兎にも角にも


兎にも角にも日々は流れる。
気付けば27歳、正確にはもう少しで28歳になる。
僕はロックスターに憧れてはいるが根っからのロックファンでもないので27歳で死ぬ気は無いし、恐らく83歳くらいまで生きると思っている。
自分が死ぬという感覚がない、予想がつかない典型的な現代っ子だ。


自分の気持ちはおそらくまだ23歳か25歳くらいだろう。
体は、オールで遊ぶと次の日なかなか起きれなかったり、少しご飯を抜いたくらいでは痩せづらくなったり、変化を感じることが増えてきてこれが老いかぁと思うこともでてきた。でもまぁまだ気合いで大丈夫な範囲のように思う。思いたいという希望も込められているのかな。
世間体では、結婚や出産などタイムリミットのようなものが存在する行事や大きな出来事が遠くのほうで僕を待っている。そこでは友達や昔の恋人たちはもう僕の見えない知らない場所に行ってしまった、気がする。


20代も後半かと思うと、焦りや将来への不安などが頭をかすめる。健康、金銭、家庭、なんか色々に関して。本当に一般的な色々の事。
おれ大丈夫かあああ、と自問自答する、というよりは頭の後ろからほぼ叫ばれているような感覚に陥ることがある。もう1人の社会性を持った優等生な自分に頭を叩かれるのだ。
その騒音や悲痛な空気に心は引っ張られ反応するのだが、結局自分という人間はそんな変わることなくどうしようもできないまま気持ちは移り変わり時は流れ全ての音は消えてしまう。
残るのはそのままの自分。今の自分、イコール変われなかった過去の自分でもあるのだけれど。

とは言え
今の自分というなにかが残っているだけありがたいかもしれないなぁ、という能天気な感情もある。
そんな風に捉えられる自分は幸せだろう。
それはきっと自分が何も無い存在だと思ったもっとどうしようもない時期があったからだろう。
その頃から何か変わったか?と問われればあんまり変わったように思わないけれど、確かに何かは変わった。


薄ぼんやりと将来は見えている、気がする。
こんなことをしたい、あれがしたいというのは未だにいくつかある。幸せなことだ。
そんな事をしつつ僕は人生を進めていきたい、歳をとりたい、恋もしたいし音楽もしたい、多分するだろうと思う。
それができるのは僕がずっと色んな人に助けれられているからだ、間違いなく。
感謝したい、もっともっと。心の底から感謝したい、上部じゃなくて心の深淵で。


こんな風に他人に感謝したいと思えるようになったのが1番大きな変化かもしれない。
自分と自分で向き合ってもどこかで限界はある、もちろんそれも大事なのだけれど。
どうしようもない僕でも大人になるにつれてもっと他人に感謝できるようにしていこう。それだけでいい。28歳の目標はたまたテーマは感謝。


まとまらない文章になってしまった気がする。
明日はもう少しマシな文章を書きたいな。
読んでくれてありがとうございました。


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