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「熟と燗」に学ぶタイパとコスパの本当の意味

昨今は何かにつけて「タイパ」や「コスパ」が話題になります。タイパとコスパの本当の意味を学ぶことができたのが「熟と燗」での体験でした。

熟と燗」は千代田区三番町にある熟成日本酒バー。先日、お誘いをもらって行ってきました。


「熟と燗」での体験

しつらえとおもてなし

市ヶ谷駅から歩いて高級な住宅街にさしかかり、多分もうすぐ着くはずという場所に来てもお店の存在を示すものは何も見あたりません。Google mapのピンが指す位置に着くと、主張しすぎずそれでいて存在感のある「熟と燗」の看板が目に入ります。

ワタクシは待ち合わせ時間より少し早く着いたのでお店の前で待っていました。すると、その気配に気づいたお店の方が扉を開けて、「予約の方ですよね。中へどうぞ」と招き入れてくれました。

店内に足を踏み入れると真っ先に目に飛び込んでくるのが棚に美しく並べられた日本酒の数々。日本酒といえば同じ瓶の形を思い浮かべますが、そこに並んでいるのは実にバラエティに富んだ美しいフォルムの瓶たち。まるで芸術作品を見ているかのようです。


「熟と燗」では、購入できるだけでなく、お店で熟成日本酒を体験できるようになっており、5人程度が座れるバーカウンターがあります。バーカウンターの下についている荷物の置き棚がまたスグレもの。ほどよい角度で傾斜しており、荷物の出し入れがしやすいうえに、大きめの荷物も難なくおさまります。

バーカウンターの向こう側にも日本酒がズラリと並び、その下には磨かれたグラスが照明に照らされて美しく輝いています。

この日、バーカウンターには社長兼バーマスターの上野さんの他に、会長の御立さんも立っていらっしゃいまっした。そうです、ビジネス界の最前線で活躍され、今なおご活躍中の知る人ぞ知るあの御立尚資さんです!

ワタクシが席に着くと、御立さんがバーカウンターから出てきて、得も言われぬ優しくフレンドリーな笑顔で名刺をくださいました。仲間よりも先に一人でお店に入って、その上質な空間にちょっと敷居の高さも感じていたところ、御立さんがその緊張を解きほぐしてくれました。

まだ何も口にしていないこの時点で、考え抜かれたしつらえとおもてなしたっぷりの立ち居振る舞いにすっかり心を掴まれてしまいました。

待ち合わせの仲間が全員揃ったところで、いよいよ会のスタートです。

社長兼バーマスターの上野さんが、熟成日本酒とは何か、熟成することで何が変わるのか、なぜ新酒が広く流通するようになったのか、などを解説してくれます。ワタクシたちは、上野さんのお話に耳を傾けながら、初めて知る熟成日本酒の世界へと誘われてゆきます。

お話を聞いて熟成日本酒への期待が高まります。一方で、ズラリと並んだ日本酒の中からどれを選べばよいのかという戸惑いも感じました。が、そんな心配はご無用でした。なぜなら、熟成日本酒初心者のワタクシたちに、上野さんがオススメの日本酒をセレクトして出してくれたからです。

熟成日本酒はそれぞれのお酒を飲むのに適した温度帯があります。それを体験できるように、冷やして飲む日本酒、常温で飲む日本酒、燗をして飲む日本酒、それぞれをセレクトしてくれました。訪問した日は気温が高めの日でしたので、身体がまず欲していたのは冷たい飲み物です。ですから、まずは冷やして飲む日本酒からスタートです。


温度帯別にセレクトした3本の日本酒がカウンターに並べられ、その中からひとつを自分で選びます。選ぶのは、それぞれの産地や特徴の解説を聞いてからです。

選び難い3本のうちから1本を選ぶ決断を迫られたワタクシたちは、
「秋田にします」
「山形にします」
「新潟にします」
などと、産地を言って選びました。

それぞれのお酒の名前はもちろん上野さんから紹介があり、名前の書かれた瓶が目の前に並んでいるのですが、固有名詞の読みは聞いたその場で覚えるのは難しいのです。結果、馴染のある産地の方が記憶に残るというわけです。

このことから導かれる結論は、カウンターで飲んで気に入ったお酒はその日に買うに限るということです。帰宅してからオンラインショップで買おうと思っても、お酒の名前を思い出すのが難しいからです。カウンターで飲んで気に入ったお酒はその日に買って帰りましょう。大事なことなので2回言いました。

そういうワタクシたちがどうしたかは、こちらをご覧ください。

話をもとにもどしましょう。日本酒といえば無色透明だと思っていました。日本酒が香りを楽しむものだとは知りませんでした。そんなワタクシたちに、「熟と燗」は、日本酒の奥深さを知らなかっただけだなんだよと教えてくれました。

こちらは三年熟成させた日本酒です。無色透明ではないことがわかります。写真ではお届けできませんが、素人でもわかるくらいにはっきりとした香りが立ち上がります。


こちらは同じ日本酒を十年熟成させたものです。同じ日本酒なのに時間が経つと色味が濃くなります。もちろん香りも味も変化しています。

こうやって飲み比べてみると、「熟成」の意味を体感として知ることができます。

日本酒の「熟成」について体験した後は、「燗」の体験です。同じお酒を常温と燗で飲み比べます。

カウンターに備えつけられたお燗器でお燗されたお酒は、色味がわかるように白い盃に注がれました。お燗をすることで、苦みが消えて膨らみが出るそうです。

残念ながら、常温と燗を飲み比べた違いを説明できるほどの言語力は持ち合わせていませんが、香りも味も明らかな違いがありました。ワタクシたちは、飲み比べることで「燗」の意味を体験したのです。

燗にすると日本酒の香りがとりわけ匂い立つように感じました。この日、味の大半は香りで決まることも教えていただきました。香りの影響力の大きさについて聞いた通りに、燗にした日本酒はぐんと味わい深くなったような気がしました。

「熟成」と「燗」。飲み比べることで、素人のワタクシたちでもはっきりとその意味を知りました。「百聞は一見にしかず、百見は一験にしかず」はまさしくでした。

会話を楽しむ

この日、ワタクシたちが熟成日本酒バーを訪れたのは、熟成日本酒を味わうだけでなく、そこでの会話を楽しむためでもありました。

少し早めに着いたワタクシには仲間を待つ時間がありました。目の前には御立さんがいます。舞台の上で話す御立さんを見たことはありますが、直接の言葉を交わしたことはありません。このチャンスを逃せば質問できるチャンスはもう二度とないかもしれません。そう思って、御立さんに質問をしました。

ワタクシ: 御立さんにとって日本酒とは何ですか?
御立さん: 文化ですね。

考えるまでもなくの即答が「文化」ですよ。いやあ、参りました。こんな即答、ジェントルマンでなければできないですよねえ。

ワタクシ: ご自身でバーカウンターに立つことにはどんな意味がありますか?
御立さん: お客様の反応を見られるからですね。JAL時代はCAもやっていましたし、根っからのサービス業なんですね。もう年なのでずっと立っているのはちょっと辛いんですけどね(笑)

はにかんだ笑顔がなんともチャーミングです。ジェントルマンにチャーミングだなんて言ってしまってスミマセン。でも、あれこれ探ってもチャーミング以上にぴったりな言葉を思いつきません。御立さんに「年なので」なんて言わせてしまってスミマセン。でも、この言葉を聞けたおかげで、直接会話しなければ知るよしもなかったチャーミングな一面を垣間見ることができました。

何種類もの熟成日本酒を味わって、日本酒ってこんなに豊かなのねとすっかり魅了されたタイミングで、ちょうどワタクシの席の前に社長兼バーマスターの上野さんが立ちました。ここぞとばかりに思わず聞いてしまいました。
ワタクシ: 熟成日本酒の魅力とは何ですか?
上野さん: 探る楽しみです。

魅力を表す最上級の言葉ですね。なぜなら、「探る」は人の最も根源的な欲求ですから。

味はもとより、色味、香り、食感がそれぞれに異なる豊富なバリエーション。その中から、自分好みの一品を、その時の気分に合う一品を探る楽しみが熟成日本酒の魅力。それには、にわか体験をしたワタクシたちでもうなづけます。

さらに造り手にも探る楽しみがあるだろうと想像が膨らみます。時間とともに変化していくわけですから、時間が短すぎてもいけない、時間が経ちすぎてもいけない。それぞれのお酒のベストなタイミングはいつなのかを探り当てるのは、ぞくぞくする楽しみに違いありません。

単に時間が経ったというのではなく、十分な頃合になった日本酒が熟成日本酒。日本酒のプロフェッショナルが探り当てたベストなタイミングのお酒をいただけると思うと、こちらも心して向き合うようになります。モノの背景を知ると、同じモノでもまるで違ったモノに見えてくるから不思議です。

店を出る前に、最後にもうひとつ質問をしました。

ワタクシ: これから「熟と燗」でやりたいことは何ですか?
御立さん: 海外にも広げていくことですね。それから、縮小してゆく他の業界で、熟成日本酒のやり方を真似される存在にもなりたいですね。

まるで少年のように目を輝かせて語る御立さん。これからの物語にワクワクしている様子が伝わってきます。ある時はジェントルマン、ある時はチャーミングなおじさん、またある時は少年のようであり。

はああ、これが熟成された人の姿というものでしょうか。

文化の香りをまとう

この日のワタクシたちは、いつもよりも少し無口で会話も控えめに熟成日本酒を堪能しました。横並びで座ったことも関係しているかもしれません。それにしても、あの空間に身をおくと自然とそうなってしまったのです。

いつもなら
「キャー、美味しい~!」
と声高に発するところを

「わぁ、美味しいねえ」
と、ワントーン抑えて言う人になっていました(笑)

話すことに夢中になると、味わうことへの注意がおろそかになりがちです。ワタクシの個人的な見解ですが、女性は話すことと味わうことの両立ができると思います。ということは、五感を研ぎ澄ませて味わう熟成日本酒は女性向きかも。。。

会話も熟成日本酒もどちらもたっぷりと味わったワタクシたち。お店から出る時には、少しだけ文化の香りをまとったような気分になりました。まあ、多分、気のせいだとは思いますが(笑)

タイパとコスパ

「熟と燗」のタイパとコスパ

ここまで「熟と燗」での体験を書き連ねてきましたが、果たして「熟と燗」の「タイパ」と「コスパ」はどうだったのでしょうか。居酒屋で日本酒を飲むこととの比較で考えてみました。

タイパとコスパ

タイパとはタイムパフォーマンス、つまり時間に対する効果のことです。今回考える対象では、パフォーマンスはお店での体験価値と言えます。

上述したように「熟と燗」の体験価値はとても高いものでした。居酒屋で日本酒を飲む体験価値と比べると、それより高いことは間違いありません。

一方でコスパはどうでしょう?コスパはコストパフォーマンス、要した費用に対する効果のことです。「熟と燗」で支払った後のおサイフは、居酒屋で支払った時よりも軽くなりました。

コスパのグラフの点線が平均的なコスパを表します。ここに居酒屋と「熟と燗」をプロットして示したように、一見すると居酒屋に比べると「熟と燗」のコスパは低いという判断になると思います。

「熟と燗」の体験価値を問い直す

一見すると「熟と燗」のコスパが居酒屋より低くなるというのは確かにそうなんですが、ワタクシが「熟と燗」で体験した実感とはズレがあるのです。それが何かを探りあてるには時間が必要でした。

居酒屋との比較で言うと、飲んだ日本酒が熟成日本酒か否かの違いがまずあります。日本酒には甘口と辛口の違いがある、冷酒で飲むのでスッキリした味わいである。それが日本酒だと思っていました。あくまでもワタクシ個人の経験上のことです。

「熟と燗」で経験した熟成日本酒には、色味の違いがあり、香りの違いがあり、多様な味があり、口に含んだ時の食感の違いがあり。日本酒に対する認識が変わる体験をしました。

また、居酒屋ではお酒を選んで注文するけれど、所詮にそれは添え物。居酒屋でのメインはそこでの会話。だから、味わうことに向く注意は多くありません。こちらもあくまでもワタクシ個人の経験上のことです。

一方の「熟と燗」。もう味わうことに全集中しました。だからと言って会話がなかったかというと、そんなことはありません。熟成日本酒を前にしてのワタクシたちの会話。御立さんや上野さんとの会話も十分に楽しみました。

加えて「熟と燗」では、しつらえとおもてなしが心地よく、そこで過ごす時間をたっぷりと楽しみました。ですから、お店で過ごす体験価値はとても高く感じたのです。

ここまでであれば、「熟と燗」のタイパは高いけれど、コスパはそれほどでもという判断に違和感を感じる要素はありません。

「熟と燗」を訪れてからかなりの時間が経ちましたが、今も特別な体験としてワタクシの中に記憶されています。比較対象としている居酒屋の場合はどうかというと、それは数ある経験のひとつであり、特に印象には残りません。これは大きな違いです。

お店を出た後の体験までを含めて考えると、パフォーマンスの意味するところが変わってきます。

2つの時間軸とパフォーマンス

体験価値のパフォーマンスは時間とともに変化します。居酒屋の場合、入店してから飲み物をオーダーして、おつまみが運ばれてきて、と体験価値はあがってゆきます。店内で楽しく会話している時の体験価値がMAXでその状態が続きます。退店すると体験価値は急激に下がって、やがて記憶からは消えてゆきます。

「熟と燗」では入店の瞬間から心をつかまれ、体験価値がプラスからのスタートでした。解説を聞きながら飲んだ熟成日本酒は、種類を変えるごとに驚きと感動がありました。ですから、体験価値は時間とともに上昇してゆきました。

「熟と燗」での体験価値の特異性は退店後にあります。熟成日本酒を味わったことはもちろん、新しい日本酒の世界を知ったこと、とても心地よい時間を過ごしたことが体に染み渡って、退店後も行ってよかったという感覚が長く続きました。

「熟と燗」は熟成日本酒を売ってはいますが、モノだけを売ってるわけではありません。お店で熟成日本酒を味わうひとときの体験を売っているのとも少し違う気がします。もっと長い時間軸での文化を体験させてくれるという言葉がふさわしいと感じます。

お店の体験価値を考える時には2つの時間軸が存在するのです。店内滞在時間の時間軸での体験価値を考えるのか、退店後も含めた長期の時間軸での体験価値を考えるのか。

選択した時間軸でのパフォーマンス曲線と時間軸に囲まれた部分の面積が体験価値を表すことになります。そうすると、退店後までを含めた長期の時間軸で考えた場合には、居酒屋と「熟と燗」のパフォーマンスには大きな差が出ることになります。

タイパとコスパの本当の意味

さきほど図示した居酒屋と「熟と燗」を比較したタイパとコスパは、店内滞在時間の時間軸で考えた場合のものでした。退店後を含めた長期の時間軸でのタイパとコスパではどうなるでしょう?

長期時間軸でのタイパとコスパ

今回は居酒屋と「熟と燗」を比較するので、タイパを算出する時間は同じにします。なので、タイパの差を見るにはパフォーマンスの差を見ればよいことになります。長期の時間軸で考えると、パフォーマンスは長期的体験価値になります。そうすると、長期の時間軸での「熟と燗」のタイパは居酒屋よりはるかに高くなります。

コストが発生するのは店内にいる時のみですから、コスパについては、店内滞在時間でコスパを比較した場合と同じコストの値にプロットしたものを作成しました。長期の時間軸で考える場合には、居酒屋と「熟と燗」の「パフォーマンス=長期的体系価値」には大きな差が出るので、コスパの値も変わってきます。

長期の時間軸で考えると、「熟と燗」のコスパが居酒屋よりも低くはなりません。もちろん、これはあくまでもワタクシの体験ですが。

つまり、ワタクシの実感と「熟と燗」のコスパとのズレは、コスパを考える時間軸が違っていたことが理由です。

タイパやコスパは時間軸をどうとるかによって変わってくるのです。体験価値が退店後も続くのであれば、時間軸としては長期にとるのが道理です。

つまり、タイパとコスパの本当の意味は、長期の時間軸で考えた長期的体験価値によるものなのです。これでようやく自分の実感にあうタイパとコスパの説明がつきました。スッキリ~。

熟成とは

熟成日本酒は時に磨かれ、色に深みを増し、香りが芳醇になり、舌触りがまろやかになり、そして味わい深い日本酒になります。それはタイパとは真逆の発想でじっくりと時間をかけて造られるモノだと思っていました。が、お客様が味わった体験価値が続くまでの時間軸で考えると、実はタイパがよいという見方もできます。

熟成とは、タイパとコスパの良さを究極に追求したものなのかもしれません。もちろん、長期の時間軸で考えることが前提です。

時間軸を変えるとタイパとコスパが変わることを「熟と燗」での体験から学びました。近視眼的に見るのと長期の時間軸で見るのとでは違った結論になることがあり得ます。これは、タイパとコスパに限らない話ではないでしょうか。

ついつい近視眼的にものごとを捉えがちなワタクシたち。もっと長い時間軸でものごとを考えるような熟成した大人になりたいものです。

「熟と燗」を訪問してから、これを書くまでにずいぶんと時間が経ってしまいました。あの体験を表すお言葉を返す、じゃなくて、お言葉を探して、湧き上がってくるのを待っていたらこんなにも時間がかかってしまいました。でも、それはこの文章も熟成したということで。(笑)



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