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懐かしいお話が続々と…今後の活動にも期待大⁉ 南野陽子さんご登場「酒井政利のJポップの歩み」 3/13 古賀政男音楽博物館・けやきホール 事後レポート

3/13に、古賀政男音楽博物館・けやきホールにて、講座イベント「酒井政利のJポップの歩み」が開催されました。

往時の南野陽子さんのヒット曲を中心とした、楽曲のAパートを会場に流して、ナンノさんがエピソードを披露したり、酒井さんと対談していく形式でした。貴重な話ばかりで雰囲気もアットホームで(+博物館の観覧チケットも含まれていて)…正直、これで2000円はコスパ良すぎでした。

南野陽子さんの大ファンなので、当日は朝6時くらいから良席の整理券獲得のために待機、最前列のセンターで見ることができました!!

間近で南野陽子さんを拝見して。
アイドル時代から、そのまま大人の女性になられたような感じで、お肌も手も雪のような白さで指もほっそりしていて…
やっぱり普通の女性とは違います。50代になられても、あそこまで素敵に・綺麗に歳を重ねられている方は中々いないと感じました。

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まずは酒井さんの自己紹介と前談から始まります。

70年代初頭、CBSソニーは“若手歌手をアイドルとして売り出そう”と奮起していた時期で、一線で携わっていたという酒井さん。
アイドル・南沙織さんには、デビュー当初、芸名候補として「南陽子」が挙がっていたが、見送られ、「南沙織」となった背景があったことが、冒頭で語られました。
しかし、80年代半ば、都倉俊一氏(エスワンカンパニー代表・“恥ずかしすぎて”作曲)から、「神戸のお嬢様育ちの新人がいる」と、ある人物を紹介されたという酒井さん。その人物こそ、南野陽子さん。それが酒井さんとナンノさんの初めての出会いであり、(本名ではあるものの)“南野陽子”という、以前の“南陽子”と一文字違いのお名前を一目見た時から、スター性を感じたそうです。


その後、吐息でネットをBGMに、ナンノさんご登場‼️(可愛い)

少しお互いに会話したのち、本格的に講座スタート。

1曲目はデビュー曲「恥ずかしすぎて」。
レコーディング時中々歌えなくて、曲名通り恥ずかしすぎて本当に拷問のような一曲だったそうです。(笑)
酒井さんからは、「改めて昔と今の南野さんを比べて、今も昔もいいもの持ってると思う、女優らしい目力がある」とツッコミ(笑笑)。

2曲目は「悲しみモニュメント」
スケバン刑事Ⅱの主題歌として採用された曲で、月曜ドラマランド“時をかける少女”主演・DELUXEマガジンのグラビア、スケバン刑事などで、ようやく全国的に知名度を上げた頃。

スケバン刑事がヒットした理由は「あえてあまり向いていなさそうな人にトライさせたことではないか」と酒井さん。
初代の斉藤由貴さんも文学少女的な雰囲気だったように、「あえて雰囲気が違うスターが演じることで、視聴者にとってたまらない魅力が生まれたのではないか」と仰っていました。

3曲目は「楽園のDoor」
初めてオリコン一位を獲得した曲で、当時は本人・スタッフ一同全員で「すごいよ」と嬉しさのあまり震えたとのこと。
来生たかおさんのよるメロディはナンノさんご自身も非常に気に入っていて、来生さんとは現在も交流があるそうです。
酒井先生から「来生さんのライブに近年行ってみたけど素晴らしかった。セルフプロデュースして売り込みなさい」とダメ出し(笑笑)

4曲目は「吐息でネット。」
ナンノさん最大のヒット曲。「当時はベストテンなどの歌番組に頻繁にランクイン・出演されており、“歌”が自分の中で当たり前の存在になっていた。それに加えドラマやCFの撮影も重なり、一番忙しい時期でもあった。しかし、ソニーのスタッフはノリがイケイケで、恵まれた・出会いがあって良かったと思う。」とナンノさん。

5曲目は「あなたを愛したい」
映画「菩提樹」の主題歌
「この頃は変わり目の時期だった。」とナンノさん。変わらずハードスケジュールで、“歌が当たり前になっていた”ことから、責任感を抱いており、悩まれていた時期だったそうです。

(このあたりで確か、酒井さんが尋ねた流れで)「悩みの相談相手」に対する考えが、ナンノさんより語られました。
芸能界でもプライベートでも交友関係は多い中で、「本心・本気で悩みを相談できる相手は同業者にはいない(=芸能界関係者には話せない)。同業者に対しては本音はしゃべれないが、話を聞いてもらえるだけで嬉しいといったような感覚」と仰っていました。

確か 6曲目に、山口百恵さんの「冬の色」
百恵さんの楽曲のトリビュート企画に参加した際、宇崎・阿木コンビによる百恵さんの後期の曲を選ぶアーティストが多かったものの、 ナンノさんにとっては、 百恵さん=冬の色といったイメージだそうです。そのため「一番歌いたかった曲を歌えた!」と、嬉しかった心境を語ったナンノさん。

トーク開始からおよそ1時間経過したところで、質問タイム。
「歌手活動をもし再開とするとしたら、一番歌いたい曲は何ですか?」という質問。
それに対し「どの楽曲も本当に大切に思っているし、令和になって気持ちが変わったこともあり(笑笑)音楽活動を続けていきたい気持ちは強い」と回答したナンノさん。
また、「歌う機会があっても、今までは吐息でネットのような“ノリノリ・フリフリの明るい楽曲ばかりだった」と振り返り、
「舞浜のコンサートで“フリフリのアイドルからは卒業”と宣言してしまったこともあり(笑)、アルバム曲のような、“フリフリでない曲”を歌っていきたい」と仰っていました。

休憩時間を挟み、7曲目は「秋からも、そばにいて」
衣装が非常に豪華だったのが特徴。
「今までの歌は春の歌が多めだった。しかし、今までと一転して秋の楽曲 (“秋のindication”も思い入れが強い、とも補足)・マイナー調のミディアムテンポの曲だった。」とナンノさん。さらには、「先程の一番歌いたい曲は?という質問があったが、この曲かもしれない」とまで補足。


8曲目は「トラブル・メーカー」
「週刊誌に“ナマイキ”と書かれていたころで、そんな当時の心境を基に初めて作詞に挑んだ曲。 “月夜のくしゃみ”のように、何かを書くということにも活発に挑んでいた時期 」とナンノさん。
それに対し、 「誰にも“光と影”がある。叩かれても“影の部分を暴かれた”と半分笑って、見逃すのがコツ」と酒井さんのツッコミ(笑笑)

9曲目は「ダブルゲーム」
“1か月に1枚”というスタンスでシングルをリリースすることになり、路線がすっちゃかめっちゃかになった一方で、初恋の歌から脱却した一曲。これからも歌っていきたい一曲」とナンノさん。
酒井さんからは「こういう曲もあるんだね。いい曲だね、ぜひセルフプロデューㇲを」とダメ出し(笑笑)

10曲目は「夏のおバカさん。」
アルバムでは10曲中9曲、遂に作曲にも挑戦。
「今までお世話になったスタッフも、離れて行ってしまった頃。
今まで、作曲家の皆様はキーボードになじむような曲を作られてたけど、私はギターをベースに、なんとなくメロディをつける感じで作曲した。
今は自宅で過ごす時間が増えたこともあり、ウクレレを部屋で弾いてる」とナンノさん。

11曲目は、いしだあゆみさんの「ブルーライトヨコハマ」。
ナンノさんが気に入ってらっしゃる昭和歌謡曲の一つ。
「出演した舞台“てるてる坊主の照子さん”で同曲を歌唱するシーンがあり、聴くたびにそのことを思い出す」とナンノさん。

12曲目は「あなたならどうする」
原曲はいしだあゆみさんの曲で、トリビュートアルバム“なかにし礼と12人の女優たち”でカバーに挑戦されたナンノさん。
「“どうする”という風に、問題提起をしている曲であるのが魅力と思う」と酒井さん。
「あなたならどうする」の作曲は筒美京平さん。「筒美さんからも、アイドル時代に楽曲を提供してもらいたかった」とナンノさんがコメントすると、「第二の筒美京平となりうる人がいるから、作曲してもらうとよい
」とダメ出し(笑笑)。

筒美京平さんが亡くなったことについて、
「歌謡界を創り上げた偉大な先生がなくなるのは本当に悲しい。でも酒井さん、今もお元気そうですし、くれぐれも長生きして下さいねー」とナンノさん。すると「南野さんは少女らしい一方で、母性愛があるね」と酒井さん(笑笑)

13曲目、最後の楽曲は「桜詩集」
25周年に「氷のダイヤモンド」をリメイクした曲で、歌詞は康珍化さんが書いてくださったもの。
若い恋人同士を歌った氷のダイヤモンドから発展し、「大人になってからの再会」を唄った楽曲で、大変気に入っている楽曲とのこと。

「もう10年前の歌になるのねー」と、懐かしそうに振り返ってらっしゃいました。

全曲紹介し終わり、トークも終了に近づいたタイミングで、質問タイムの後編。
「若い世代からの昭和歌謡ブームも起きている中、若いアイドルに歌ってほしい楽曲は何の曲・どんな曲か?」という質問。

酒井さんには上手く意味が伝わらず、ナンノさんが通訳する、という一幕も(笑笑)

まずはナンノさんから。「今、アイドル時代の歌を歌えないと思うのは、その時にしか出せないものがあったから。
例えば“話しかけたかった”は、10代最後だった当時、内気で人に話しかけられない・本当に“話しかけたかった”心境だったからこそ歌えた。しかし今は大人になり、人と話すことにも抵抗がなくなってしまった。そのため、昔の自分をライバル視している部分もある。若さでしか出せないようなものを歌ってほしい」というふうに回答。

また、「昭和にデビューはしているが、自分は昭和の歌い手だと意識したことはない」とも。

次に、酒井さんの「いい音楽」に対する考えが述べられます。
現在の歌謡界では、歌う上で何かキャラクターを作って演じているだけで、“自分を出している”アーティストは少なくなっている
キャッチーである・心に訴える楽曲が多いのが昭和歌謡曲の魅力であり、いい音楽=ヒット曲の法則である。」と。

※例として、米津玄師を挙げてらっしゃいました
その点、南野陽子さんの楽曲には、季節感あふれる楽曲に、等身大のひたむきさ・清楚なお嬢様らしさも投影されており、まさに酒井さんの考えである「いい曲=ヒット曲」の「自分を出している、心に訴える」という部分に当てはまると思います。だからこそ聴き手である私たちは共感できるのだろうし、そういった部分が「ナンノ・ワールド」とも言える、南野陽子さんの楽曲の唯一無二の芸術性なのだと考えます。
※私は80年代当時生まれていなかった後追いの一人ですが、そういった部分で、どっぷり入り込んでしまったのだろうとも思います。

最後に「前々から音楽活動に対してもやりたいという思いがあって。本来であれば2020年に音楽活動をやりたいと考えてはいたけど、コロナ禍で自粛。しかし音楽活動は今後とも続けていきたい。酒井さんからの念押しもあったし(笑笑)。今後をお楽しみに~」というふうにコメント。

酒井さんとナンノさんは数十年ぶりの再会の中で、今回のトークに至ったそうですが、本当に息がぴったりでした。
最後は「南野さん、まだまだ半熟だと思う」と酒井さん。
それに対し「いや、ドロドロに熟していますよ~(笑笑)とナンノさん。

最後に、2020年に文化功労者として任命されたことを記念して、ナンノさんから酒井さんに花束の贈呈が。そして博物館の方からナンノさんに対しても花束が贈呈され、大盛況で終了!!

素晴らしい機会をありがとうございました‼

要点をまとめると
・酒井さんはナンノさんと以前から所縁があった。今も昔もナンノさんの才能(スター性)を高く評価しており、今後についても期待している
・酒井さんの「ヒット曲=自分を出している、心に訴える曲」という考え方は、ナンノさんの楽曲にもよくあてはまると感じた

・ナンノさん御自身も、今後音楽活動について非常に前向きである。

貴重なお話が聞けたと共に、今後のナンノさんのご活躍にも大きな期待が抱ける、充実しすぎた内容でした。
本当にありがとうございました!!

今後も楽しみにしています‼

※余談

コロナ禍でのイベントで、不安の気持ちもありましたが、消毒や検温に加え、足拭きマットの設置・ソーシャルディスタンスが取れた座席配置で、安心して臨むことができました。
雨天で整理券待ちしている中でも、時間より早く中に入れて頂き、非常に親切な対応だったと感じています。

チケットには博物館への入館権利も含まれているため、開演前に見学させて頂きました。
古賀政男さんについて・音楽について、分かりやすく深く学ぶことができたと共に、少年隊の「君だけに」なんかも流れていて、楽しい展示室内でした(笑笑)。

展示コーナー「大衆音楽の殿堂」には、
ナンノさん関連だと、顕彰者として三木たかし(“ダブルゲーム”作曲)さん・湯川れいこさん(“風のマドリガル”作曲)のレリーフが展示されていました。

以上になります。臨場感を感じて頂ければ、そして「南野陽子さんの楽曲」について深めるのに役立てて頂ければ、本当に嬉しく思います。
長文、失礼致しました。
読んで下さった方、本当にありがとうございました!!

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#南野陽子 #80年代アイドル #昭和アイドル #昭和歌謡 #スケバン刑事



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