長崎タルタリア探訪 新地中華街&十八銀行

画像1 出島すぐにある長崎電話交換局之跡。
画像2 長崎で電話交換業務が開始されたのは明治36年(1899)4月1日で、九州最初の開局であった。交換業務は昼間は女性、夜間は男性が従事したが明治36年(1903)には女子交換手だけとなり愛称「紫式部」(和服に紫の袴着用)が職場の花として市民にもてはやされた(案内板より)南蛮貿易の影響か九州では長崎が最初だったんですね。
画像3 その袂にある扇橋
画像4 鏡のような水面
画像5
画像6
画像7 石垣は出島にあったのと同じ、斜め積みなのでデレーケ先生による仕事かと思います。
画像8
画像9 突然現れる黒くて小さな南蛮恵比寿。少しギョッとしますよね。
画像10 そんなに古いものではないですね。
画像11
画像12 新地中華街より路面電車に乗ろうとすると、、
画像13 その先にぶら下がっているものが。
画像14 鐘がたくさんありました。十八希望の鐘 だそうです。。十八銀行創立百十周年記念で、昭和63年(1988年)に建てられた鐘です。長崎の四季にひびき ふるさとの限りなき繁栄と幸福を希望しこの鐘を建てる。 昭和63年(1988年)創立百十周年記念 十八銀行 頭取 堀 太郎(碑文より)毎日定時になるとこの鐘が鳴り、時を告げます。製作は、三菱重工業株式会社長崎造船所。これもそんなに古いものではないですね。
画像15 十八銀行が気になったので調べてみました。 沿革 1870年(明治3年)1月 - 産物会所の貸付金整理業の協力社が設立される。 1877年(明治10年) 5月16日 - 国立銀行願書を提出。 9月2日 - 国立銀行条例に基づき、「第十八国立銀行」として設立。 資本金は16万円。初代頭取には永見伝三郎、支配人には松田源五郎が就任。役職員は頭取以下21名。 松田源五郎の提案により、立誠会社を解散して国立銀行を東濱町326番地に営業所で開業の運びとなった。 12月20日 - 開業。
画像16 番号で銀行名を振るのは、後付けでいろいろ都合が良かったのかもしれませんね。今回の投稿では繋がりそうな雰囲気もありましたが、これといった痕跡は見つかりませんでした。また次回をお楽しみに。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?