心友〜回想原文まま
心友
私には心友と呼べる
ともだちが
ふたりいた
うめさんと
さつきちゃん
年も全然違うし
環境も全然違うひと
ふたりは
生きる意味を持っていなかった私に
生きてごらん
楽しんでいいよ
と、言ってくれた
そこから人生を再出発させることもできた
私にとっては
かけがえのないふたり
歳を取ったら
縁側で日向ぼっこしながら
お茶飲もうねと
笑って話してた
息子が生まれて3ヶ月目に逢ったのを最後に
その数ヶ月後
うめさんが旅立った
私はその時
うつ病で
うめさんの死を
受け入れることが出来ずに
パニックになった
私をおいていった
うめさんを恨んだ
ひとに依存することでしか
生きていけなかった私は
また
家族にすがり
うつ病はさらに悪化し
統合失調症に付け加え
パニック
PTSDを加え
クスリは20錠を超えた
最強の依存理由を見つけ
生きる意味を
考えることもなく
死ぬ気もないのに
死にたいフリして
不幸感満載で
生きていた
息子が2歳になる前に
さつきちゃんが
旅立った
私はまた
さつきちゃんの死を
受け入れることが出来ずに
携帯に残っていた
さつきちゃんの声を
何度も何度も聞いて
泣きわめき
最後の糸が切れてしまった
私はふたりを失って
完全なる
被害者になった
私が病気になったのは
あの2人のせいじゃない
私が生きることに
意味を持てなかったのは
あのふたりのせいじゃない
私をひとりぼっちにしたのは
あのふたりのせいじゃない
うめさんとさつきちゃんが
私の前からいなくなってしまったのは
私が
見捨てられたからでもないし
裏切られたからでもない
そのことに
気づくまで
16年も
かかってしまった
ふたりを失ってから
トータル16年
現実を受け入れることが
出来なかった私は
一度も
ふたりの墓前に
いけてないし
手も合わせてあげることもできてない
大切な人が
亡くなると
ひとは
辛すぎる現実から
逃げ
逃避し
現実を
直視できないのを
亡くなった人の
せいにする
私も
事あるごとに
病気になったのは
生きる支えだった
ふたりが
いなくなったことだと
思い込みと
勘違いを
脳にすり込み
弱い自分を
直視せず
ひとのせいにし
ひとにすがり
ひとに依存して
生きてきた
大事なのは
そんなズルい私を
私自身が受け入れ、認め
辛かったね
頑張ったね
と、受け入れることが出来たこと
あの頃の記憶が
あまりない私は
3人でいた頃の
楽しかった日々を
何となくの
イメージと残像でしか
思い出せないけど
私が
ふたりを
大好きだったように
ふたりも
私のことが
大好きだったら
それでいいかなって
思えるようになった
歳をとって
縁側で
ほっこりお茶は
もう飲めないけれど
ふたりの面影を連れて
私ひとりで
ほっこりお茶を飲もうと
いま思う😊
ふたりに出会えたことに
3人で生きる時間、瞬間が
持てたことに
いまは感謝でいっぱいです😊
いま、心からいえる
うめさん
さつきちゃん
ありがとう😊
私は元気です😊
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