ホルテンさん

シネマの記憶007 奇妙な時間

 もう10年ほど前になる。どこの映画館で観たのか忘れてしまったのだが(渋谷Bunkamuraだったかな?)、ノルウェイ映画「ホルテンさんのはじめての冒険」を観ているあいだ、ずっと奇妙な感覚に包まれていた。だからといってイヤな感覚というわけではなかった。

 ベテラン運転士ホルテンさん(ボード・オーベ)、アパートで一人暮らし。お弁当と飲み物を用意し、鳥カゴに覆いをかけて仕事場に向かうシーンから、この物語は始まる。電車に乗り込んで、やおらパイプに火を付けて出発。おそらく十年一日のごとく、判で押したような日常なのだろう。

 しばらくして暗いトンネルを抜けると、そこは一面の雪景色。まるでホルテンさんが運転するベンガル急行に乗り込んでいるかのように、トンネルから抜けた後に飛び込んでくる雪景色が眩く目にしみる。

 トンネルに入ったり抜けたりの繰り返しが、なにやら不思議な世界の始まりを暗示するシーンのように印象的。まるで川端康成の小説の出だしのようだ。

 ホルテンさんは、晴れがましい席を好むタイプではなく、淡々と40年間、電車の運転士として実直に働いてきた人だ。ところが、67才の誕生日で定年を迎える前夜から、奇妙な出来事に次々と遭遇する。

 自分の送別会の二次会が開かれているアパートに入れなかったり、いつも愛用しているパイプを紛失したり、靴を失って赤いハイヒールを履く羽目になったり…。そしてある老人との出会いをきっかけに、自分を縛っていたものと初めて本気で向き合うことになる。

 新しい人生を歩み出すには、やはり何か大きなきっかけが必要ということなんだろう。やがて、ホルテンさんが独身を通してきた理由も見えてくる。

 それにしても、この「ホルテンさん」という映画は不思議な感覚に満ちている。現実と非現実のトワイライトゾーンのような世界とでもいえば良いだろうか。北欧世界の時間感覚と、極東の日本世界の時間感覚とでは、こんなにも違うものなのかと思う。得難い体験をした。

 監督、脚本のベント・ハーメル、少し気に入りました。


画像出典:映画.com


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