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死ぬのがいいわ あれこれ

死ぬのがいいわ
(藤井風さんの曲のタイトルです。知らなくて目にした人、びっくりさせたらごめんなさい。)
死にたいわ、でもなく、死んだ方がましだわ、でもなく、死ぬのがいいわ
昭和のどろどろの演歌かムード歌謡?
そもそも20代前半の男の子が、デビューアルバムに入れる曲につけるタイトル?
HELP EVRT HURT NEVER 収録曲のタイトルを見た時、
かなりの衝撃に、いや、もっと正確に言えばある種の嫌悪感に震えた。
何なんだ、このタイトル。
 
その後も藤井風のタイトルにはいちいち驚き、メロディとの親和性に感嘆することになるのだが。
 
そう、死ぬのがいいわ
最初に恐る恐るこの曲を聞いた時、いきなり頭の中に映像が浮かんだ。
イントロのペンタトニック(ドレミソラで構成する音階、いわゆるヨナ抜き音階)の軽やかなピアノと、
どこか子供たちが遠くで遊ぶ声のような音のせいか、
   場所は上海租界、
   中庭を囲むアパート、
   けだるい昼下がり、
   生温かい風に揺らぐレースのカーテン、
   ビクトリア朝デザインの豪華な花瓶に、暑苦しいほど満開の芍薬の花
   コバルトブルーのチャイナドレスに身を包んだ
   20歳前くらいの美しい娘、
   若いが成熟した色気、
   たぶんイギリス人と中国人の混血、
   年上の英国紳士と何度目かの痴話げんか
   結局彼女は彼から離れられない、
   精神はまだ幼く、彼に恋人と父親の両方を求めているから、
   彼もそんな彼女を捨てることはできない。
   それでも2人は不幸ではない。
 
こんなの、私にしては色っぽ過ぎる想像。
音楽を聞きながら、こんな細部に至る映像や物語を思い描いたことはない。
何なんだ、この音楽。
 
次に考えたのは「あなた」と「あんた」が出てくるのは何故かということ。
「あなた」は「わたし」が「あなた」に向けて言っており、
「あんた」は「あなた」が「わたし」に向かって言っているのかなあ。
やっぱり縁が断ち切れない2人の歌なのかなあ。
風さんの実体験の歌という感じは微塵もなく、
暑さのイメージがありながら、明るく澄んだ空気感もある
不思議なメロディ。
 
そして、藤井風を知るようになって、また考えた。
これは「わたし」とハイヤーセルフの歌なのかなあ。
ハイヤーセルフとは「わたし」が死ぬまで離れられないことは分かっている。
だから、針でもなんでも飲ませていただきMonday、なんて
おちゃらけても大丈夫と分かっている。
変わることのない愛をくれるのはだれか、ちゃんと分かっている。
それでも時々浮つく My heart
ハイヤーセルフが語りかけるのに気付いているのに、耳を傾けず、
やらかしちゃう。
自分への戒めと考えたら、いかにも風さんっぽい。
 
時は経ち、先日、
風さんがインスタグラムストーリーズにこのデモ音源をアップしてくださっていた。
リストにはこの曲だけで
   死ぬのがいいわ79    2019年9月9日
   死ぬのがいいわ(79)    2019年9月4日
   死ぬのがかなりいいわ  2019年9月3日
の3パターンもある。
デモ音源は、死ぬのがかなりいいわ、のようだった。
イントロはストーリーズに上げられていなかったが、
この段階でピアノソロ・バージョンが完成している、
と私の耳には聞こえた。
 
死ぬのがいいわ、もちょっと不思議な響きだが、
死ぬのがかなりいいわ、なんて言う人はいないだろう。
何なんだ、この言葉。
これ以前に試作がいくつかあり、このバージョンが「かなり」お気に召した自信作ということだろうか。
この3日バージョンにまた手を加えて、
9日バージョンを Yaffle さんに委ねた、という流れなのだろう。
 
製作過程の一部を公開して、こんなことまで想像させてくれるなんて、
本当に、何のわけへだてもない、
という姿勢なんだな。
 
その死ぬのがいいわがタイのバイラル・チャート8月2日付などで
1位になったそうだ。
バイラル (viral) とは「口コミで素早く広がる」の意味で、
tiktok などの SNS で取り上げられ使われる数のチャートらしい。
必ずしも音楽プロパーな意味での人気とは違うかもしれないが、
多くの人の耳に触れ、興味を持たれたことには変わりない。
 
2019年の早春に上京して、
ドンキで千切りキャベツを買っている時に降ってきたというこの曲が
その年の9月には風さんの中で完成形となり、
2020年5月リリースのファースト・アルバムに収められ、
2022年の今、タイで注目されている。
手塩にかけた曲がこんな流れで長く、広く愛されている、
そのことに、他人事ながら、しみじみと嬉しさとを感じる。
 
風さんは「無駄な曲は一切作りたくない」、また「自分が作った曲は子ども」と述べている。
子どもの1人が海外で活躍しているのを知って、
その子の出来上がる様子をシェアしてくれたのだろう。
まるで、ご近所さんか親戚が子どもの小さい頃の写真を見せてくれている雰囲気だ。
 
こんなに自分の音楽のすべてを見せてくれる、しかも、
天才を振りかざしたような上から目線ではなく、
ご近所さんか親戚か友だちのような目線で見せてくれる
そんなアーティストが他にいるのか、
私は知らない。
藤井風がそういうアーティストだというだけで十分。
三度の飯よりあんたがいいのよ、藤井風。
比べるものはなんもない、藤井風。

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