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陽性転移

初めてペイン主治医に出会ったのは2008年6月。
今が2023年1月だから、もうすぐ15年になるのかな。

出会ってから4~5年間、「普通の人と同じように生活できるようになること」が目標だった頃は、私の関心は主にリハビリテーションにありました。

ペイン受診は、不調時の神経ブロックと、スーパーライザーと、薬の調整と、先生との他愛もない雑談。リハビリと違って、受け身でも大丈夫な、癒しの時間でした。

そんな私にとって先生がかけがえのない存在となったのは、歩くことはもちろんフルタイム勤務&走ったり跳んだりも出来る、見た目何の不自由も無くなってから。

杖を使っていれば、誰からみても足に不自由を抱えていると分かる。
でも、痛みを薬で抑え、痛い顔を見せず、足と気持ちをなだめながらの生活は、歩けなかった頃とはまた違う辛さがありました。

私は人に助けを求めるのがとても下手です。

でも、先生は私のSOSを察知するのが得意。
診察時、気持ちではなく出来事ばかりをつらつらと語る、その内容から、好調なのか不調なのかヤバいレベルなのか汲み取り、必要時は「何か言われたら私のせいにして良いです」とビシッと指示を出されます。

今までで心に残っているのは、事務職から幼稚園養護教諭へ転職し、予想以上の肉体労働に症状が再燃して心が折れそうになった時。有無を言わせず業務負担軽減指示の診断書を書かれたこと。(結局職場には出せずじまいだったけれど)

そして、今でも思い出すと涙が出てくる、
娘が心を病み消えたいと(詳細は伏せます)・・の時。
通常の外来診療に受診出来ない精神状態だった私のために、別日をセッティングして下さり、涙が出なくなるまで泣かせてくれ、眠剤を処方し、院内の精神科医に思春期はどこがお勧めか聞いて下さり、そして、当時有期雇用で休職制度の無い私が離職せずに長期の休みが取れるよう私の上司と相談を重ねて下さったこと。

この時初めて、私にとって「おもしろいおじさん」であった先生は実は「スピリチュアルペイン」も専門とする緩和ケア医だったのだと、その真骨頂を見せていただいた気がします。



その他、走馬灯のように先生との思い出が頭を巡る今日この頃。
診察時間の9割が雑談だったりもするのも、いつの頃からか、

麻酔科医として最大の武器となる神経ブロックもオピオイドも適応ではない慢性痛の患者に出来る治療は「笑い」

と信じておられるが故だろうなと、察してあげられるようになりました。
実際、バカ話にクスクス笑って診察室を出る頃には心が軽くなって、さて頑張るか、と思えます。


でも、先生は学内での立ち回りは苦手で、冗談の合間に時折「私は異端児ですから」と語られていました。



実は、先生は私の父にどことなく似ています。
顔ではなく雰囲気が。
前記事に綴ったようにパパッ子だった私は、いつしか、父親の面影を先生に重ねるようになっていたのかもしれません。
父はまだ存命だし、先生の年齢は父というより兄だけれど、ね(笑)

私を守ってくれる人。

けれど、

(ここでキーが止まってしまったので今日は終了)



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