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満ちてゆく あれこれ…(岡山弁的解釈を含めて)


2024年3月27日現在、これまでに note や X や、プロによるレビューまで、たくさんの解釈や意見を拝見して、まったくその通り、まったく言葉にしていただいてありがとう、という文章ばかりです。
これだけたくさんのコメントがあるのを見ると、
ほんとに、何か言いたくさせてくれる曲なのね、藤井風さんの満ちてゆく、って。
 
私もこの曲についての溢れ出す思い、拙く、脈絡もないけど書き留めておきたいと思った。。。



♫    ラブソング疑惑 (?)



そもそも、ご本人が so-called love song 「いわゆるラブソング」とおっしゃってますが、私にはまるで、全然、ラブソングには聞こえない。
少なくとも、色恋とか愛欲とかの歌には。
何で?
「いわゆるラブソング」は、たぶん、「君と私(お前と俺、でも何でも)」という、向かい合って見つめ合う2極があるのだと。
なのに、満ちてゆくには「僕ら」という人称しか登場しない。
 
「僕ら」はもはや向かい合ってはおらず、隣り合って共に先の何かを見ている感じ。
この曲は、恋愛の紆余曲折を通り過ぎた、「僕ら」になった先の詩? 
それにしては「手を離す」なんて、前略、中略、すぎやしませんか。
 
風さんの恋人は、やっぱりハイヤーセルフ、つまり自分の中にある「花」なのかな。
 
でも、曲に流れる温かさは、やっぱり「ラブ」かもしれないな。
 

♫     ミュージックビデオ


映画「四月になれば彼女は」のテーマ曲に書き下ろしたこの曲、
MVの監督は映画の監督でもある山田智和さん。
同じ人が別の作品を監督って、どうなるの? 映画とMVの内容は重なるの?別のものなの?世界観はどうなの?(風さんのことだから、内容が被るってことはなさそうだけど)
待ちに待って、わくわくどきどきして見たMV。
長編映画のトレーラーみたいに重厚で見ごたえがあった。
でも、場面が断片的過ぎて、場面同士をつなぐストーリーに考えが向いてしまって、音楽に集中できなかった。
2回目も終わる頃に、あ、音楽聞かなくちゃ、と思ったくらい画面に見入ってた。
 
”曲”と”MV”と”MV付きの曲”、全部それぞれ違うものなんだな。
風さんはミュージシャンとして最初からMVを作りたいと思っておられたそうで、このMVにも込めた想いがあるんだろうな。
 
私としては、
映画を見ていないので、世界観の違い、2つの媒体で表現したかったこと、なんていう所は分からないということを置いておいても、
このMVはまだ噛み砕けていない感じ。
花のMVで意味が腑に落ちたのとは違う感じ。
このMVの世界も、いつかは分かるよな…?
  

♫     ローマ字表記 Michi Teyu Ku の意味


以前、拙ブログに、風さんの頭の中に鳴る「音」について記したことがあります。(2021年5月29日Amebaブログ)
お姉ちゃんからのLINEがペンペンぺんぺん鳴ったり、ぶんぶんぶんぶんの免許に苦労したり
メロディに導かれる言葉がいつも頭の中に鳴ってるんだろうな、と思って書いたもの。
そこから見ると、Michite yuku ではなくて、Michi Teyu Ku
そのまんまメロディに乗るじゃありませんか。
風さんには、何の不思議もない音=文字なんだなと納得した次第。
 

♫     満ちてゆく の意味


手を離すのに、軽くなるのに、、、満ちてゆく
 
岡山弁に「みてた」という表現があります。
見てた、じゃなくて満てた。
「お醤油がみてたけぇ、こうてこんといけんわ」みたいに使います。
「お醤油がなくなったから、買ってこなくてはいけないわ」という意味。
 
岡山弁ネイティブスピーキングファミリーに生まれ育ちながらナゾだったので、
子どもの頃、父に聞いたことがあります、「満ちる」のがなぜ「なくなる」ことなのか、と。
父の答は、
この容器が空になると、他の容器だったり他の人のお腹だったりがいっぱいになるから
って。
質量不変の法則!?
物理学的にか、方言学的にか、何だか分かりません。
父の口から出まかせだった可能性も大あり。
でも、それを聞いた時、とても納得できた。
 
それから幾星霜。
満ちてゆく
ということばに出会い、震えました。
 
手を離すのに満ちてゆく
自分が手離すことで誰かが満ちてゆく
愛は求めるものではなく、既に自分の中にある
そんな愛を与えることで相手が満ちてゆく
それが分かって自分も満ちてゆく
 
余談ながら、昔の知人の話を思い出しました。大恋愛して結婚したのに破局、円形脱毛症になるくらい悩んで離婚、実家に戻って数年後、親の勧めでお見合いして結婚、男の子が生まれて最高の愛と幸せを味わい、次に女の子が生まれて、それでも第一子への愛は減ることもなく、「愛って、いくらでも湧いてくるもんだ」と思った、という話を。
 
 
風さんの育った所でも「みてた」って言うのかな。岡山県でも方言は結構違うから。
 


♫     ラスサビの解放感こそ満ちてゆく


そんな意味を踏まえて曲を聞くと、
(音楽的な知識もセンスも皆無なので、ごくごく私基準です)
 
ピアノ伴奏だけで歌声も抑え目の内省的な1番、
満ちてゆく~⤴、かと思ったら、満ちてゆ、、く~⤵
まだ満ちない
そこからバンドを伴って、だんだん力強く外に目を向け進んで行く2番、
ちょっと昔っぽいシンセサイザーの音でブリッジに入ると1番と2番で歌った思いを振り返ってまとめて肯定する感じ、
そして半音上に転調して、
満ちてゆく
すべてを丸っと包み込んで、全部OKって、大空に向かってゲートを開いて、背中押してくれる
 
聞けば聞くほど名曲。
Workin’ Hard に勝る応援歌かもしれない。
 
愛を見つけて、与えて、自分も満ちてゆく精神生活はまだ全然送れないけど、
風さんのこの曲に励まされて、その方向に進んで行きたいと思う。

 ♫ 終わりに

今のところ、思ったのはこんなこと。
最後に、3月16日にNHK総合で放送された tiny desk concerts JAPAN の演奏が実にすばらしかったので、リンク貼らせていただきます。
期間限定公開らしいけど、ずっと見せていただきたいと切に願います。


お付き合い、ありがとうございました。

※ タイトル画像は「満ちてゆく」ミュージックビデオから拝借しました。






















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