TOKYO 2020の開会式を見て泣きそうになった
2013年の9月、56年ぶりのオリンピックは自分たちの国で開催することが決まって、普段はスポーツも一切観ない自分でさえ、この街の未来が大きく変わる予感がして、胸を踊らせた。生きているうちに東京でオリンピックが開催されることは二度とないんだから、開催年までは東京で仕事をして、なんなら少しでも国の未来に関わるような仕事をしたいと、心の底から震えた。
そんな僅かな希望を胸に東京のクリエイティブを扱う会社に就職して、でも自分よりも圧倒的に凄い人たちがたくさんいて、半ば諦めるように業界を離れて、京都で宿泊・観光の仕事を始めた。それでもなお、何か未来のヒントになるようなクリエイティブを、文化芸術を作る仕事に携わりたいと思って、会社に我儘を言いながらホテル×エンターテインメントの仕事を始めた。
でもやっぱり、心のどこかで、いつか東京に戻って仕事をしたいと思っていた。東京はこの国の中心だし、なんだかんだ言って尊敬しているクリエイターの人は皆んな東京で仕事してるし。
でも、昨日の開会式を観て、僕らがどれだけ東京を、日本を愛していたとしても、この国は僕らのことを愛してくれないんだと悟った。
もちろんゲーム音楽も歌舞伎や伝統的なお祭りも、この国の大切な文化芸術。ピクトグラムの発明も、お笑いも、音楽も、全てのカルチャーを生み出す人の、血反吐を吐きながら創作する熱い想いも、何かを生み出すために何かを切り捨てないといけない人生も、全て尊くて美しい。そんなことは当たり前で、それでも個人の感情を捨てて、時に仲間割れを起こしてでも、日本の最新の文化芸術はこんなに凄いんだぞ!ってことを世界中に宣言する場が昨夜の開会式のはずだったのに。
2016年のリオの閉会式での演出を見たときは、本当に悔しくて、あぁきっと自分は生きている間にこんなにカッコいいものは生み出せないんだろうなって泣きそうになったのを覚えている。でもその劣等感に突き動かされて、少しでもカッコいいものを作りたい!って魂に火がついて、明日や未来への活力になる。少しでもクリエイティブに携わっている方であれば、この気持ちわかって欲しい。
本当に本当に、あの閉会式の続きを、日本一のクリエイティブを心の底から観たかった。自分のような庶民には決して手も届かないような天才たちがチームを組んで、アイデアを絞り出して、「これが2021年のJAPANです!!」って胸を張って、観た人全員がTwitterのタイムラインを追うことも忘れるような、日本一の世界一のエンターテイメントショー。
そんな最高の瞬間が築き上げられる準備はできていたはずなのに、どうして無くなったんだろう。どうして、彼女たちはその舞台から降りないといけなくなったんだろう。本当に有り得ない。どんな気持ちで昨日の開会式の夜を迎えていたんだろうか。もし自分や、自分の仲間が同じ目にあったりしたら怒り狂ってたと思う。今でも十分怒ってるけど。
もしかしたら誰のせいでもないのかもしれない。コロナがなくても電通という会社がなくても、政府の意思決定がもっとロジカルにおこなわれていたとしても、蓋を開けたら彼女たちのチームの演出もそこまで尖ったものじゃなかったのかもしれない。でも少なくとも、ナレーションがないと成り立たないような、ストーリー性もなくて、点と点を無理矢理つなぎ合わせたような開会式にはならなかったんじゃないか...と思ってしまう。リオとは別の意味で、昨日の開会式は観ていて泣きそうになった。
国立競技場にAKIRAのバイクが駆け抜ける絵、観たかったな。
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