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【驚異の再生医療~培養上清が世界を救う~】①

幹細胞培養上清

上田実

見て頂き有難うございます。【驚異の再生医療~培養上清が世界を救う~】の本を読んで上田実さんの医者としての病と向き合う姿や戦い、そして奇跡の薬 幹細胞培養上清との出会い、たくさんの実験の様子が書かれているこちらの本に大変感動いたしました。本当にたくさんの病気が治る日を私も感じることが出来、世界中から病気がなくなる日を信じて幹細胞培養上清を応援する気持ちでいっぱいです。そんなこの本を私なりに要約してみました。よかったら読んでみてください。

第1章【再生医療って何だ?】

 脳梗塞によって片麻痺を起こした76歳の女性に、開発した培養上清を投与し手が動くようになり1人で動けるようになった症例を紹介する。脳梗塞は脳卒中と呼ばれる病気で後遺症が残る場合が多く、発症から半年で後遺症は固定してしまうとされる。

 1年間にわたってリハビリを続けたが、右手右足が麻痺であったこの患者さんに1日に1度鼻から吸引し、2週間後には麻痺していた右手がわずかに動くようになった。さらに4週間後には、右足が動き車いすから立ち上がり杖で1人で歩けるようになった。さらに、植物状態だった患者さんに自発呼吸が戻ったり、瞳孔反射が戻ったり、様々な病気が改善した。

「再生」とは何か?

 定番の例えは、トカゲの尻尾。トカゲには切れた尻尾から再びしっぽが生えてくる再生能力が携わっている。それ以上に強力な再生能力が携わって備わっているのは、サナダムシの仲間でプラナリア。プラナリアは、人間などと比べ物にならないほど幹細胞の質が量や質が高く量が多く、切断した分だけプラナリア増える力を持っている。しかし、人間にはそれほどの再生能力が備わっていない、とは言え、それなりに再生する力はある。新生児には幹細胞が多いため、骨折してもすぐに治るのはそのため。
 プラナリアと人間の再生能力の差は幹細胞の質と量の差にある。

【病気を根本的に治したいと言う一心で】

 30数年取り組んできたのが再生医学であり再生医療である。専門は顎顔面外科で、医科と歯科の両方にまたがる病気による苦痛から患者さんを解放するための治療技術を目指し研究し続けてきた。顎の骨や舌の癌、上顎癌の患者さんの治療にあたることもある。抗がん剤で根治を目指せる可能性が出てきたが、大きな癌の治療法は、主に外科治療である。

 がん組織を切除でも生活の質やその人らしく生きることのできる個性の尊厳は大きく損われることが多くある。そして、この矛盾を解決するには、切らずに治す方法を確立するか、または切除された組織を元に戻す方法のどちらかしか無いと考えた。

【まずとりかかったのが皮膚移植の研究】

 世界で初めての再生医療は火傷の患者さんに対するバイオ皮膚の移植手術で、このニュースをこの研究を始めた頃に出会い人生を決めた。

 これはアメリカで3人の男の子たちが火傷に遭い、拒絶反応が起きない肌が必要であった時、マサチューセッツ工科大学の教授で専門は基礎間細胞生物学 (再生医療の父と呼ばれている) ハワードグリーン博士が、独自の研究(事故の10年前、1975年)により、支持細胞、または栄養細胞によって表皮層を作ることに成功していたため、入院から20日後に移植されて命が救われ、世界中で大きなニュースとなった。

 【この記事を読み全身に鳥肌が立った】

 この記事を読み全身に鳥肌が立ち、体の内側から力が湧き上がってくるのを感じ、これが30数年に及ぶ上田氏の再生医療研究のスタートした瞬間だった。移植はがんを心配されたがこの男の子達は、20年後に皮膚がんの発生も見られず懸念は払拭。

 グリーン教授あの培養皮膚の欠点は、薄く、移植する場所に炎症があるとできない。それを補うため、他人の培養皮膚からも二層性て開発され、糖尿潰瘍に適し、他人の皮膚のため、定着はしないが細胞の分泌する生理活性物質が傷を治していく

再生医療の研究に重要なヒントがここで得た。1つは表皮層には幹細胞が存在し条件が揃えば3次元的な組織を作る事。二つ目は生理活性物質が肌の再生に重要な働きをしていると言う事である。

 【グリーン教授の培養皮膚の論文を読んで】

 肌でできるなら骨でも感想でも角膜てもあらゆる組織や臓器を無限に作れるのではと興奮に包まれた。培養皮膚を再現したい一心で培養に明けくれた。当時、細胞の培養をやる研究者は1人もおらず、培養室も相室を改善して作るなど全くの手作りで、細胞培養のやり方を理学部の研究者から教わった。移植実験を企業の研究所に見学しに行ったり手探りだった。

 指示細胞は、市販され簡単に手に入れることができるが、何度挑戦しても再現できず、論文に書かれていないコツがあると考えた。

 世界中の研究者が当時グリーン教師の培養皮膚の再現実験に取り組み、研究者との情報交換で、グリーン教授が独自に確立した支持細胞が必須で、ボストンのグリーン研究室にしか存在せず、教授の了解を得なくてはならないことがわかった。

【会場に潜り込み教授の隣の席に】

 紹介者もいない中で途方に暮れたが、同じ年日本形成外科学会の招聘で盛岡に来日し、昼食の情報を得て、会場に潜り込み教授の隣の席に座り込んだ。夢中で話しかけ、培養上清の研究の情熱を伝えると簡単に承諾してくれた。時を経ず、ボストンへ向かい助手に試験管を2本渡され持ち帰った。

 その後は次々に表皮細胞の培養に成功。深夜の研究室で細胞が皮膚と言う臓器に成長していく姿を幾度と無く観察し、細胞の不可思議さに心を震わせ研究者としての幸福なひとときであった。

 やがて、その培養皮膚を病院内で移植するシステムが出来上がり、噂を聞いた近隣の病院からも依頼された。

 【さらに口腔皮膚細胞の表皮シートを開発】

 この理由は、口の中の傷は治癒力が高く、幹細胞の数を比較すると、口腔皮膜に多く存在していたからであった。

 また、親知らずを抜いたいった時に粘膜が付着しており、これは医療廃棄物だったがその粘膜細胞も培養皮膚の材料に利用できないかと考えた。

 実際に、グリーン博士の研究では3週間たったら口腔内の粘膜細胞を材料とした時は1週間短く効果が得られた結果が得た。ここでの大きなメリットは、治癒時間の短縮のほかに、他人に属しても拒絶反応がに出にくいことランゲルハンス細胞と言う免疫細胞が消えてしまうことであった。さらに、皮膚細胞のように垢で落ちず、賞味期間が長いと言う特徴がある。こうして口腔粘膜細胞を培養し表皮シートを作る独自の技術が確立され、日本初の再生医学関連バイオベンチャージャパンティッシュエンジニアリング株式会社の設立につながった。

【幹細胞とは】

 絶えず新しい細胞に入れ替わり赤血球の寿命は120日、肝臓の細胞は200日皮膚細胞は2~7日で入れ替わる。つまり日々生まれて死ぬことで常に入れ替わっている。なぜ寿命の長さが違うのかはわかっていない。幹細胞の寿命は、理論上120年。死ぬ代わりに新たな細胞を生み出すことができる特殊な細胞が幹細胞である。肌にも幹細胞があり傷つくと増殖して幹細胞が欠損を埋めます。これを利用したのがクリーン教授の開発である。

 開発した口腔粘膜細胞を培養した表皮シートは評判になり、メディアから取材や立花隆氏からの対談企画があり、記事を読んだ国際プロジェクトからアフリカのブルーリ潰瘍の治療協力を頼まれた。この病気重症の皮膚潰瘍15歳以下の子供で手足が変形する

【即座にアフリカ行きを決断】

 ジュネーブWHOに技術を説明し、対象国には野口英世研究所があり英語で治安が安定しているためガーナが選ばれたが、最近、アメリカの製薬企業がエイズ薬の開発のためにアメリカで医療援助の名のもとに臨床研究をしたことがあり、疑われ、それを晴らすため数ヶ月の待機期間を余儀なくされる。

 いざ出発しユニセフの車に送られ、30人ほどが病室に、廊下にも人が溢れ、到着後すぐに手術を手伝い戦争中に使っていた環境下であった。皮膚移植のための皮膚をとれば、その場所からまたブルーリー潰瘍ができるため皮膚移植はできないとなり、こんな環境で何が協力できるのか疑問が湧いた。    必要なのはお金ではなく人であり、先端医療ではなく、必要なのは教育であると長年のボランティアから語られた。

 日本から名古屋大学チームはがき10枚の培養皮膚が空輸された手術は首都で9人を対象とし成功。これが世界中で取り上げられ各国からボランティアも集まった。

【再生医療とは】

 再生医療とは移植医療の延長線上にできたとも考えられる。また、他人の臓器を移植する以上組織を排除するために攻撃が始まるこれが拒絶反応で、臓器移植の歴史は拒絶反応との壮絶な戦いと言い換えることもできる。アメリカには、ティッシュバンクと言うシステムが確立し人間の組織の再利用と言う役割を果たす。

【バカンティ博士が提唱】

バカンティ博士が提唱した組織再生の三要素は、幹細胞と、足場にあたる人口材料、そして生理活性物質である。生理活性物質と言うのは、幹細胞に様々な機能を発揮させるための信号を出す物質のことを指し、幹細胞の増殖のスイッチを入れるための物質、あるいは特別な細胞に分化するための物質などがある。これらはタンパク質でできていることが多くホルモンとかサイトカインと呼ばれている。バカンティ博士は、マウスの背中に人間の耳を作り世界中を驚かせた。

 培養皮膚によって始まった上田氏の研究もこの概念に沿って進められた。インプラント用に60人もが治療されさまざまな学会で報告した。2000年初頭に再生医療第二期黄金時代(第一はグリーン教授)を思わせ、国からの研究費が助成されたり、日本組織工学会(のちの日本再生医療学会と合流)日本再生医療学会、日本炎症再生医学学会など設立された。

しかし、あくまでこの時は研究のレベルであり、皮膚と軟骨だけであった。臓器の再生医療には長い停滞期に入り、このバカンティ博士の三要素に疑問を持つようなコペルニクス的転回が必要であった。

幹細胞培養上清液 ②へ続く





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