トゥヤーの結婚

シネマの記憶013 願いは荒野を駆け巡る

 9年ほど前になるだろうか。友人たちと昭和の風情が残る四ツ谷荒木町で落ち合い、互いにコトバを交わし、肴を味わいながら杯を重ねた。ほろ酔い加減になったころ、友人のFが久しぶりに海外の山を歩きにいく、と言い出した。

 Going solo、単独行だという。海外の山を一人で歩くなんて、なんだかいいなあ、と、こちらまで漂白の思いが募ってきた。でも、なかなかそうも行かない。こちらの場合、時折、映画館に足を運んだりして、スクリーンの向こう側の「見知らぬ土地」を旅するのが関の山である。

 その席で、内モンゴルを舞台にした映画の話を切り出したところ、その彼がぜひ観てみたい、作品名を教えてほしいと乗り出してきた。あれから感想を聞かないうちに、彼は不治の病で亡くなってしまった。ちょうど昨年の今頃である。友人だから云うわけではないが、あんな優しい男に、これまで会ったことはない。

 記念にその映画についてのメモを残しておこうと思う。

 タイトルは、「トゥヤーの結婚」。内モンゴルの荒野で、事故で下半身不随となり寝たきりとなった夫と、小さな子供を抱えるトゥヤーが主人公。羊の放牧をし、畑を耕し、さらに毎日数十キロ先の井戸へ水を汲みに通うトゥヤー。極東の島国で暮らす者からすると、信じ難いほどの重労働だが愚痴ひとつこぼすこともない。けれども、そんな健気なトゥヤーをもってしても、内モンゴルの過酷な環境下で家族を養い続けることは、もはや限界に近づきつつあった。

 トゥヤーは思い巡らす。家族を守るために、どうしたら良いのだろうか。ある日、我々の常識からは想像もつかない、思いもよらぬ手立てを考え出す。そして、そのささやかな願いは、荒れ果てた広大な草原を駆けめぐる。

 いとおしく、せつなく、不思議に温もりのある一本。ランドスケープの圧倒的な力、映像の美しさは、筆舌に尽くし難い。第57回ベルリン国際映画祭金熊賞受賞作。監督:ワン・チュアンアン、脚本:ルー・ウェイ、ワン・チュアンアン、主人公トゥヤー:ユー・ナン、トゥヤーの夫:バータル。

画像出典:映画.com


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