面と点

人付き合いは面。
それは当たり前のこと。
その上で、仕事では論点という言葉が多用される。
必要なことだ。
何のためかといえば、一人歩きした時に、面で接していない人からも支持を得るために。

ただ、面の情報なしに、点で合わせることはできるだろうか?
かなり難易度の高いことと言える。
仮説思考というものもある。
要は、当てずっぽうでも、答えに早くたどり着くためには、フィードバックを早く得て、修正していくのが効率的という考え方だと思っている。
なぜなら生産性が必要だから。
営業やコンサルなら、顧客はそれほど多く長いチャンスはくれない。
相手がいない世界があるかないかわからないが、あったとしても本人の成果をあげるための時間は限られている。例えば研究職とかはそうかもしれない。
自分相手だとどうだろうか。
圧倒的に面の付き合いだからこそ、変えたいと思う時に、宙に浮いた論点や対策だとよくある三日坊主を産むことはよくわかっている。正論は通じない。
家族もそうだ。全くもって正論は通じない。正論を軽視しているわけではない。正論というか、正しいことを伝えたり導くことは極めて大事。
でも、それだけでは、全く動かないのが家族だったりする。

そろそろ結論に触れていく。
わかったことは、面の付き合いなしに、点で人を動かせるほど、人間社会は私のとって都合よくできていないということだ。
面があった上で、本当に何か動かしたい時に点の必要性が出てくる。
そして点の設定は、目的次第で自由自在に作ることができる。面の関係値があれば。

それでは面の付き合いとは一体どのようなものだろうか。
こちらの都合のいい時だけ話すような関係ではないのだろう。
友達とか家族ですらそうなっているのが今の自分なのに、どうしたらいいのだろう?
一言で言えば、大事にする、ということだろうか。

でも誰でも大事にはできない、絶対に。
だから、ちょっとテクニカルというか、基本動作的なものを身につけるべきなのだと思う。
まずは事実を捉えることを大事にする。
言葉であればおうむ返しから始めてもいい。そこから言葉という表層から、背景を知るための問いを言語化できれば、また相手のレスポンスがあり、認知がすすむ。
目的は一旦置いておいてもいいと思う。
その方が話してくれるかも知れない。
反芻と問い、今年はこれをテーマにする。

余談だが、今はロジカルシンキングどころか、AIが全て組み立ててくれる時代だ。
同時に、garbage in, garbage out という言葉も印象に残っている。
これはAI以前の話だ。
ロジックもAIも、面の情報と関係値なしには、ゴミしか発生しない。
言語化される前の情報と、言語化のきっかけをつくる反芻と問いが重要だ。
子育てにも、家族との対話にも。

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