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鎌倉旅行記 前日

 最近更新できていないのは、頭の中があることで一色に染まっているからです。人間を相手にしているから、わからないことが多い。

 24時間一つのことに悩まされているから、見える景色が単調になっている。そのほかのことに目がいかなくなって、夏休みなのに、単調な生活を送っているなと感じている。だから、池尻の家と、家庭教師先の三軒茶屋と、通学先の駒場を往復するだけの生活からでは、なにも発想が浮かばない。紡ぐべき言葉は知覚できない。

 高校生の頃、同じ空間を過ごしていて、見えてる世界が違うね、と言われたことがある。僕が書いていた日直日誌は、だいたい月に一回の当番が回ってくるときに書いていた。通学電車の車窓、通学路を歩く視点、教室の座席からみえるもの、感じていたことを自分のことばで表現しようとしていた。日直日誌の、あの狭いスペースで。そして、ありがたいことに、そういう文章に、いつもいい評価をくれる友人がいた。

 noteを始めてみたのは、大学生になって、大きすぎる街に一人で対峙するようになり、様々なものやひとに新しく出会い、そして自分がその大波に翻弄されているように感じ、歯がゆさと諦念と、そのはざまで揺れ続けていたSセメスターが終わったころだった。夏休みが始まり、様々ことから解放されるのではないかと考えていた。負荷がない状態で、自分がいま生きている世界を、自分の目で見て、それを言葉にして残したいと考えた。高校生の頃のように。

 翻って今はどうなんだろう。現在の僕は、不可知の人間の心のなかを見ようとして悩み、己の弱さに辟易し、そんな自分では手が届かないはずの理想を目指してもがいている。そのための努力だって、碌にしているだろうか。全て、人間を相手にしているからこそ生じている問題だ。
 将来の夢、現在の進路、それが根源だったら、やることはわかっている。そして、これだけ長い一日の間で、それをこなすこともできる、できるはずだ。少なくとも、そこに対しては、矜持を持たせてもらいたい。だが、実際の根源は、一人ではどうにもならない質のものである。だから、こんなに長い24時間なのに、頭の中であれこれ考えて、たまに駒場図書館で本を読みながら窓の外を見てためいきをついて、それだけで終えることしできない。通学路で、図書館の窓で見える景色は、灰色がかっている。

 これは甘えだろうか。行動に移せないのは、自分のせいなのではないのか。そんな気もする。甘えを否定できない。他人のせいにして満足か?

でも今は甘えさせてほしい。他人というものは、本当に不可知なんだから。

こんな状態に陥ってしまった自分が情けない。

明日から鎌倉に行ってきます。高校の友達と。


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