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葛利毛織で働くと決めたワケ。 1/2

はじめまして。

葛利毛織工業(株)で製造・企画を担当します
上村 直也(ウエムラ ナオヤ)と申します。
こう見えてまだ24歳です。笑(※2020年3月8日現在)

最初の投稿は、4大を卒業した僕が『どういった経緯で葛利毛織工業(株)に入社を決めたのか』という内容でお届けします。

僕の出身大学は、名古屋にある方の『中京大学』です。よく間違えられるのですが、フィギュアスケートの浅田姉妹や宇野昌磨をはじめ、トップアスリートが多数在籍する『中京大学』はスポーツをするキャンパスで、人里離れた所にポツンとあります。

なぜか僕らはそちらのキャンパスに入ることができません。マジで謎。

そんなことはさておき
僕は『国際教養学部』という学部に在籍していました。名前だけ聞くとめっちゃカッコいいですが、特に国際的な教養がついたとは思いません。
また、課題に追われるような大変な学部ではなかったので、多い時には週4.5で古着屋に通い、古着の知識と洋服愛だけが膨れ上がっていきました。それに伴い貯金はほぼゼロでした。。。

まあ、そんな感じで就活を迎えた僕は当然

『洋服に関わる仕事に就きたい!』

と思うようになります。

経験した方は分かると思うのですが、就活のスタートって何をすればいいのかわからないし、そもそも始まった実感もない。ヌルっとスタートします。

そんな中、僕はとりあえず『ファッション』とか『繊維商社』というワードを使って企業を探します。

その結果、名古屋には大きな繊維商社がいくつかあることが分かりました。例えば『瀧定』『タキヒヨー』『豊島』といった感じ。
それからは、繊維商社に絞り、説明会に行ったりインターンに行ったりと、割と精力的に活動しました。


しかし、繊維商社を知れば知るほど洋服との距離を感じはじめ、一次面接が始まる頃には

『自分のやりたいことじゃない』

とまで感じるようになります。完全に露頭に迷い始めます。でも、『何がやりたいのか』わかっている訳ではありません。


そんな矢先、ネットである募集を見つけます。

『尾州織物でみる "ハイブランドの裏側" にふれる旅』

大ナゴヤ大学さんが主催するツアーでした。


これだ!!!!!!


と飛び上がり、一心不乱に申し込みフォームを入力した。

服を買いまくり、貯金が尽きるスレスレで戦っていたことなんてどうでもよかった。参加費の5,000円で人生が変わるかもしれないのに、それを渋るバカがどこにいるだろうか。

そして実際に、このツアーで僕の人生は一変します。

いよいよ待ちに待ったツアー当日。
一宮駅からバスツアーがスタートしました。

ツアーはまず『ご夫婦で営む個人機屋』に向かいました。そこで目にしたのは、某有名ブランドに卸すというチェック柄のコート地。おそらく製品になるとウン十万。

身近にこんな世界があったのか!


という衝撃で身体が震えたのを今でも覚えています。


その後は『テキスタイルマテリアルセンター』へ。

こちらには、世界各地から多種多様なテキスタイルが10万点以上も展示されています。
それを求めて全国からデザイナーさんや洋服好きが集まります。(行ったことない方はぜひ!)

全然テキスタイルに詳しくない自分からすると、数が多すぎて何がなんだかよくわかりませんでした。が、とにかく

尾州に求めていたものがあるぞ!


という感触は確かなものでした。
ツアーを終える頃には、『繊維商社に就職』という選択肢は無くなっていたと思います。。。

こんな感じで、待ちに待ったツアーは人生で最高の経験として僕の記憶に刻まれています。



ところで、僕は乗り物がハチャメチャに苦手なのですが、
今でも普通に電車で酔いますし、バスなんかは乗車時の匂いでゲームオーバーです。

なので、帰宅途中にもいろいろ調べたい!!!と思いましたが、ツアーが終わり緊張の糸がほぐれるともう、ダメ、でした。

もっと知りたい!!』とはやる気持ちを抑え、その日はとりあえず床に就きました。

翌日、目が覚めるや否や『尾州 機屋』『尾州 生地屋』といったワードを使って、20社程度の機屋を見つけることができた。
「少ねえな」と思われたかもしれないが、尾州の機屋で、ちゃんとしたホームページを持っている企業はそれほど多くないし、実際に弊社もホームページを持っていない。
理由は単純明快。

オカネガナイカラ。


推測ではなくて、どこの生地屋に行っても「機屋は給料良くないから辞めたほうがいい」「大学出たのに機屋はもったいない、たくさんお給料もらえる商社の方が良い」ってめちゃくちゃ言われました。

最盛期は『ガチャ万』と言われ、織機が1回ガチャンと動くと1万円儲かるという時代があったようですが、その時代から数十年経ち、面影はほとんどありません。

ざっとおさらいすると、
バブルが弾け、高価なものが売れにくい時代へと変わり、量産の波が押し寄せる。マネーが潤沢な企業以外は革新織機へと乗り換えられず、製織スピードの劣る旧式織機(ションヘル織機)で戦い続けることになる。(間違ってたらすいません、、)

こうなるとやはり、ションヘル織機(旧式織機)のままの機屋は、明らかに生産スピードが遅いので大きなハンデです。ここで、価格競争に巻き込まれない戦いができれば良いのですが、少しトゲのある言い方ですが『ただただ注文の通り織るだけ』で稼げていた機屋にその能力は必要とされていなかったので、突然やろうとしても無理だったと思います。

僕は、この時しっかりと『ションヘル織機(旧式織機)の何が良いのか』ということを研究・啓蒙できなかったのが、現状に響いていると感じています。

だって、ションヘルを語るとき『風合い』ばっかだもん、、、


と、ネガティブな感じになってしまいましたが、100年以上受け継がれ、進化を続けている技術はまだまだ残っているので、それだけは確実に後世に残していきたいと強く思っています。方法は模索中です。

めちゃくちゃ長くなってしまったので、一旦ここで区切りまして、続きは次の記事に書いていこうと思います。
ここまで読んでいただいてありがとうございました。

つづく。

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