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《不眠之夜》SLEEP NO MORE SHANGHAI| 演劇作品のデコンストラクション

HOTEL SHE, KYOTOでイマーシブシアターをやると宣言してから1ヶ月が経ちました。とても有り難いことに劇団の方や脚本家様や演出家様などいろんな方からお声をかけていただき、日々抑揚感とプレッシャーで胸いっぱいになっております。

前回のnoteはこちら。


プロジェクトを立ち上げた張本人として、やはり本物を見ずには何も語れないと思いまして上海までイマーシブ・シアターの代名詞「SLEEP NO MORE」を観劇してきました。
せっかくの機会なので、体験レポート兼作品のデコンストラクションをがっつり目にやりたいと思います。

SLEEP NO MORE SHANGHAIとは
ボストンから始まりNYオフブロードウェイで人気に火がついたイマーシブ・シアター「SLEEP NO MORE」。建物一棟の全フロアを演劇の舞台と見立て、ゲストは「見えざる者」という設定で仮面を被り、自らの足で建物内を彷徨うことで演劇を鑑賞します。シェイクスピアの名作<マクベス>とイギリスの作家ダフニ・デュ・モーリエの小説<レベッカ>をベースとしたストーリーらしいですが、原作にはないシーンが多分にあったり現代風にアレンジされていたりします。主にノンバーバルなコンテンポラリーダンスで構成されているのが特徴的。
そんなSLEEP NO MOREが新たに常設されたのが中国の上海。演者のほとんどは欧米系の方でしたが、4割くらいアジア系の方も出演されています。


さて、何から書き始めようかと悩みましたが、やはり体験の流れをベースにするのが一番わかりやすいと思ったので、順に体験内容をレポートして参ります。ちなみに結構なネタバレがありますのでご了承ください。


入場|ホテルの門をくぐった瞬間から物語ははじまる

SLEEP NO MOREの開演は購入チケットの値段によって変動しており、最も高価な750元(1万3000円くらい)だと19時スタートになります。僕もせっかくなので19時スタートにしたのですが、理由は後ほど書きますが120%こちらがオススメです。
物語は架空のホテル:The McKittrick Hotel(マッキトリック・ホテル)が舞台で、入り口のどこにもSLEEP NO MOREの文字はありません。その代わりに建物の入口にはホテル名のサインとチェックインカウンターがあります。予約番号を伝えるとチケットを渡され、手荷物は全てロッカーに預けて建物の中に入ります。そのあと1人ずつ間隔を空けてクラシックな雰囲気の階段を登るように言われます。この時点で流れる音楽はホラーテイストだけどどこか儚げなメロディ、先に進むにつれて視界に光は一切入らなくなり、真っ暗闇を壁づたいに進んでいきます。
五感すべてがMcKittrick Hotelに支配され、まるで闇の中で眠りに落ちるような感覚。不気味で幻想的な夜が明けると、真紅のカーテンの奥から夢のような別世界が現れます。

待合|酒に酔い、音楽に良い、世界観に酔う

そこはニューヨーク映画に出てくるようなジャズ音楽の流れるホテルのラウンジバー。灯りは卓上のロウソクと演奏ステージ上の赤い照明だけで、先ほどまで2019年の上海にいた記憶は見事に吹き飛びます。ここで19時スタートのグループはワンドリンクサービスがあり、苺が添えられたカクテルをバーテンダーから配られます。
このラウンジバー時間を存分に楽しめることこそ750元払う理由です。いきなり演劇を観るのと、ちゃんと世界観に脳のスイッチを切り替えてから観るのでは満足度が全然違うのです。少なくとも僕は、別に演劇を観に来てる感覚はなく、どちらかと言うと世界観を楽しむために来ているので。。

(お酒が弱いからかもですが)アルコール濃度は結構強めで一杯飲むとある程度酔えます。そこにジャズの生演奏でさらに酔える。必要最低限まで明るさを絞ったムーディーな雰囲気で世界観にもとことん酔える。きっと僕以外の誰も演劇を観にきたことなんて覚えちゃいない、McKittrick Hotelのラウンジでの儚い幻想を観にきてるんです。。。

アナウンス|Say goodbye to your loved ones

そんな幻想的な時間も束の間、男女シンガーが軽く歌い上げた後に注意事項がアナウンスされます。その中の言葉の一つがこれ。SLEEP NO MOREはウォークスルー型の演劇ですが、初めはいくつかのグループに分かれて移動を始めます。そのグループも配られたトランプの数字によって決められるので基本パートナーともここでお別れなのです。夜の夢は一人で見るもの、隣にいる人は別の夢を見るのです。
そんなロマンチックなグループ分けの後は”見えざるもの”の仮面を受け取り、グループ全員がエレベーターに詰め込まれます。中には案内員がいて物語の序章の話をしてくれます。暗闇の箱は何度か上下運動を繰り返しながら、扉が開くたびに手を取られ2〜3人が降ろされていきます。
そして、降ろされた先に広がっていたのは小説レベッカの冒頭、愛する人の前妻の影に怯える<わたし>が住まうマンダレーの世界でした。


さて、ここまでいい感じに書いてきましたが、以降は残念ながら言語化できません。
なぜならストーリー内容が本当に意味不明だからです。マクベスもレベッカも事前に2回読みましたが、演者の誰がどの役なのか、ここは一体どのシーンなのか、5%も理解できませんでした。
この人は誰で何をしているのか、どうして踊り泣き笑っているのか、その言動や物語の起承転結のすべてに?????がつくのです。

じゃあつまらないのか、、、と思うじゃないですか?
いや全然面白い、むしろ驚愕と感動に常に苛まれる感じです。
映画や小説だとストーリー分からない=つまんない帰りたいお金返せになるじゃないですか。でもSLEEP NO MOREはそうはならない、3時間心拍数が上がりっぱなし、途中で嗚咽しそうになるくらいに。

その理由は単純で、そもそもSLEEP NO MOREのような体験をこれまで味わったことがないから相対評価できない、それゆえに「つまらない」と思うことすらできないのです。
例えば「XXXの映画は面白い」「YYYはつまらない」って、これまでの映画鑑賞の経験則から自分(または社会)の中でおおよそのラインが決まっていて、それを上回るか下回るかで評価するじゃないですか。
もしこの世に映画が一本しかなくて、それが今の世の中で駄作と評価されていたとしても、きっと人は映画の概念自体に感動すると思うのです。

つまりSLEEP NO MOREもその”世に一本の映画”と一緒で、演劇と言う枠を超えすぎていて脳内で評価さえできない。演劇作品ではなく、イマーシブ・シアターという概念自体が全く新しいものなのです。

ただ、そう簡単に新しい体験価値がこの時代に生まれるわけはないわけで、素人目で見ても人が心を動かす要素が高度に計算尽くされていると感じました。長くなりましたがここから作品のデコンストラクションです。


次元の違うシナリオ構成

SLEEP NO MOREでは特定の主人公は存在せず、ざっくりメインキャラ10人とサブキャラ10人くらいで構成されています。ただしサブキャラといってもメインキャラと出演時間は全く同じ、3時間すべて何かしらの行動をおこなっています。彼らの演技はすべて建物内に流れるBGMで秒刻みで制御されていて、寸分の狂いもなく、キャラ同士が出会い、会話し、そして別れ、また別のキャラと出会います。
特定のメインキャラを追いかけて見失ってがっかりし、別のフロアにいるサブキャラを観察していたらそこにさっきのメインキャラが合流してくるのです。そしてその間見ていたサブキャラが蛇の毒とかを採取していて、それの入ったワインを飲んでメインキャラが急死んしたりする。メインキャラをずっと追いかけていた人たちは何故彼女が突然死んだのか全くわからないのです。
映画や小説と比べるとシナリオの次元が文字通り異なるため、キャラ全員のすべての行動が伏線になり得る。そのためサブキャラが突然メインキャラへと昇格する現象が頻繁に起きるのです。(そのお陰もあってかサブキャラの観客も一定数いて、いい感じにメインとサブで分散が起きていました。そもそも演者は急に走り出したり人混みに入って行ったりするので、ずっとメインキャラを追いかけること自体不可能なんですが。)
従来の映画や演劇のような”舞台袖”は存在せず、常に登場人物全員をそれぞれ主人公にした幾多の異なる物語が進んでいる。もしかするとサブキャラ/メインキャラという分け方自体ナンセンスなのかもしれません。

突然、観客の手を引いて連れ去る演者たち

上記に加え、もう一つサブキャラがメインキャラに化ける瞬間があります。それはサブキャラが突然観客と目を合わせたと思ったら、その手を引いて観客一人を個室に連れ込むのです。そのあとは必ずと言っていいほど仮面を剥がされ、物語の流れを大きく変える物事が起きます。(その際部屋には内から鍵がかけられ、他の観客は部屋に入ることはおろか何が起きているのか知ることもできません。)
そう、これがSLEEP NO MOREの真の醍醐味と言って良いでしょう。世界観バチバチの空間の中で、演者に瞬き一つなく見つめられ、他の誰もできない体験をする。どんな些細なことでも、殺人シーンの演技を傍観するより心拍数の上がる瞬間。3時間の単調な舞台に緊張感を与える起爆剤的な効果があります。
僕が体験したのは2回でしたが、そのうち1回は普段は警備スタッフに止められて登れない最上階フロアに連れて行かれ、車椅子に手足を縛られた状態で演者に運ばれてとあるシーンを目撃する、というものでした。(中々の恐怖体験でした。。。)
他にも指輪を渡されたり、酒を飲まされたり、衣装棚に閉じ込められたりしている人を見かけました。
このような突然のギミックが突発的に発生することで、最後まで飽きずに物語の世界に没入することができるのかもしれません。

観客の想像を駆り立てる、余白のある演技

基本的に演者は言葉を発さず、声を出しても聞き取れないほど小さい音量だったり、特定の言語ではない”叫び”だったりします。だからこそ、まるで彼らがその世界で本当に生きているような錯覚を覚えるのです。
また言葉に依存しないため、観客は否が応でも演者の動きを注視します。
演者が眺めている白黒写真や書いた手紙、化粧棚で何かを探す様子まで、行動の全てに意味を考えますが言語化されないため想像するしかない。ただ、想像してもわかりっこないのでそれを究明するために特定の演者を追いかけたり、手紙の置かれた部屋で待機したりするのです。
言葉に頼らないことによって観客のイマジネーションを刺激し、ウォークスルー型のコンテンツを楽しむために不可欠な”探究心”を持続させてくれるのです。

圧倒的な世界観を演出する舞台装置たち

各フロアごとにホテルのフロントにはじまり中世の街並みや竹林、病院などが再現されており、その完成度が本当に高いのです。墓地であれば霧がかった上にひんやりとした空気が流れ、病院ではあの独特の匂いが鼻に刺さります。演者が時間確認に使う時計もペンダント型だったり、ホテル名簿も紙が黄ばんでたり、細部にまで徹底したこだわりが見られました。
そしてそれらは単なる張りぼてではなく、演者は実際に置いてある紙で手紙を書いたり、何かのメタファーのような液体を飲んだり、けたたましい音が鳴り響いた固定電話で実際に誰かと会話をしています。そこに従来の演劇が持つべき劇的な演出はなく、ただ彼らの物語(=日常)が圧倒的なリアリティで孕んで進んでいく。欲張りな観客の期待は常に裏切られ、美しすぎる世界でただただ僕らは邪気を捨てて追いかけっこをするのです。

前例のない演劇を支える、大規模な運営

陽の当たる舞台や演出ももちろんすごいのですが、それらを支える運営スタッフを観察するだけでもとても面白くてオススメです。3時間通しで物語が進むので、観客の体調や安全性、物語上重要になってくるシーン現場での誘導などをおこなうスタッフが建物内にたくさんいます。彼らは観客と区別するために黒い仮面を被っており各フロアに常時5人ほど駐在しています。あまり固定位置はないようで物語の進行に合わせて移動し無言で役割を全うします。

ちなみにスタッフには大きく以下の通り3種類いるようでした。
⑴フロア固定の黒子スタッフ
フロア移動の階段や連れ去り部屋前での警備、ダイナミックなダンスシーン前の観客の誘導など
⑵演者に付き添う黒子スタッフ
演者が荒らした後の舞台装置の修復、不要になった小道具の回収、演者の進む道の導線確保など
(ただ大体の場合、演者自身が振り向きざまの目力などで観客の人混みを無理矢理どかしていた、すごい)
⑶ストーリーテラー的スタッフ
仮面は被らず、エレベーターに乗る前の注意事項説明や仮面の配布、観客が公演中に使う肩がけポーチの配布など
おそらく全員で30人以上のスタッフがいる感じで、この統率だけでもかなりのコストがかかっている印象がありました。


以上がSLEEP NO MOREを構成する要素の概要と裏側考察になります。
それは従来の演劇の常識なんて一切持たない脚本構成、演出、ギミック、舞台装置、運営。
その上これらが境界なく状況に応じて優先度を変えながら制作されていることで、これまでにない驚異的な体験が生まれているのだと感じました。

クリエイティブ視点で自分なりに紐解いてみて、尚一層SLEEP NO MOREを生み出したチームにリスペクトが絶えません。ロンドン発の歴史ある劇団が、これまでの制作スタイルをかなぐり捨てて、新しい演劇スタイルを確立した。彼らの美学や哲学を想像することさえできないくらい、ただひたすらに強い意志を突き詰めていったのでしょう。

そんなイマーシブ・シアターを生み出した天才たちへのリスペクトを絶やさずに、ここ日本京都でも嗚咽するくらいに驚異的な体験を生み出したい。きっとそれは、制作するプロセスの中で変容し続け、今の時点で想像するよりはるかに美しく、幻想的で、毒を孕んだ世界観になるんだろうな。。。

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