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人と自分を比べること

みなさんには、人と自分を比べてしまうことがあるだろうか。

私はある。不毛だ、意味がない、悪習慣だと骨の髄までわかっているのに、人と自分を比べてしまう。それはもう、私達の脳の中で、「違うところを見つける」というのが本能なのだろうと思う。

「違うところをみつける」だけならいいのだが、人間とは、その違うAとBということに対して、「優劣」をつけようとしてしまうものだ。それはもう、仕方ないことなのだと最近私は思う。

姉と妹の違い

11月から年始にかけて2ヶ月間日本に帰っていた私。私には年の近い妹がいる。私と妹は、顔は似ていると言われるが、基本的に全然違う。妹は、小さい時から折り紙とかコマコマしたことが得意で、「済ませなければならない小さなタスクをコツコツ、段取りをつけてこなす」のがなんの苦にもならない。今の仕事も総務・人事・経理などのバックエンドを一手に引き受けている、中小企業に必ず1人いる、会社の偉い人からも恐れられている「事務のおばさん」である。(本人と同意済w)

一方、私は、そういうコマコマした作業は苦手である。折り紙は何度やっても、角と角が合わせられない子供だった。私の仕事はどちらかというと経営である。会社内の大小のオペレーションの改善であるので、コツコツ作業というものではない。データを取ったり多少地道な作業はあるものの、それを用いて生産性を上げるソリューションを探り、提案し、チームでImplementしていくというタイプの仕事である。思えば、小さい頃から仕切り屋で、高校生の時には文化祭で焼きそばを売る段取りをほぼ1人でこなし(業者との交渉や、鉄板やプロパンを運動部から借りる、当日の人員配置、金勘定など)、10万円以上の儲けを出した事があった。(お人好しなのでみんなで外食に使ったが、今となっては自分に給料を払えばよかった)

さて、父の入院や葬儀でどちらのタイプの人間が役に立つかと言うと、間違いなく妹のタイプであった。病院探しや手続き、入院や転院の段取りや、葬儀社とのやりとり等、私はまったく使い物にならなかった。仕事を離れてどんどん脳がたるんできて時間が経つごとに忘れっぽさにも拍車がかかるし、体調を崩したりぎっくり腰がなかなか治らず、妹に頼りっきりになってしまう事が多く、とても心苦しく感じたし、かわいそうに思っていた。

そして、自分はどうして妹のように役に立つことができないのかと少し落ち込む自分に気づいた。そんなのバカげている、落ち込む必要など1ミリもないとはわかっているものの、なんともいえないやるせない気持ちであった。現に、妹も母も、帰ってきてくれてよかったとしょっちゅう言ってくれたし、周りの人にもなんという親孝行かと言われた。

しかし人間というのは人と比べてしまうものなのである。

仕事をしていない自分

そして日本での2ヶ月を終えてアメリカでの生活に戻った。日本にいる間は、レイオフのタイミングが良すぎて感謝を感じていたが、帰ってきたらもうその理由はなくなってしまった。そうすると、自分が無職であることをまざまざと見せつけられることになる。娘の学校(保育園機能あり)に行くと、周りのママは皆働いている。友人たちも皆働いている。

レイオフでパッケージももらったし、失業保険もあるし、ダンナは私が前回無職になった時より2倍近い稼ぎがあるし、余裕をもって探せばいいと思っているのに、正直焦る自分がいる。

拒絶されて落ち込まない人はいない

そして、先日、日本滞在中に声をかけてもらった職場と電話面接の後、オンラインで学力テストみたいなものを受けた。そして次の日お断りのメールが来た。そもそも通勤が長いのと、提示されたサラリーのレンジが低かったのでおそらく行くことはないと思ったが、お断りされると少し落ち込んだ。

就活の味方、LinkedInというキャリアのSNSを見ていると、友人や元同僚などが順調にキャリアを積んでいっているのを目にする。努力も苦労もしているのを承知で、自分の一筋縄でいかないキャリアに思いを馳せたりしてしまうのである。

Love and Belonging

最近友人と、人間が生きる上で本能レベルで一番求めているのは、Love and Belongingであるという話になった。Loveとは御存知の通り、Belongingとは、所属(の欲求)である。自分が、そこにいてもいい、そこにいるべきだと思う気持ちである。就活で結局一番キツイのは何かというと、拒絶されることである。Love and Belongingの正反対。前回、私が無職になって就活をした時、今思うと私は心を病んでいたと思う。元友人たちから拒絶されたのもその時であった。頭がおかしくなっていたのだ。

Love and Belongingが欠けているシチュエーションになったら、自分を見失わないように、自分のWorthiness(人間としての価値・値打ち)に疑問を持たないように、最新の注意を払ったほうが良い。心が弱っていると、人と比べて落ち込みがちな気がする。

比較ポリス

私は、周りの友人や知り合いが人と自分を比べて悩んでいると、すぐに比較していることで自分自身を不幸にしていることを指摘する(取り締まる)「比較ポリス」である。比較している人がいると、ピーポーピーポー飛んでいく。比較することの不毛さ、毒性を示し、気持ちの方向性を変えるようにアドバイスさせてもらっている。

今日はその比較ポリスの私でも、人との比較で自己肯定感を下げる事があるとシェアしようと思い立った。

比較してしまうのもまた自分

ただ、比較してしまうのも、それもまた私達の人間らしい部分である。比較してしまうのも仕方ないよ。でも、せっかくだから、比較沼にズブズブしているより、比較してもしょうがないって切り替えた方が自分も周りも楽しくなれるなと思っている次第である。

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