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フラを習って思うこと

2023年5月、3年の長かったコロナ禍がやっと終わった。わたし的には、3年前も今も何も他の年月と変わっていない、たまに風邪?を引いたのもいつもと同じ、これは、ロックダウンやワクチン接種と大騒ぎした世界の対応が間違っていたと考えてます。

3年前、私が習っているフラ、Hawai'iからクムが毎月来てくださりレッスンを受けていたのだが、渡航が難しくなり、zoomでのレッスンとなった。

zoomでのレッスンは味気なく、しかしそれでも進むしかないと決心した人たちは、その形で続ける様になった。

コロナ禍に於いても、この様ない形でHawai'iのフラを勉強出来ることは非常に有り難かった。

しかし、コロナ禍だからと言って自分の活動、ロミロミやフラの研究会をzoomにすることは無く、私自身はコロナなどは無視して全てを対面で行って来た。

なぜかと言うと、自負自身がzoomでも仕方ないと感じながらレッスンを受けている身だから、それを人に感じて欲しくなかった。まして、ロミロミは対面でなければ出来ない、画面上でマッサージをしても全く意味はありません。
フラも隣りの人との呼吸や気持ちを合わせることに楽しさが有るのに、zoomでは自分のフォームやホオパアが間違っていないか?をチェックするだけのレッスンになってしまう。

しかし、コロナは終わった。終わりも始まりもないが、政府がコロナを一般の風邪にしたら、普通に海外へも行けるし、マスクもしなくて良くなり、濃厚接触というバカげた言葉も消えた。

だが、Hawai'iのクムは、日本でのレッスンを行う意思が無くなった様だ。世の中が元に戻ったからと言って、自分の活動も元に戻すとは考えていない様だ。クムも歳を取って行っているし(私のたった2歳年上なのだが)、確かに毎月日本へ来るのは体力的にきついと思う。

だが、世の中はこれまでの3年間を取り戻す勢いで、この夏はイベントやお祭りごとがラッシュである。そんな空気の中、自分たちだけがいまだPCに向かって踊り続けて間違いをチェックしてもらうレッスンというのは、フラの楽しさはもはや感じなくなり、クムという絶対的な存在に見てもらえるだけで有難いとは思いつつも、時は変わっているのに、一人で部屋で踊っているのは異様なものを感じないではいられない。正直、私の中で楽しいものでは無くなった。

しかしコロナ禍の前を含め、これまでにも沢山の素晴らしい教えを与えてくださったことには感謝し切れない。そしてまだまだ知らないことだらけで、まだ習いたいことは沢山ある。この気持ちがある以上、zoomでのレッスンをこれ以上続けることは無理だと伝えるのは自分の気持ちが心苦しくなる。

ものを教える、というのは、どうしても教える立場の人が絶対的な権限をもつ。特にHawai'iのフラでは、クムとはそういう存在だ。ハーラウの中では私たちは質問や感想は言えても、求められた時以外は自分の意見を述べることは出来ない空気がある。

それが古くからの伝統であり、それが今の時代に合ってるか合って無いか?正しいのか違うのか?という問題はここでは考えないことが古いフラの世界でもあるので、そのスタイルに同調出来なくなったら自分がそこを去るしか無いのだ。

自分自身がクムから教わったフラを大好きになり、今、自分の周りの小さなコミュニティにそれを伝えている自分としては、フラに於いてクムから習えなくなるのは非常に心細いことなのだが、潜在意識的にクムが向かって行きたい方向と、私自身が経験したい現実は今少し違って来ているのならば、仕方のないことなのかなと思う。

私は、フラに関しては、人と踊る、外に出て踊るということを人と共有したい。Hawai'iという少し遠い土地の人とは、それを日常的に行うことは難しいのが現実だ。自分のやりたいフラというものが自分の中に存在する様になったことは、ある意味それも成長なのかも知れない。まだ吸収したいことは沢山あるが、これまで習得したものを大切にしていく方向で、新しい自分の旅を見つけて行きたいと思う。


2023.6.8

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