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2020.4.19

今日は以前お世話になった方の誘いがあり、こんどYouTubeで山谷の話をすることになった。
屋台の一日店長をされている方の企画なので、気軽な感じに話したいのだけど、いま貧困問題が注目されていることもあって私もいろいろ考えてしまって、福祉の話題もまた避けられないとは思う。

だからここで一旦消化しておこうと思う。

最近、ネットカフェを追われて都の用意したホテルの利用を希望していた方が、同時に生活保護を申請するとホテルではなく無抵(無料低額宿泊所)を薦められるということが話題になっていた。

https://www.jprime.jp/articles/amp/17696#click=https://t.co/AIi8UDdd62

無料低額宿泊所とは、基本的に生活保護を受けている方が入所する施設のことだ。宿泊料は生活保護費から出る。(無料という名前はややこしいが、無一文で路上生活をしている人も入れるということで無料としたのだと思う)

残りの保護費から、「生活費」が施設側から徴収される。水道、光熱費や食費、備品費や、施設職員の人件費もここに含まれる。

本人の手元に残るお金は、年齢や障害等級などによって異なるが数百円〜多くて2万くらい。一か月のお小遣いだ。

山谷には、この無抵が多くある。

問題なのは、この無料低額宿泊所という制度を使って困窮者支援を行う団体の、その支援内容がピンキリという点だ。

この仕組みはいわゆる貧困ビジネスと言われる。門限などの細かいルール、時間割、決められた三食の食事、相部屋、狭い、シラミ、など様々なイメージで語られる。

自分が貧困状態になったとき、こんな施設に入れられたら嫌だと、これだけ聞けば誰もが思うはずだ。しかも、行政がこういう施設へ利用者の斡旋をしていると聞けば恐ろしく思うだろう。

悪質な業者は、職員が居ないか機能せず、利用者同士で序列をつくりリーダーが居たり、食事がカップ麺だったり、シラミが出ても放置していたりする。

では良質な支援とは何かと言えば、例を挙げると、まず十分な研修を受けている職員が在住し、利用者の関係性を把握している(いじめやトラブルに対応するため)。食事は利用者からのフィードバックを参考に限られた予算内で良いものを提供しようと努力する、食べなければ返金される、路上からほぼ直接来る利用者の受け入れも断らないので、利用者が持ち込むシラミは発生するがそれも業者を入れて対応する、認知症の方などがいじめられないように気を配り、利用者同士で助け合う関係性をサポートし誰も孤独にならないよう話を聞いたりイベントやミーティングを行う、拘束や鍵はせず、地域との協力で利用者を見守る(迷子や万引きの際の警察対応も行う)、医療や介護サービスと連携して健康管理を行う、本人が希望すれば看取りまで行う、転宅や就労、入院のサポートを行う、などなど。

こんな感じで、一部の民間団体は無料低額宿泊所のような仕組みを使って、家族、病院や施設、アパート、地域にも居場所のなかった人を受け入れる唯一の場所として、機能してきた。制度からこぼれ落ちてきた人の受け皿であった。

改めて支援の枠組みを設定し、制度内の事業にしようという議論は既に始まっている。ここには、悪質な貧困ビジネスを排除しようという狙いがある。これには大賛成だ。困窮者支援がどうあるべきか、きちんと見直され定義付けられることで良質な支援を行う団体が活動しやすくなればと思う。

新しく、広い個室のある建物を用意さえすれば困窮者支援はうまくいくだろうか。

私はむしろ、その土地にあった空き家を自前で用意し福祉的に活用してきたこれまでの支援の内容に意味を感じるが、それでも時代の流れとしてハコモノを新しくする必要があるなら、そこでどんな支援があるべきかその中身を考えていく必要がある。今穏やかに暮らしている人の安心はどう守るのかなども。

今回の騒動で、無抵がよく知られるようになったが、その議論は丁寧に行われてほしいと願う。無抵=悪、という単純な論調では議論し尽くせない課題だ。

ネット上で声の大きい支援者は、見ているとほとんどがアウトリーチや就労支援、空間提供が専門のようだ。困っている人を行政に繋いだその先には、生活がある。多くの場合、そこへの支援が必要だ。でなければまた困窮状態に戻る。一年や二年ではなく、十年以上の関わりが必要かもしれない。その終わりのない支援が語られることが少ないということは、日本の貧困問題が抱える負の面だと思う。

もちろん問題は、そこまで弱い立場になる前に就労に繋がったり、支援を受けたりできないかというところにもある。
ここは引き続き議論されるべき点だ。

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