今さら

最近カチンときたことがあってそれについてつい考えてしまう。
それは、実の母から主人に向けて言われたことだ
「○○(わたしの名前)は小学校の担任の先生に『とても頭のいい子ですから、必ず大学に入れてあげて下さいね』と言われたことがあるのよ」
???
何?いまさら?
結婚当初だって遅すぎるくらいなのに、私たち結婚して26年だよ!?

私は3人兄弟の真ん中で、姉は旅行関係の専門学校に行った。
弟は6歳下だがあまり勉強の出来ない子で、お小遣いに上乗せしてくれるのを条件に私が勉強を教えていた。
我が家の経済状況はあまり良くなかったとは思う。
私が高校3年のある日 父が神妙な顔つきで私に言った
「弟は勉強が出来ないから今のままだと高校も公立は難しそうだ。男だからせめて高校は出させてやりたいので私立に行くことも考えている。我が家の経済状況から考えてお前には高卒で働いてもらいたい」

我が家では一番成績も良かったし、それなりの公立の進学高校に通っていた。3年になって進路指導が始まった時 就職希望者は本当に少なかった。
私の時代 女子で4年制の大学を希望する人はほとんどいなかった。学校の先生以外で大学を出ても女子は就職は難しいと思われていた。
短大か専門学校を出て結婚までの腰掛けで仕事をするのが女性の王道と思われていたように思う。…変な時代

そんな時代に私の担任の先生は大学に行かせたいと思うほど私の頭は良かったのかな?

小学校の頃(中学でもあったかも?)学校で時々IQを測るテストがあった。結果は知らされることはなかったが、クラス編成とかには利用されていたようで担任の先生は児童のIQ一覧を持っていた。
近所で頭の良い子のIQは母たちの噂で流れてきていたこともあった。
私のIQは噂には上らなかったから近所のIQ160と噂されたお兄さんほどではなかったに違いない。

高卒でアパレル会社に就職して2年で辞めてバイトをしながら夜、文化服装学院に通った。夜学部ではなくてパターンのコースだった。
服を売るのではなくて作る方に行きたかった。

夜間のコースだけではどうにもならないし、弟もなんとか公立の高校に入れたし…働いて貯めた貯金も多少あったしで母に昼間の専門学校に入りたいとお願いする。

文化は3年出ないと物にならないしそれは難しいと言われて2年制のファッションデザイン科のある東デへ入った。バイトで交通費と小遣いを稼ぎなから宿題をこなすのはかなりハードで 通学の電車の中では立ってても寝れる状態が続いていた。

卒業制作では「優秀賞」もいただいたし、パタンナーとして仕事も決まったし、私としては後は走り出すだけだと思っていた。

世間はDCブランドブーム。
Cの末端ブランドで2年パタンナーとして働いて、ある日ふと思った。「それほど服が好きなわけじゃないな」

そんな時 専門学校で「最優秀賞」をとった学友から声がかかった。
「うちの舞台衣装屋で働かない?」
そこで気がつく 私が服に興味を持ったのは映画の衣装だ。いつかイディのような衣装デザイナーになりたいと思ったんだった!

そこから4年 昼夜なく土日の休みなく衣装を作り続ける日々が続いた。
TVや舞台やテーマパークに私の作った衣装がみられるようになって それなりに評価もいただいた。わずかではあるけど映画の衣装にも関われた。

そして、30才目前のある日、また 父から呼び出された。
「忙しく働いて何になるんだ?楽しいだけで将来を考えてないのは良くない」
要するに仕事辞めて結婚しろ!と言うことだった。

母からは見合いの話があることも聞いたが、その当時付き合っていた彼氏と結婚するために仕事を辞めた。

それから4人の子どもを産み育てながら、家でサンプルの制作やパターンのオーダーを受け、時々くるウェディングや衣装のオーダーをこなして過ごして来たのに…

仕事をくれる人からの評価はいただくが、旦那をはじめ家族からの評価はほぼ無いに等しい…。

何十年も経ってしまって衣装の仕事に戻りたくても今さら戻れないし、死ぬまで細々とでも洋服を作ることは続けたいな…と考えていた矢先に 冒頭の母からの言葉だった。

今まで母には色々としてもらって感謝してきた。だけどその一言を聞いてからなんだか私の中でぐるぐると渦巻く気持ちが消えない。
「何故 今そんなこというの?」「何か期待しているわけ?」

多分 何も考えていない ただの思い出話なんだろう…。だけど私の気持ちはとても不愉快なままだ。

大学に行きたかったわけではない。頑張って来た自分の全てを否定されているような気がするのは何故だろう?

少なくとも私は50過ぎた子どもたちにそんな話はしないと言い切る!

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