話せたのは1か月くらいがたってからです。

ずっとずっと泣いていました。こんなに屈辱を感じたことはありません。そして絶望し、自分のすべてが終わったような気がしていました。

私はその後、自分の存在価値に疑問をもち、アメリカで暮らしていて、貴重になってくる日本人の友達を作ることができなくなりました。拒絶された元友人自身や、その出来事を知っている人がいるのではないかと怖かったからです。不特定多数の日本人の集まりには行けなくなりました。日本人以外の友達といると気が楽でした。でも、何か隠し事をしているような気分になりました。

海外生活では、日本食材が売っているスーパーは1都市に1つあるかないかなので、そこで会ってしまうのではないかと最初はまったく日本食材スーパーに行けなくなりました。やっぱりどうしても買いたいものがあると、ビクビクしながら出向き、スーパーの通路を曲がる時は「メンタルの命がけ」状態で、いつでもお店を脱出できるように細心の注意を払いながら、ささっと買い物をすませるようになりました。

1番寂しかったのは、日本人と出会える場所に出向けなくなった事。

私は日本語でのヒューマンコネクションを求めていたのでした。日本が大好きだから。娘に、楽しく日本語を学んでもらうために、日本語でおしゃべりできる友達を作ってあげたいと言う強い思いもありました。

そして、私、いつも思うんですけど、自分が自信をなくしても、自分なんてほんとダメだって思ってても、自分はサイコパスなのではないか?と疑っているような、そんな私でも、なぜか、必ず、色々な意味で手を差し伸べてくれる優しい人がいるんです。

それで、おそるおそる、カタツムリのように、日本人コミュニティに出始めます。ここまでで半年くらいかかったかなあ。拒絶された元友人がいないかどうかそれとなく確認してからパーティーに出向いたり、その人と関係がないごく少数の人たちとちょくちょく会うようになったり、少しずつ少しずつ、私のHealingが進んでいったのです。

もちろん、それだけではありません。私は、拒絶されてから、救いを求めて読書をはじめました。読書は子供の時から嫌いでした。ADHDなので集中できないし、眠くなっちゃうので。だけど、Audibleというオーディオブックを聞くアプリで本をどんどん耳読することになりました。絶縁してすぐ得た仕事が通勤片道1時間だったので、毎日通勤時に本を聞いて、セルフヘルプ系から最新科学まで、週に1冊のペースで聞いていました。私の人生を変える沢山の本に出会い、読書をしなかったそれまでの自分はものすごい損をしていたと感じました。

それからもう1つ、あるコミュニティに属すことになり、そこで私の過去を知らない、沢山の人達に出会いました。私を私のまま、「いい」って言ってくれて、認めてくれて、本当にありがたかった。そこで出会った人達の中には、毎日のように喋る友人や一緒に旅行をする友人もできました。

自分の自信、存在価値、愛と所属の欲求を根底から覆されるような屈辱、絶望、落胆の日々を、最初は貝のように殻を閉じて閉じこもり、少しずつおそるおそる、ジタバタしながら、少しずつ少しずつ前進してきました。

そしてだんだん私は、家族のように思っていた友人に拒絶されるという出来事がある前までの自分より、気づかないうちに、自分で言うのもなんですが、人としてものすごい進化をとげていたのです。

先日ポッドキャストで、会いたくないとずっとずっと避けてきた、絶縁した相手とばったり会ってしまったと話しました。もう、その場で失神してしまいそうなくらい、心臓がバックバクでした。とにかくなんて言っていいかわからなくて、アワアワするばかり。

パーティーの場だったのですが、豪邸でのパーティーだったため、広いので、大人げなく彼女を避けるように動いたていたのですが、最後にたまたま1対1で同じ部屋に行ってしまい、少し話もしました。正直、なつかしかった。

私は、自分を守るため、大きくて厚い透明のガードを立て、私側からは自分の情報はなるべく与えないと決めてお話ししたのですが、当たり障りのない話でも会話のテンポがあうなあという瞬間があり、ああ、私は10年以上前に、この人と仲良くなるべくして出会ったんだなあと思ったり。彼女自身にも大変な出来事があり、心から気の毒に感じたり。

色々な感情がこみあがり、その場では涼しい顔をしてやり過ごしていたけど、帰りの車では、娘に気づかれないよう、サングラスの下で泣いていました。家に帰って、娘を寝かしつけて、ジャーナルに自分の思いを書きなぐりました。こうだった、ああだった、こんな思いをした、あんな辛い日々だったと。

だけど、言葉では言い表せないんだけど、なんだかすがすがしい気持ちな自分がいて、少し不思議な気分でした。

そして、私が「新しい私」になってから毎日のようにおしゃべりするようになった新しいお友達にこのばったり会ってしまった出来事を話したら、言ってくれたんです。

今のあなたはものすごく変わったから、きっと会うべくしてあったのでしょう、会っても乗り越えられるタイミングだったのでは?と。

私がもやもや心で感じていたことを、すっきり言語化してくれて、だからか〜、このさわやかなのは!と合点がいったのです。

ずっとずっと、逃げ回ってきた、あの相手に会ってしまうという恐怖が現実になり、でも会ってみたら、自分はものすごくバージョンアップしているのがマジマジと自分でもわかり、心臓バクバクすぎて寿命が縮んだけど、でも、すがすがしい気持ちになれた。これ、英語ではLiberatingって言うんです。呪縛から自由になるみたいな意味です。

私がうらみがましくしつこく語っているこの絶縁事件ですけれども、この出来事がなかったら、私はあのまま変な方向に突っ走っていったことでしょう。本当の友達の意味とか、本当の幸せとか、自分の本当の価値とか、今、自分が知っていることを知ることができなかった(or 知るのがものすごく遅れた)かと思うとゾーッとします。

すべてを失ったと思ったあの絶縁事件で失ったものといえば、無理がきていた友人関係でした。絶望の淵に立たされたと思った自分は、新しい始まりのドアの前に立っているだけでした。

絶望は感謝にかわったのです。

いえいえ、私を拒絶した相手への感謝ではありませんよ。そんなに大人じゃないです(笑)あの出来事に対する感謝です。そして、ジタバタしながら、どうにかしたいってがんばった自分への感謝。そしてそう言う私を受け入れ、励まし、支えてくれた人達への感謝。

今、あなたが絶望の淵にいると感じていたら、もしかしたら、それは、新しいなにかのはじまりかもしれない。今は、とてもじゃないけどそうは思えないかもしれません。だけど、バージョンアップするために訪れたチャンスかもしれない。なにかを失ったら、必ずなにか新しいものが入ってくるんだと、私は自分で体験しました。

だから、応援したい。一人じゃないよ。

私も大変だったよ。毎日泣いた。今も、人と出会って友達になりたいなって思っても、ドキドキして連絡先さえ聞き出せないです。だけど、少しずつでいいんですよ。カタツムリ戦法です。少しずつ、動き出せばいい。動けなかったらとまっていい。自分の声、自分の心に素直に、受け入れ、何も無理しない。こうしなきゃ、ああしなきゃっていうのは捨てていいんです。自分のペースでいいんですよ。

自分を大切に、自分のペースでやっていくことで、それが自信になっていき、それがあなたを色々な面でよくしていきますよって言いたくて、長くなってしまいましたが、書いてみました。

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